150.夜中の訪問6
まだ時間がかかると思っていたのにどうして戻ってきているのか。しかも窓から入ってきたなんて。
ううん、そんなこと考えてる場合じゃない。早く離れて誤解を解かないと。
「ちがっ! これは……」
急いで体を離そうとしたが、ルイス殿下の腕が背中に回されてて離れられない。
それどころかより強く抱きしめられている。目の前にはルイス殿下の胸元しか見えない。
「別に何もしていない。襲ってもいないしマリアに嫌がられるようなことは一切してないぞ」
「じゃあどうしてそのような状況に?」
「愛する恋人を抱きしめることがそんなに悪いことなのか?」
ルイス殿下はフランツ殿下を煽るように私の手の甲にキスをした。
これはわざとやってるんだ。
何度も私を抱きしめてきたのも、抱き合ってる場面を殿下に見せたかったからだろう。
性格悪っ!
そういうのはちゃんと事前に話してほしかった。いや、事前に言われたら絶対に反対したと思うけど……でもわざわざこんなことしなくてもいいのに。
「……クリスに言われたことをお忘れですか?」
「必要以上に触れるなというあれか。……今頃マリアは自分の部屋で休んでいるはずだ。居ないはずの人間に触ることなどできないだろう?」
すごい屁理屈だ。
確かに私は今部屋で寝ていることになっている。ここへ来たことを知るのは皇子二人とルカの三人だけ。そしてこのことは決して口外できない。
いやだからってそれを今持ち出す??
「ルイ、そういうのは大人気ないんじゃ……」
「マリアは俺に触れらるのは嫌か?」
「嫌じゃない……けど……」
「なら問題ないな」
問題しかない。
兄弟仲を悪くしてどうするんだ。
それでもここで私が少しでも嫌がる素振りを見せれば全てが台無しになる。
「…………でも傷付けるようなことを言うのはやめて」
「わかっている」
勝手に修羅場にしておきながらなんでそんな余裕な表情してるんだ。
「いつまでそうやってるつもりですか?」
「俺としてはいつまでもこうしていたいんだが……」
「そういうのは恥ずかしいから二人きりの時だけにして」
「お前が望むのならそうしよう」
ルイス殿下は笑ってそう言うとあっさりと解放してくれた。
あからさまに距離をとるのはまずいよね。
少しだけ横に移動して殿下の様子を伺う。
目は合わなかった。眉間に皺を寄せて不快感を露わにしているが、私達を視界に入れたくないのかソファーとは別の方向へ視線を向けている。
嫌われたのかもしれない。
仕方ないとは思うけれどそれを苦しいとも思ってしまう。
「先生はまだ戻らないのか?」
「……もう少し時間がかかると言っています。日付が変わる前には戻るそうです」
長くても一時間以内には帰ることができるのか。
私がここに来てから二時間が経っていた。少しと言っていたのに随分と時間がかかっている。
というか殿下のところに一度顔出したんだな。私のところには来てくれないのに。
「そうか……」
ルイス殿下は小さく呟くと黙り込んだ。
沈黙が痛い。
鳩尾あたりの圧迫感と手足の先が冷たくなっていく感覚に息苦しさを覚える。
この場所から早く離れたかった。
「マリアは眠たくなったら眠るといいよ。悪夢を見ないよう僕が隣に居てあげるから」
先程までの表情が嘘のように、殿下はいつもの明るい声でそう言うと私の隣に座った。
混乱して固まってしまう。どう反応するべきなのかわからない。
さっきの修羅場は私が見た幻だったのだろうか。
殿下はいつもの表情だ。怒っても悲しんでもいないように見える。
むしろなんだか楽しそうに見える。わけがわからない。
「何? 僕の顔に何かついてる?」
「いえ……」
「あ、ソファーじゃ眠れない? 確かに兄上が隣に居るからマリアが横になる場所がないね。仕方ないからベッドに行こうか。大丈夫、ちゃんと添い寝してあげるよ」
私はこれにどう反応したらいいんだろうか。
怒ってるんじゃないの? なんで笑ってるの??
殿下はいつも切り替えの早い人だったけれど、この状況下でこんなふうに振る舞う理由はなんだろう。
返事ができないでいる私に、殿下は少し気まずそうな顔をして小さく笑った。
「あー、うん、大丈夫だよ。他意はないから。僕は君の身体が心配なだけだ」
「はい……」
その言葉を信じる気にはなれなかった。
殿下を傷付け続けている私を心配する道理なんてない。
「ごめん、いつも通りにしようとしてから回ってるね……。でも君の身体が心配なのは本当だよ。夢の内容も気掛かりだし、しっかり眠れてないっていうのも気になってるんだ」
困ったように笑って殿下は私の手をとった。
手が温かい。その温かさに泣きたくなった。
「…………僕にとって君は大切な人だ。これまでも、これからもそれは変わらない。君が誰を選んでも、君が何をしたとしても……僕は君の幸せを願っている」
今この場でそれを私に伝える意味はなんだろう。わからない。
「もちろん誰かを傷付けたり罪を犯すのは駄目だよ。皇子としてそれを見過ごすことはできないからね。僕は君のことを大切に思っているけれど、それ以上にこの国を守らないといけないから。でも……そうでないのなら君は好きにするといい」
「…………私は……、フランツ様を傷付けています。……どうして怒らないのですか?」
ずっと気になっていた。
殿下は私が何をしても許してくれる。
どうしてそんなことができるのだろう。好きだからという単純な理由ではないはずだ。
殿下は少しだけ驚いたような顔をした後苦笑しながら答えてくれた。
「それは必要がないからだよ」
「どうしてですか……?」
「僕は……僕より君の方が大切なんだ。だから君が傷付いてないなら怒る必要がない」
その言葉は私の心を深く抉った。
「嫌な気持ちにならないってわけではないし傷つかないわけでもないんだけど、君の顔を見たらどうでもよくなるんだ。不思議だね」
だから大丈夫、と笑った殿下を見ていることが出来なくて俯いた。
罪悪感で胸が苦しくなる。
「そこまでだ。俺がいるのを忘れて二人で会話するのはやめろ」
ルイス殿下に抱きしめられてフランツ殿下から離される。
その強引さに驚いたけれど、おかげで気が紛れた。
私が罪悪感で苦しんだところで何にもならないのだ。今は怪しまれないようマリアとして振る舞わなければならない。
「ごめんなさい。次から気をつけるわ」
「気をつけるだけでは足りないな」
身体を持ち上げられて膝の上に座らされた。
あまりにも予想外の行動に焦ったが、どう反応するのが正解なのかがわからない。
嫌がるのはダメだし喜ぶのも無理だ。かといって無反応も違う気がする。
混乱している私を気にすることなくルイス殿下は再び私を腕の中に閉じ込めた。
「先程お前を離したのは間違いだった。ずっとここにいろ」
「っ、でもさっき二人きりのときだけにしてって」
「それは撤回する。お前は目を離すとすぐに他所を向いてしまうようだからな」
額に唇が触れた。
この場面でなんでそんなことするの!?
私の気持ちを少しは汲んでよ! 恥ずかしいって言ってんじゃん!!
なんてことは口に出せないので心の中で叫ぶだけに留めておく。
女性に対して強引に迫るのがこの国のスタンダードなの?
あ、でも確かに今までそうだったかも。ルカも殿下も私の気持ちはお構い無しで迫ってきてた。
「お前は俺だけを見ていればいい」
強く抱きしめられて視界が遮られた上に甘い香りが邪魔をして考えが纏まらない。
そんなときに聞こえてきたのはルカの声だった。
「遅くなって悪かったな。………………なにやってんだお前ら」
その呆れたような声に苛立ちが募る。
そもそもルカが突然私をここに放り出して、しかも二時間以上も戻ってこなかったのが悪いのに。
部屋に戻ったら絶対に文句言ってやるんだから!




