142.散歩4
食事の後は涼しい部屋で本でも読みながらのんびり過ごそう。
殿下もお兄様も忙しいはずだしいつまでもここにはいないだろう。クリスがうるさかったら昼寝でもして時間を潰せばいい。
夏休みなんだからダラダラする日も作らないと。
そう思っていたはずなのにいつの間にか殿下と一緒に散歩する事になっていた。
もちろんクリスもエリックもお兄様も一緒。どうしてこうなった。
「昨日頑張ったのだから今日は休んでもいいんじゃないかしら」
「はじめたばかりでサボろうとするな。こういうのは毎日やって習慣にしないといけないんだよ」
「大丈夫、疲れて動けなくなったら僕が抱いて歩いてあげるから」
「お前は何寝ぼけたことを言ってるんだ」
クリスのツッコミに内心同調してしまう。
昨日ルイス殿下に言ったことを忘れてしまったのか。
というかお菓子作りしてるときもそうだけど、どうして以前と変わらない態度で私に接することができるんだろう。
好きという感情だけで私のこれまでの行いを許容できるものなのだろうか。
…………普通は無理だと思う。
こっちには寝取られなんて嗜好はないだろうけどそういうのがいける人なんだろうか。
「あはは、冗談に決まってるじゃないか。でも君が望むのなら頑張るよ」
「つ、疲れたらどこかで休憩するので結構です」
狼狽えながらお断りすると殿下は残念、と笑って引き下がった。
その笑顔はいつもの笑顔で、私に対する不信感や怒りなんて少しもないように思える。
やっぱり私のせいで目覚めてしまったのかもしれない。どうにかノーマルな殿下に戻したいんだけど、こういうのって戻せるんだろうか。
「本当にただ歩くだけで何もないので……その、付き合っていただかなくても」
「僕達みんな甘いものを食べたんだから一緒に歩いた方がいいよ。みんなで歩いた方が楽しいしね」
私の言葉に被せるように殿下は言った。
強引だ。
私と違ってみんなは毎日動いてるからわざわざ歩く必要なんてない。
クリスやエリックはもちろんのこと、お兄様や殿下だって毎朝鍛錬しているらしい。
私がそれを知ったのは夏休みに入ってからだった。家族のことなのに知らないことばかりだ。
「あ、それとも僕と二人きりがいい?」
「えっ」
「もういいから行くぞ」
痺れを切らしたクリスが私と殿下の間に割って入って来た。促されるように背中を押されて歩き始める。
私の隣にクリス、その隣に殿下、そして少し後ろにお兄様とエリック。
傍から見ると異様な光景かも。
皇子に公爵家の血を引く四人。ここに隕石降ってきたら大惨事だなーなんて本当にくだらない事を考えてしまう。
いやもう本当になんなんだろ。全力で走って逃げたい。お部屋に引きこもりたい。引きこもったところでクリスが部屋の前で待機するから精神はまったく休まらないけど。
今日は昨日とは逆のルートで行くらしい。
今いる位置からは私の部屋のバルコニーが見える。
昨夜みたいに壁をよじ登って部屋に戻りたいな……。
「昨日もここを通ったの?」
「ああ。昨日は東側から出発して北側の薔薇園まで行ってこっちから帰ってきたんだ。今日は東側の四阿まで行くぞ」
あ、目的地は変えるんだ。
ここから東側の四阿までなら十五分かからないくらいだろうか。それなら昨日みたいにクタクタにはならないだろう。よし。
「…………もちろん少し遠回りするからな」
ほっとしていると釘を刺された。
そこまで頑張らなくてもよくない?
今日食べたのはシフォンケーキだよ? いつものおやつに比べて軽めじゃない??
そんな文句なんて言える訳もなく、私はクリスの言葉に渋々頷いた。
散歩は昨日と違って賑やかだった。
殿下とクリスとお兄様が主に会話をして私とエリックは聞いてるだけ。
会話の内容は学園の友人の話や最近流行っているらしいボードゲームの話、新しく出来たお店の話、そしてヨハンお兄様の近況と取り留めのないものばかりだった。
いつの間にか私の隣にエリック、クリスと殿下の隣にお兄様という並びになっていた。
昔話もないし楽しそうに会話している殿下とお兄様を眺められるしこれはこれで幸せかもしれない。
「疲れていませんか?」
エリックが優しく問いかけてくれた。
歩き始めて十五分くらいだろうか。昨日の疲れが残っているのか少し足が痛くなってきていた。
目的の四阿まではもう少しでたどり着く。
私の体力のなさを考慮してくれたのか寄り道は本当に少しだけだった。
「少しだけ……。でも大丈夫よ。それより今は昨日みたいに話してくれないの?」
「今日はお休みの日ではありませんから」
「でもお昼一緒に食べてくれたじゃない。それに今は誰も見てないわ」
「……今日はクラウス公爵家の騎士としてお供させていただいておりますのでそのような態度は出来かねます。ご理解ください」
きっぱりと拒絶された。
少しだけ……ううん、かなりショックだった。
普通に考えたら当たり前のことだ。
エリックは今騎士の仕事として私についてきてくれている。私がそれを望んだから。
騎士としてではなく従兄としての態度を求めるのはエリックに仕事を放棄しろと言っているようなものなのだ。
「無理を言ってしまってごめんなさい……」
少し考えればわかることなのにどうして口に出してしまったのだろう。
後悔の気持ちが胸の底に溜まって苦しくなる。
気持ちを切り替えよう。
私はこんな些細な事で落ち込むような繊細な人間じゃない。
小さく息を吐き出したその時、左方からカサカサという異質な音が聞こえた。
嫌な予感がしてそちらへ目を向けると、そこには昨日頭上から降ってきたのと同じような白い蛇がいた。
叫びそうになるのを必死で堪える。
昨日と違って蛇との距離はそれなりにあるし、何より殿下が近くにいる。醜態を晒す訳にはいかない。
「お嬢様!」
エリックが私を呼んだのとその蛇が動きはじめたのはほぼ同時だった。
身体をくねらせて真っ直ぐにこちらへやってくる。
なんか早いんだけど!!!!
気持ち悪い! 無理無理無理!!
「きゃあああ!!」
蛇から逃げようとしたら脚が絡まってよろけてしまった。
転ける、と思った瞬間誰かが背中を支えてくれて転ばずに済んだ。
ふわりと甘い香りが鼻腔をくすぐり、一気に鼓動が早くなる。
慌てて背後を見上げた。
私を支えてくれたのはクリスだった。
それを認識するや否やテンションが一気に下がる。
「大丈夫か?」
「う、うん……ありがとう」
クリスは何も悪くない。
勝手に期待した私が明らかに悪いんだけど、このもやもやした気持ちをどう処理すればいいのか。
「お嬢様、これを“処理”してきますので少々お待ちください」
声をかけられてエリックの方を向くと、彼の左手には先程の蛇が握られていた。
捕獲されたのが気に食わないのか蛇はうねうねと忙しなく動いている。気持ち悪っ!
よく蛇を手で掴もうと思えるな。
私のためにやってくれていることなのだけど引いてしまうのは許してほしい。
本当に蛇は無理なのだ。そしてそれを触った人も無理。
幸いなことに今日は手袋をしているので素手で直接触っているわけではない。
……わけではないのだけれど、やっぱり蛇を掴んだのだと思うと近寄りたくない。
離れていくエリックの背中を見つめながら、どんな言い訳を作って彼を遠ざけるか思案する。
いい案はまったく浮かばない。
ここはもう昨日のように正直に拒絶した方が手っ取り早いかもしれない。
「マリアは蛇が苦手だったんだ……」
ぽつりとそう口にしたのは殿下だった。
「蛇も蜥蜴も駄目だな」
「レオも知ってたんだね。僕は初めて知ったよ。ずっと近くにいたのに……」
一緒にいる時に爬虫類に遭遇する機会なんてなかったから仕方ないと思うんだけど、殿下は落ち込んだように小さくため息をついた。
そういえばマリアはどうだったんだろう。私が見ることの出来る記憶の中には蜥蜴や蛇は出てこない。
「エリックが戻ってくるまで四阿で休んでようぜ。マリア、歩けるか?」
「だ、大丈夫だからそんなに支えてくれなくてもいいわ」
昨日のことがあったからなのかクリスは私を抱きしめるような形で支えてくれている。
いくら家族同然の仲でもこれはちょっと恥ずかしい。
「じゃあ僕と手を繋ごう。そうすれば危なくないよ」
「駄目に決まってるだろ」
すかさずクリスが却下し、殿下から私を隠すように前に出た。
「だいたいお前はマリアに近付きすぎだ」
「君だってマリアを抱きしめてたじゃないか」
「抱きしめてない、支えてただけだ。転ぶかもしれないんだから仕方ないだろ。俺は無意味に近づいたりしない。お前と違ってな」
「別に僕だって無意味に近付いているわけじゃないよ。第一マリアは嫌がってない」
「嫌がってるかどうかの問題じゃねえよ。周囲からどう見られてるのか少しは考えろよ」
なんでそんなに殿下に突っかかるんだ。
二人の仲ってそんな悪かったっけ?
でも昨日は普通に談笑してたのに。
「あいつらの事は気にするな。先に行くぞ」
呆れたような顔のお兄様に促され先に四阿へ向かう。
私たちが四阿の椅子に座って一息ついたころ、ようやく言い合いしていた二人は動き出した。
喧嘩するほど仲がいいってやつかな。
ルカと殿下もよく言い合いしてるけどびっくりするくらい仲いいもんね。
そういえば殿下が誰かと言い合いする場面なんて帝都に来るまで見たことなかった。
普段は大人びていて落ち着いている人だから年相応の子どもらしい反応は新鮮に感じる。
ずっと見ていたくなる。
もちろんそんなこと絶対にできないんだけど、今だけはこの幸せに浸っていてもいいよね。




