16.レオナルド・フォン・クラウス
夕食の後、私はお兄様の部屋に呼ばれた。
目の前に座っているお兄様は明らかに機嫌が悪い。
眉間の皺は深く刻まれ、指で机をトントンと鳴らしていた。これはイライラしているときにやる癖だとマリアは知っている。
それはそうとして、イケメンは怒っていてもイケメンだ。
殿下とはまた違った美しさがある。
「お兄様、なにもそこまで怒らなくても……」
「怒るに決まってるし許可できるわけがないだろう。グレーデン男爵令嬢と二人きりで街に出かけるなんて」
じろり、と睨まれて出しかけた言葉を飲み込む。
クラウス公爵家ではなぜかお兄様がマリアのお目付け役を務めていた。
父親でも成人している長兄のヨハンでも侍女のサラでもなく、一つしか年齢の違わないレオナルドがそうするのには理由がある。
全員がマリアに甘すぎるのだ。
マリアのお願いにNOと言えない大人を見かねてレオナルドは彼女に厳しく接していた。
それでもマリアは家族の中で一番レオナルドを慕っていたし、駄目だと言われたことは決してやらなかった。
だから私がマリアとして何かをしようと思ったらまずお兄様の許可をとる必要がある。
機嫌のよさそうなタイミングでそれとなくお伺いを立てたのだが、結果はこうなってしまった。
「そもそも貴族が護衛もなしに外を出歩くなんてあり得ない。襲ってくれと言っているようなものだ」
「帝都はこの国で最も治安のいい場所なのでしょう? 街にも衛兵の方々がたくさんいらっしゃると聞いております」
「それでも、だ。お前は公爵家の令嬢という自覚がないのか? 何かあってからでは遅いんだ。護衛は必要だ」
お兄様からは絶対にうんと言わないぞ、という決意を感じる。
これはかなり骨が折れそうだ。
女子の買い物に男性を連れていくのはできれば避けたいのだが。
なんというか雰囲気ぶち壊しになるじゃない?
二人でキャッキャウフフしてる傍らに仏頂面の護衛がいるんでしょ? 想像するといたたまれない気持ちになる。
「お兄様、私こういうときのために魔道具を集めていましたの」
そういってお兄様の目の前に並べたのは、リリーと攻略キャラの逢瀬を覗き見するために用意していた魔道具たち。
脚力強化の魔法がかかったアンクレットや人払いの結界を張るための水晶、魔法を探知してくれるペンダント、魔法を防ぐチャーム等々。
マリアは魔法の能力が高いのでこれらの魔道具はその補助として使用する。
高価なものではないが想定していた用途としては問題ないだろう。
帝都に来る前からサラに無理をいって用意してもらっていたのだ。
ものすごく反対されたけれど連日粘って泣き付いた末ようやく協力してくれるようになったのだ。
「前々から一人で街を歩いてみたいと思ってましたの。だからお願いします」
「……ダメだ。そこまでやっても完璧ではない。お前は知らないだろうが、公爵家の人間を恨むやつらは山程いるんだ」
「でも嫌なんです」
お兄様は何がなんでも反対するつもりらしい。
本来のマリアならばここまでで引き下がっただろうが、あいにく私はマリアではない。
どうにか粘って許可を勝ち取りたい。
「マリア、どうして今回はそんなに強情なんだ。お前は友人だと思っているかもしれないが、彼女もお前のことを友人だと思っているとは限らないんだぞ」
「お兄様!!」
マリアは公爵令嬢で、リリーは男爵令嬢で。
地位の低いものが高いものに媚びへつらうのはよくあることだ。
そしてそうやって寄ってきたものたちの中には弱みを握って足元を掬おうとする不届きものだって紛れている。
だからお兄様の言うことはもっともだ。
確かにリリーは父親にマリアと親しくするよう言いつけられている。
その目的はゲームでは明らかにされなかったのだが、きっとクラウス公爵家とのつながりを作りたかったのだろう。
マリアと仲良くなった二つのルートでクラウス公爵家が没落するような結末はなかった。バッドエンドでなければマリアも生存していたし陥れられたりしてもいない。
何にしてもリリーはマリアを害するようなことは絶対にしないはずだ。
「リリー様は私の友人ですわ。偶然会って私から友人になりたいとお願いしたのですから」
「お前がそう思ってるだけだ」
「私だってもう子どもではないのですから信用してください。信頼できる方かどうかは自分で見極められます」
「だとしても護衛は必要だ。二人きりで出かけて何かあったらどうするんだ」
「どうして護衛が必要なのです? 昔ヨハンお兄様とお出かけしたときは護衛なんて連れていきませんでしたわ」
「……今は昔とは違うんだ」
怒りとはまた違う、苦渋に満ちた表情でそう返してきたお兄様を見るともうこれ以上反抗しないほうがいいように思えてきた。
お兄様はどうしてここまで反対するのだろう。
少し買い物に行くだけだ。
しかもその場所は人通りの多い大通り。帝都の人々が日常的に行き交う場所で、不審者や浮浪者が彷徨けるような場所でもない。
ここまで心配されるような場所では決してないはずだ。
もともと、マリアを溺愛していたのは父親であるカールと長兄であるヨハンの二人だ。
母親はマリアを産んですぐ亡くなっているため、レオナルドとマリアは母親の愛情というものを知らずに生きてきた。
だからレオナルドは父と兄がそうするようにマリアに接した。
マリアを愛さなければ家族として認められない、と思い込んでいたのだ。
お兄様は本心ではマリアのことを愛していない。
だからマリアが帝都に来てからお兄様は屋敷に帰ってこなくなった。
もちろん本当に忙しいのもあるだろう。
それでも宰相の父よりも忙しいなんてあり得ない。お兄様はマリアを避けているのだ。
だからこそこの過保護さがひっかかる。
そういえば先日出掛けたときには殿下が大層な護衛を引き連れてやってきた。それも関係あるのだろうか……。
「……わかりました。護衛をつれて出掛けます」
「わかってくれたようだな」
ほっと安堵の息を漏らしたお兄様の言葉に被せるように次の言葉を並べた。
「ただし護衛の方は一人でお願いします」
「だめだ。最低でも五人は連れていけ」
「絶対に嫌です! そんなにぞろぞろと護衛を連れていたらせっかくのお出かけを楽しめません!!」
街で護衛を五人も引き連れて歩いていたらどうなるか。
ものすごく浮いてしまう。そして遠くでひそひそされてしまう。
それは先日の殿下との買い物で経験済みだ。
私はお店を回ったりお茶したり、とにかく普通に楽しみたいのだ。
「お兄様、お願いです!」
目に涙を潤ませて懇願してみる。
この時点ではお兄様はマリアを愛しているのだと自分を騙している状態なのでマリアが頼み込めば首を横にふることはないだろう。
父や長兄がそうするように、妥協してくれるはずだ。
「………………わかった。ただし、護身用の魔道具をいくつか持つことと、周囲に護衛を配置しておく。譲れるのはここまでだ」
「ありがとうございます!」
喜ぶ私とは対照的にお兄様は心底疲れ切った顔をしてらっしゃる。
わがままを言ってしまって申し訳ないが、だからといって譲るわけにもいかなかったのだ。
今度何かお兄様の喜ぶことをして埋め合わせしなければ。
そう考えながら私は一礼して退室した。
 




