152.メイドのお仕事2
程なくしてサラとエリックが部屋に戻ってきた。
いつものワンピースに着替えた後、サラが淹れてくれた紅茶を飲みながら思考を巡らせる。
マリアの影響はかなり強い。
嫌っている人を大切な家族と思うほどに。
そしてその影響は日に日に大きくなっている。
リリーと一緒に買い物に出かけた時には確かにクリスのことを嫌っていた。
それからまだ五日しか経っていないのに、私はクリスのことを嫌いだと思えなくなっていた。
もちろん命懸けで助けてくれたこともあるだろう。それでも流石に早すぎる。
せめてもう少しゆっくり変化させてくれれば私も受け入れやすかったのに。
いや、これだけ急激な変化だからこそこれに気が付けたんだ。
もし私がクリスのことを何とも思っていなかったら、もし少しでも好意を抱いていたのなら、この影響に気付くことはできなかっただろう。
クリスに対する気持ちはマリアのものだとわかる。
じゃあ殿下への気持ちはどちらのものなのだろう。
私が殿下のことを好きになったのだと思っていたけど、実はマリアの影響を受けて好きになったと思い込んでいたのだろうか。
じゃあルカに対する気持ちは? ノアやリオンは? ルイス殿下は??
私になってから出会った人達への気持ちは本当に私のものなのだろうか。そもそもどうしてマリアの好悪が私に影響するのか。
ルカやリリーはマリアの身体に別人の魂が入ってしまったと言った。それがどういう事なのかをこれまで深く考えずに来てしまったけれど、一度しっかりと確認しておいた方が良さそうだ。
うーん、めんどくさいなぁ。
「この後はどうするんだ?」
「特に予定は無いからお昼までは本を読んで過ごすわ。午後は……刺繍でもしようかしら」
テーブルの端にはサラが用意してくれたクッキーの乗ったお皿がある。
疲れたしちょうどいいと思って食べようとしたらクリスに取り上げられた。
曰く、ダイエット中のお菓子は厳禁だ、との事。
それは確かにそうだけど朝から二時間も頑張ったのだからちょっとしたご褒美くらい許してくれてもいいじゃない。
昨日は何も言わなかったのに。
やっぱりクリスは意地悪だ。
「……ルイス殿下に渡すのか?」
「ううん、練習したいだけ。でも……渡すべきなのかもしれないわね」
刺繍はこっちの世界に来てからずっと続けていた。
別に好きだったわけではない。
針仕事は指先を使うからこの身体がどのくらい制御できているのかを知るのにちょうど良かった。そして針や鋏を使うから傷を作って痛みの有無を確認するのにも都合がよかったのだ。
もう夢かどうかを確認しようとは思わなくなったから自傷はやめたけど、刺繍自体は楽しくて続けている。
何かに集中することやものを作ることは昔から好きだった。
「宿題はまだ終わってないんじゃなかったのか?」
「ええ、薬学のレポートが残ってるわ。授業で習った薬を作ってまとめなければならないのだけど、まだ材料が揃ってないの」
「何が必要なんだ?」
「えっとハーブが五種類とマンドラゴラの根と海馬……だったかな」
「へぇ、本当に面倒な宿題だな」
まったくだ。
貴族だから値段の高い材料も手に入れられるだろうと作る薬も指定されてしまった。
しかもレポートだから文章を書くのが苦手な私にはかなり難易度が高い。できるならルカが来てくれる時にレポートを書きたいと思っている。
「クリスは部屋に戻って休んでてね。そうやってずっと立ってるのは辛いでしょう?」
「休まないし辛くない。何かあったときのために俺がいるんだ。マリアは気にせず過ごしてろ」
「……エリックがいるわよ?」
「一人より二人の方が安全だ」
絶対に譲らないぞという強い意志を感じる。
迷惑この上ない。
今二人はソファーの傍で立って私の方を凝視している。
何かあった時にちゃんと見てないと対応できないから、だと言われたけどこれは明らかにやり過ぎだ。
そして絶対にエリックはこの状況を楽しんでいる。これまでこんな間近で凝視し続けることなんてなかったから、クリスと私のやり取りを面白がってるだけなんだ。
一方のクリスは本気なのか私をからかってるだけなのかよくわからない。
何か代替案出さないと二人の視線に苛まれながら読書とかいう罰ゲームが始まってしまう。
「ならせめて座ってくれないかしら」
「護衛が座ったらすぐに動けないだろ」
「そうやって見下ろされてるのは居心地が悪いの。ずっと座ってろなんて言わないからせめて交代で休憩するくらいいいでしょ?」
クリスはマリアのことを可愛いと言ってくれるし好きだとも言ってくるからダメ元で可愛らしくお願いしてみた。
もちろん可愛く見える角度と表情を作って一番可愛いマリアに見えるように気を使っている。
マリアは可愛いでしょ? お願い聞いて欲しいなー、なんて念じながらクリスを見つめていると少し嫌そうな顔をされて顔を逸らされた。
ひどっ!
「……交代で少しだけならいい」
拒否されるかと思っていたからその予想外の言葉に驚いた。
もしかしてうんざりして面倒になってしまったんだろうか。いくらマリアが可愛くても今日はウザ絡みしかしてないから諦めてくれたのかもしれない。
まあマリアとクリスは歳の近い姉弟のような間柄なんだから可愛くて絆されるなんてことはないか。
嫌そうな顔されたのはちょっとショックだったけど、今後もウザ絡みし続けよう。
「よかった。じゃあこっちに座って。クリスはクッキー食べるわよね? 三十分したらエリックと交代ね」
「長すぎるだろ。五分で充分だ。それに隣に座るのは近すぎる」
「足りないし近すぎないわ。エリックもそう思うでしょ?」
「私はどちらでも構いませんが、仕事中ですので座るのは遠慮させていただきますね。クリスがお嬢様の近くにいるのですから私は少し離れた位置で立っています」
そう言ってエリックは壁際まで離れてくれた。
やっぱりエリックは私たちのやり取りを面白がって見てたんだな。
年の離れた弟妹が奇妙な意地の張り合いを繰り広げるのを止めるのは兄の役目なんじゃないの?
まあ近くで凝視され続ける状況からは解放されそうだからなんでもいいや。
「エリックが離れちゃったからクリスが私の近くに来るしかないわね」
「…………なんでそんなに楽しそうなんだ」
楽しくない。嬉しくもない。
だって私はクリスのこと嫌いだから。
これはからかってるだけだし隣に座るよう促したのも勢いでつい口が滑っただけだ。
実際に隣に来られたらイライラしてしまうだろうことはこれまでの経験からわかっている。
「気のせいよ。ほら、時間無くなっちゃうから早く来て」
それでもこんなふうに近くに来てほしいと思ってしまうから本当に厄介だ。




