135.散歩3
ルイス殿下の武勇伝はよく知っている。
というか隠しキャラっぽいなと思って調べたからそれなりに詳しくなった。
四年前、ルイス殿下は帝国の北にあるガリアとの自衛戦争に参加した。戦況は厳しく、前線の部隊は壊滅寸前だったという。
その状況をひっくり返して敵を退けた立役者がルイス殿下なのだそう。
壊滅寸前からの逆転勝利なんてどう考えても話を盛ってるとしか思えないけど、北部出身の子は皆口を揃えてそう言う。
アデルなんてこれ以上ないくらいにルイス殿下を褒めたたえていた。
「もともとルイス殿下は誰よりも優秀で完璧な人だった。けれど、一つだけ欠点があった。政治的な後ろ盾が何一つなかったんだ」
「前皇后陛下はフォーゲル男爵家の令嬢だったのよね」
「ああ。まあフランツも母方の生家の後ろ盾という点では大差なかったがマリアが婚約者だったからな。それに陛下に似ていたこともあって、次期皇帝はフランツだと誰もが思っていたんだ。そんな中、ルイス殿下は絶望的だった戦況をひっくり返し、北部の貴族全員を味方にして帰ってきた。皇宮中は大騒ぎさ。陛下に似ているだけの皇子と文武ともに秀でて十六歳にして北部の貴族を従えた皇子。比べるまでもないな。それまでフランツの機嫌をとってた奴らがこぞってルイス殿下に取り入ろうと動き始めた」
「そのせいで二人の仲が悪くなったの?」
「いや。全くというわけではないだろうが、フランツは周囲の人間が居なくなったことはあまり気にしていないようだった。問題はルイス殿下の変化だった」
クリスはそこで一度話を切り、言葉を選ぶようにゆっくりとまた話し始めた。
「英雄となって帰ってきたルイス殿下はまるで別人のようだった。笑うこともなくなりフランツをあからさまに遠ざけた。これにはフランツも流石に堪えたみたいで落ち込んでいたんだが……三日後にはケロッとしてルイス殿下の後を追いかけるようになった」
「すごいわね……」
「あいつの唯一の長所だな。あれはあれでウザいんだが。まあ、そうやってルイス殿下に付きまとうようになって一ヶ月くらい経った頃、フランツは突然ルイス殿下の後を追うのをやめた」
「どうして?」
「わからない。フランツはその事について頑なに話してくれなかったんだ。それ以来、二人はあんな感じで仲が悪くなってしまった」
ルイス殿下はあんなにフランツ殿下のことを好きなのに。
そのとき二人の間に何があったのだろう。
「……つまり四年前に仲違いしたこと以外は何も分からないってことね!」
「はは、教えを乞うた側が言うことじゃねえな。まあ、マリアが聞けばどっちかが答えてくれるんじゃないか?」
「そんなデリケートなこと部外者の私が聞けるわけないじゃない」
「ならリオンに聞いてみるか? あいつはあの時ずっとフランツの隣にいたから俺よりは事情を知ってると思うぞ」
「もっとダメじゃない。そういうのを勝手に話されたら嫌でしょ」
「俺に聞いてきたのはマリアだろ。今更なんで怖気付くんだよ」
それは単に話題を逸らすために適当に聞いただけだから。
確かに気にはなるけど、どうしても聞きたいというわけではないのだ。
それに二人の関係が良くなればいいとは思うけれど仲を取り持つつもりなんてこれっぽっちもない。
私は二人の再従妹ではない、ただの他人なのだから。
「もっと軽い理由だと思ったのよ。私が気軽に尋ねていい話だとは思えないからもういいの」
会話を切り上げようとしてそう言ったとき、頭の上からガサッという枝葉が揺れる音が聞こえた。
そしてぼとりと私の隣に何かが落下した。
反射的にその落ちてきたものを確認する。
白い蛇だった。
細い舌を出して赤い目で私の方を見ている。
「っ……!」
慌てて立ち上がったらよろけてしまったが近くにいたクリスが私の身体を支えてくれたおかげで転ぶことはなかった。
「マリア?」
「へ、ヘビが……っ……!」
公爵令嬢としての振る舞いとか大人のプライドとか気にしている余裕はなかった。とにかく目の前の蛇という恐怖から一刻も早く逃れたくて、必死にクリスにしがみついて恐怖を訴えた。
「もしかして怖いのか……?」
何度も頷く。
もう声を出すのも無理。
逃げ出したいけど足に力が入らなくて一人で立つことすらままならない。
今私の視界はクリスの服で埋まっている。ベンチの上にいた蛇が今どこにいるのかわからない。確認するのも怖い。
私の方に向かってきてたらどうしよう。確か蛇って結構早く動くんだよね?
怖い。気持ち悪い。
間近で見てしまったせいで苦手な鱗や蛇の目が脳裏に焼き付いてしまった。
気持ち悪くて涙が溢れてくる。
「マリア、エリックが向こうにやったからもう大丈夫だ」
「本当に……?」
「ああ、もう怖がらなくていい」
恐る恐る振り返ってベンチの方を見ると確かに先程の蛇はいなくなっていた。
ほっとしてゆっくりと息を吐き出す。
まさか屋敷の敷地内で蛇に遭遇するとは思わなかった。クリスやエリックがすぐに動かなかったことを考えるとあれは毒のない蛇だったのかもしれない。
いやでも毒があってもなくても蛇は蛇だ。
学園のときのように精霊のいたずらだろうか。あんなふうにピンポイントで私の近くに蛇が落ちてくることなんてそうないはずだ。
ならまたすぐに虫や蜥蜴が飛んでくるかもしれない。
クリスには申し訳ないけどもう暫くはこうやってくっつかせてもらおう。
いつも私のことを好きっていってるからこれくらいいいよね。無理って言われても離れられないんだけど。
クリスの甘い香りがほんの少しだけ恐怖を和らげてくれた。それでも外にいる限り安心することはできないのだけど。
「…………まだ怖いのか?」
「うん」
「もう蛇はいなくなったが……」
「また出てくるかもしれないじゃない」
しがみついてるからクリスの表情はわからないけれど、困惑しているのは声でわかる。
本当にごめん。今度お詫びするから許して。
「……エリックが戻ってきたらすぐにここを離れた方がいいな。もしまた出てきても俺とエリックが助けてやるからもう泣くな」
「泣いてないわ」
ちょっと涙目になっただけだ。
「ああ、そうだな」
クリスはそれ以上は何も言わず、なだめるように私の背中を撫で続けてくれた。
からかわれることを覚悟していたから少しだけ驚いた。
私に対しても優しくしてくれることあるんだな。
「蛇は処分しておいた。マリアは大丈夫か?」
程なくしてエリックが戻ってきた。
私は未だにクリスから離れられなくて、しがみついているのをしっかり目撃されてしまった。これはちょっと恥ずかしいかも。
「怪我はしてないし少し怖がってるだけだ。ここを離れれば落ち着くだろう」
「そうか……」
エリックが私に向かって手を伸ばす。
たぶん、クリスと同じように私を慰めてくれるつもりなのだろう。
「待って!」
慌ててエリックに声をかける。
「ヘビを触った手で触れないで……ううん、私に近寄らないで!」
エリックは剣は持っていても手袋をしているわけでもなければ蛇を掴めるような道具も持っていない。
だから先程の蛇をどこかにやるには素手で掴まなければならない。
蛇を触った手で触れられるなんて気持ち悪くて無理だ。生理的に無理。
というかもう近くに居られるのも無理だ。
エリックの顔が引き攣った。
ごめんなさい。でも本当に無理。
できれば、ううん、最低でも三メートルは離れてて。




