151.メイドのお仕事
あの後ルカと部屋に戻って話をしようとしたら、もう遅いからとさっさと帰られてしまった。
仕方ないから普通に寝て、いつもの時間に起きて、ルイス殿下のガウンを持って帰ってきてしまったことに気付き慌てて部屋のクローゼットに隠したところにサラがやってきた。
「お嬢様、おはようございます。昨晩はゆっくりお休みになれましたか?」
「え、ええ! 昨日と違って今日は元気よ」
もちろん寝不足だ。
いつもより睡眠時間が短かいから眠い。が、普通に過ごすぶんには支障はないので昨日みたいにお昼寝はしない。
また寝起きに殿下があらわれたら困るし。
「メイドのお仕事を見学なさりたいとおっしゃっていらしたので準備をしております。朝食の後ご案内いたしますね」
「ありがとう。こんなに早く見られるなんて思ってなかったわ。さすがサラね」
どこかにあらわれるはずのエルフを見つける方法として、まずメイドの確認からはじめることにしていた。
もちろん私はメイドの顔も名前も知らないし、そもそも屋敷の使用人の殆どはまだ認識できない。けれどサラやエリックならある程度知っているだろうしメイド長なら全員把握しているだろう。
確認しなければならないのは全員が認識できないメイドがいるかどうかの確認だ。
夏休み初日にルカと外出したときに、ルカの魔法で私達を見えないようにしてもらった。
しかし周囲の人々は私達にぶつかることはなかったし、声をかければ反応してくれていた。
そのことから、あのときの魔法は個を認識することが出来なくなっただけで、私達の存在が見えなくなるわけではない……のだと思う。
もし件のエルフが同じような魔法を使って屋敷の中に入り込んでいるのならば、存在しているけれど認識できない人間を見つければいい。
まあさすがにエルフがメイドのふりして紛れ込んでるなんて都合のいいことはないだろう。しかしそこに居ないという確認をすることも大切だ。定期的に確認はしていくつもりだけど、あまり期待はしていない。
この確認を真っ先にやるのは以前私がメイドに紛れて仕事をしようとしたことが知れ渡っているために最も自然に確認できる場所だったからだ。
もちろん私用のメイド服も用意してもらった。今回は正式にお願いしたので堂々とメイド体験ができる。ちょっとだけ楽しみだ。
「まず洗濯場へ行きましょう」
メイド長に連れられて訪れたのは屋敷から離れた場所にある小さな小屋だった。
もちろんクリスとエリックにも同行してもらっている。クリスにはめちゃくちゃ反対されたけど無理やり押し切った。
今も私の後ろで不機嫌な顔してるはずだ。
「汚れたシーツや衣服をここで洗っております」
その場にいるメイドの数を数える。一、二、三……十人いる。
髪の色は黒が多い。六人が黒で三人が焦げ茶。
メイドは平民の子だから濃い髪色の子ばかりだ。顔は……じっくり見てもどうせ覚えられないから諦めよう。
目の前にいる子達は今桶でシーツを洗っている。奥の子達はシャツを洗っている。
魔法があるのにこういう仕事は原始的だ。やっぱり平民の仕事は不便なんだな。
「本当にメイドの仕事をやる気ですか?」
クリスは心底嫌そうな顔をしている。
「ええ。ダメなの?」
「公爵令嬢が洗濯するなんて有り得ません。今すぐ戻って着替えましょう」
「嫌よ。メイド服可愛いでしょ?」
「普段のドレスの方がずっと可愛いしお嬢様に似合っています」
「あら、そんなふうに思ってくれてたのね。あ、そうだ。メイドのお仕事を一通り教えて貰ったらクリスのお世話してあげるわね」
「結構です。自分のことは自分で出来ます」
ますます不機嫌になったクリスはそっぽを向いた。なんとなくクリスの扱い方がわかってきたような気がする。
拗ねてるような態度はちょっと可愛い。この気持ちはマリアと私のどちらのものだろうか。
「洗濯は素材によって洗い方や使う洗剤を変えなければなりません。あちらでご説明いたします」
少し離れた場所に小さな椅子と机が置かれている。
促されるまま腰掛けるとサラがお茶を淹れてくれて、それを飲みながらメイド長の説明を聞いた。座学よりはメイド達の仕事を手伝いながら学びたかったけれど、メイド長が私のために用意してくれたのだから仕方ない。
話を聞きながらメイド長の顔を観察する。
髪は暗めの茶色。目は黒。肌は健康的な白さの中年の女性だ。
けれど彼女もまだ認識できない人の一人だった。髪の色や目の色、形などのパーツはわかるのにそれをまとめた一人の顔として認識することができない。
いつか彼女も認識できる日が来るのだろうか。
「では実際にやってみましょう。お嬢様に洗っていただくものとしてハンカチを用意しました」
メイド長が出したのはどう見ても新品のハンカチ。折り目までしっかりついている。
これメイドの仕事体験じゃなくてお嬢様のレクリエーション的なやつだ。
用意されている桶も装飾のついた煌びやかなものだった。明らかに私のために別途用意されたものなのだとわかってしまう。
「あっちで他の子と一緒にやるのはダメかしら?」
「あちらで洗っているものは大きくて重いものばかりですので、お嬢様はまず小さなものから試してみましょう」
今回のこれはメイドの仕事を体験する目的がメインではないから困った。
メイド達としっかりと関わって、ここにいるはずのない人物を探し出さなければならないのに……。
まあいいか。
どうせこんな場所にエルフがいるわけないんだし、ここで駄々を捏ねてしまったら今後動きづらくなるかもしれない。
メイド長の指示に従って新品のハンカチを洗った。もちろん汚れなんてついてないから洗い上がったハンカチは正真正銘の真っ白だ。
それを干して次の仕事場に移動する前にメイド長に問いかける。
「今ここにいる子達の名前を教えてくれるかしら」
「はい。右側からベルタ、カミラ、エラ、エルゼ、レーナ、カリーナ、マルタ、ハンナ、イーナです」
「…………ありがとう。助かったわ」
ここにはメイドは十人いたはずだ。そしてメイド長が口にした名前は九人。
まさか最初から正解を引き当てるなんて思わなかった。
エルフがこんな場所で何やってんだ。洗濯なんて楽しくないだろうに。
もしかしてここに何かあるのだろうか。
喜ぶべきことなのに予想外すぎて動揺してしまう。
「次は厨房へ向かいましょう」
気にはなるがそれを今ここで確かめることはできない。
夜にこっそり抜け出して調べてみようかな。そう決意して洗濯場を後にした。
その後厨房での野菜の下ごしらえとエントランスの掃除の見学をした。
もちろん私は大したことをやらせてもらえなかった。メイド服を着て意気込んでいただけに少し残念だ。
そしてキッチンでもエントランスでも念の為に洗濯場と同じ確認をしたのだが、どちらにも一人ずつ認識できないメイドがいた。
正直混乱している。
エルフはそんなあちこちに潜んでいるものなのか。いや確かにエルフは一人しかいないなんてあの人は言ってなかったけど。
エルフって増殖するの? それとも仲間を呼んできたの??
何にしても少し落ち着いて考えなくては。
着替えるために部屋に戻ると珍しくクリスもついてきた。
サラはお茶の用意をすると言って今は部屋にいない。エリックも少し用事があるとかで席を外している。
なので今は不機嫌なクリスとメイド服姿の私、二人きりだ。
いつも男と二人きりになるのはダメだと言っているのに今日は何も言わないのがちょっと怖い。なんかめちゃくちゃ怒ってそう。
まあ気にしないけどね! クリスの機嫌や小言を気にしていたら何も出来なくなるし。
ソファーに腰を下ろした。
何だかんだで二時間弱歩き回っていたのだ。それなりに疲れてしまった。
クリスは……ソファーには座らないようだ。少し離れた場所で腕組みして立っている。
「満足したか?」
「ううん。大したことやらせてもらえなかったもの。だからまたお願いするつもり」
「もうやるな。マリアは貴族なんだぞ。平民の真似事なんてするな」
「貴族なのはお父様よ。私は貴族の娘というだけで働いてる子達と何も変わりないわ」
「公爵令嬢が平民と同じわけねぇだろ。何寝ぼけたこと言ってんだ」
やっぱりクリスはかなり苛立っているようだ。
そんなに私がメイド服着て働くのが目障りなんだろうか。……まあメイド達にとっては迷惑か。
けれどクリスには関係ないはずだ。手伝ってもらっているわけでもないし、今回はちゃんと手順を踏んでやっているわけだし。
うん、なんかめんどくさいな。適当に茶化して話を終わらせよう。
「ついてまわるのが退屈なら部屋で休んでてもいいのよ。終わったらちゃんとお迎え行くから心配しなくてもいいわ」
「そういう事を言ってるんじゃねぇよ」
「じゃあ寂しいから拗ねてるの? メイド長と話してる間構ってあげられないものね。クリスのこと忘れたりしないから大丈夫よ。ほら、お詫びにいい子いい子してあげる」
笑顔で両手を広げた。
けれどクリスは驚いたような顔をして固まっている。
怒って話を切り上げるだろうと思っていたのに、どうしてそんな顔をしているのだろうか。
「クリス?」
「…………そういう事を言ってるんじゃねぇよ」
苦しげに呟いたクリスはそっぽを向いた。
想定と違う反応に焦る。何か変なことを言ってしまったのかも。
いや、変なことしか言ってないんだけど、そんな顔されるようなことを言ったつもりはなかった。
「ご、ごめんね。私何か気に触ること言っちゃった?」
「別に……」
こちらを見ようともしないクリスにどうしていいかわからなくなってしまう。
今すぐ謝ってもう二度とメイドの真似事なんてしない、と言ってしまいたい。
クリス相手にこんな気持ちになるのは間違いなくマリアの影響だ。
私の考えで行動してもマリアの感情によって言動がブレてしまう。非常にやっかいだ。
とはいえ自覚があるから気を付けていれば対処可能なはず。
「ねぇ、疲れてない? すぐにサラがお茶とお菓子を持ってきてくれるから座って待っていましょう」
「俺はこのままでいい。護衛が座ったらすぐに動けないだろ」
「護衛じゃないわ。クリスは私の大切な家族よ」
「……エリックがいないんだから今は俺が護衛だ」
クリスは私の方を見てくれない。
別に気にしなくていいと思う私と、気になる私がせめぎ合っている。
なんでこんなどうでもいいことで悩んでいるんだろう。もっと考えなければならないことは沢山あるのに。
「じゃあ私もクリスの横で立ってるわ」
立ち上がってクリスに近付き顔を覗き込んだ。
「馬鹿なこと言うな。マリアは座ってろ」
「嫌よ。だってこうしないとクリスは私の事見てくれないじゃない」
クリスは私の言葉に小さく吹き出した。
いけない。言葉を間違えた。
これじゃ構ってちゃんのめんどくさい女だ。
「今のは違うから! 言葉を間違っただけなの。クリスがいつもと違うから動揺してるだけなのよ!」
「そうだったな。俺はお姫様をちゃんと見てないといけないんだったな……」
顔をくしゃっとさせて笑ったクリスが何故か泣きそうだと感じて手を伸ばした。
けれど頭を撫でようとした手は、クリスに優しく掴まれてしまった。
「そういうことしてもらうような時期はもうとっくに過ぎてるんだ。不用意に男に触ろうとするのは止めろ」
「クリスは私の家族よ。家族に対して男だとかどうとか考えないわ」
「…………お姫様は俺が何を言っても聞く耳持たないんだろうな」
「そうよ。私が勝手に家族だと思ってるだけだから、クリスに何を言われたって変えるつもりはないわ」
自然とそんなことを口にしていた。
私にはクリスを家族だと思えるほどの関わりはない。だからこれはマリアの気持ちから出た言葉だ。
クリスは呆れたように笑っている。
それを嬉しいと感じてしまう。嫌いなはずのクリスと一緒にいたいと思ってしまう。
その正反対の感情が気持ち悪い。
厄介な問題がまた増えてしまったことに辟易した。




