146.夜中の訪問2
「大丈夫か?」
その問いかけに首を横に振る。
少しも大丈夫じゃない。
下着のような格好で夜中に突然現れるなんてどう考えても頭おかしい。
それを好きな人に見られた。彼の兄にも見られた。そして取り乱して泣いてしまった。
その全てが恥ずかしい。
いっそ死んで消えてしまいたい。
あの後パニックに陥って泣き出した私にルイス殿下がガウンを肩に掛けてくれた。
その後今いる場所と状況を優しく教えてくれたおかげで少しだけ落ち着くことができた。
ここはルイス殿下の部屋なのだそう。
ベッドと応接セット、机といった家具はあるが生活感はなく高級ホテルのような部屋だ。
そういえば殿下の部屋も似たような感じだった。
半ば抱きかかえられるように移動させられ座らされたソファーはふかふかで座り心地がいい。これも殿下の部屋と同じだ。
「どうしてこんな時間にここに来たの?」
「わ、わかりません。部屋に、いたら……ルカが突然、っやってきて……」
大泣きしたからスムーズに喋ることができない。頭も痛いし何も考えられない。
右隣にいる殿下は慰めるように優しく私の背中を撫でてくれた。
「今はこの部屋には俺たち二人しかいない。誰も来ないから安心していい」
左隣にいるルイス殿下にそう言われて頷く。
こんなところを誰かに見られたら大事だ。
ただでさえルイス殿下との婚約の話でややこしい事になっているのに。
こんなのどう見ても私が夜這いしに来たようにしか見えない。
しかもヒラヒラ透け透けの寝間着で。どう見ても誘惑する気満々だ。
そんなのお父様が知ったらきっと卒倒してしまう。
私もできるなら気絶したい。こんな醜態を晒しただなんて夢だと思いたい。
「ハーブティーでも飲む? 少しは落ち着くと思うよ」
その提案に素直に頷くと殿下は立ち上がって離れていった。
でもここで落ち着いてしまったら逆効果なんじゃないだろうか。
現実逃避したい。今起きてることをすべて無かったことにしたい。
そして早く部屋に帰りたい。どうしてこんなところにいるんだろう。
「はい、どうぞ。カモミールティー、好きだよね?」
そうだったっけ。
お礼を言ってカップを受け取った。
仄かな甘い香りにほっとする。一口飲むとよく知っているカモミールティーの味がした。
……けれどなんか美味しくない。嫌いじゃないけどなんかダメだ。
せっかく殿下が淹れてくれたお茶なのに。
もとの私はカモミールティーは好きでも嫌いでもなかった。殿下曰くマリアはカモミールティーが好きだったらしい。
なのにどうして美味しく感じないんだろう。
何にしてもここで露骨に嫌な顔をすることはできない。
なんてことない顔をしよう。顔に出さなければバレないはずだ。
カモミールティーの味に集中するのはよくない。気を紛らわせるために改めて自分の置かれている状況を確認した。
今いるのはルイス殿下の部屋のソファーの真ん中。左隣にルイス殿下、右隣にフランツ殿下。
夜遅いからか二人とも比較的ラフな格好をしている。顔がいいから着飾らなくても見栄えがいいのはずるいと思う。
そして私はヒラヒラで透け透けな寝間着の上にルイス殿下から借りたガウンを羽織っている。
体格差があるからすごくブカブカだ。なんか彼シャツっぽい。
シャツでもないし彼でもないけど。
あれ、これなんかすごい状況じゃない?
お茶なんて飲んでる場合じゃない気がする。
「……どうしてルイス殿下の部屋にいらっしゃるのですか?」
「それは……兄弟なんだから一緒にいたっておかしくないだろう?」
「仲直りしたのですか?」
二人の間には昨日のような険悪な空気はない。普通の兄弟のような和やかな雰囲気に少しだけ嬉しくなる。
さっきも当然のようにカモミールティーをいれてくれたけれど、ここがルイス殿下の部屋なら殿下が茶葉やカップを用意できることに違和感がある。
あれ、実は仲悪くなかったのかな。
「もとから喧嘩なんてしてないよ。それに、君が泣いてる横でいがみ合うのは流石にね……」
「もう泣いていません」
「うん、そうだね」
「寒くはないか? 何か欲しいものがあれば遠慮なく言うといい」
「大丈夫よ。ありがとう。……こんな急に来てしまってごめんなさい」
「気にするな。お前のせいではないんだろう?」
「それでもこんな夜中にこんな格好で……。っこれ、いつも頼んでるドレスショップのオーナーが新しい生地を作ったからって贈ってくれて、今日はたまたまこれを着ただけでいつもはこんなのじゃなくて……」
自分で言ってて悲しくなってくる。
でも触れられない方がずっと恥ずかしい。いっそ全て説明してしまった方が気が楽だ。
それに毎日この格好で夜を過ごしているなんて思われたくない。殿下はルカが定期的に私の部屋に来ていることを知っているのに。
また少しだけ涙が滲んできた。
「大丈夫、わかってるよ。いつもは丈が長くて肌が見えない寝間着を着てるよね」
「だ、だから別にいかがわしい気持ちがあるわけでもないし、そういうことしたいわけじゃないから……!!」
「落ち着け。別にそんな風に思ってなどいない」
本当にそう思っているのだろうか。
「せっかくだから楽しい話をしよう。ルカは何度呼んでも来る気配がないし、しばらくここに居るのなら楽しく過ごした方がいい。ほら、もう泣かないで」
「……もう泣いていません」
「うん、そうだね」
ちょっと涙目になってしまったかもしれないけど泣いてはいない。
殿下は苦笑しつつ頭を撫でてくれた。
また妹扱いしてる。あ、もう婚約者としてではなく妹として扱う宣言されてるからいいのか。
「そういえばマリアは夏休みにクラウス領へ帰らないの?」
「帰ることができるなら帰りたいですが……」
帰るにはお父様の許しがいる。
これまで何にもなかったけれどマリアが狙われているという話はどうなったのだろう。なんなら守ってくれるはずのルカが一番の脅威だけど、それでも警戒はしないといけないのだと思う。
そう考えると長距離の移動は難しいかもしれない。
帝都周辺の観光地に行くだけでも五十人もの騎士を連れて行くよう言われたのだ。
片道三日もかかる領地へなんて許してもらえるとは思えない。
「じゃあ僕と一緒に帰ろう」
「え?」
「公爵には僕から話しておくよ。大丈夫、何があっても僕が守るから」
その言葉に胸がときめきそうになる。
けれど妹として扱われるのだからドレスが薄手すぎるとかもっと食事をとれとか早く寝ろとか足元を見て歩けとか言われるんだろうな、なんて思うと上がりかけたテンションは一瞬で下がってしまった。
別に過保護でシスコンな彼が嫌なわけではない。むしろ可愛いと思うけれど、それとは別で幼児扱いされる事には抵抗がある。
マリアの年齢的にも私の年齢的にもそういうのはちょっとキツい。
「それは聞き捨てならないな。マリアを守るのは恋人である俺の役目だろう?」
ルイス殿下は恋人という言葉を強調しながら私の肩を抱き寄せた。
フランツ殿下の匂いに似た甘い香りが鼻腔を擽る。
やっぱり顔がいい男はこの匂いを標準装備しているのだろうか。フェロモンかな?
「兄上はマリアのこと何も知らないじゃないですか。僕はずっと一緒にいたので彼女のことを何でも知っています。それに……兄上はルカを使えない。マリアは僕といる方が安心できるに決まっている」
「知らないことがあったとしても何も問題ないな。マリアはこれからずっと俺の隣にいるのだから尋ねればいいだけだ。それに先生の力が必要だというのならマリア自身が先生の力を借りるだろう。お前でなければならない理由はない」
これはルイス殿下の方が優勢だな。
とは言っても私の意思を確認しない時点で二人とも失格だ。
別に合否なんてないけど。
「……例えそうだったとしても兄上は向こうの屋敷のことを知らないじゃないですか。使用人のこともどこに何があるのかも……。知らない場所で完璧に立ち回ることは難しいでしょう」
「お前は今後知らない場所にマリアを連れて行くことはないとでも言うのか? どんな場所でどんな事が起ころうとも守れなければ意味が無いだろう」
私を置いてけぼりにして二人の応戦は続く。
けれど二人の間に流れる空気は昨日と違って少し穏やかだ。
私が泣いていたからだと言っていたが今もそうなのだろうか。
というか本当に私に気を使うつもりならちゃんと徹底してくれ。軽くでも口論するんじゃない。内容が内容なだけに居心地が悪いんだけど。
しかもその口論はどんどんヒートアップして私を守る話からどれだけ私のことを想っているかに変わっていた。
私を辱めたいのか? あと誇張表現が過ぎるのも本当にやめてほしい。
「いい加減にして! 間でそんなことを聞かされる私の気持ちも少しは考えてください!!」
二人は口喧嘩を止めて気まずそうに謝ってくれた。




