127.約束の日2
このどうにもならなそうな状況をどう乗り越えるか。
そんなことを考えはじめたその時に彼はやってきた。
扉が開く音が嫌に耳に響いた。
「ああ、みんなもう集まってるんだね」
わかっているはずなのにそわそわしてしまう。
顔を見てはいけない。そう決めたはずだ。
でも話しかけられたときに顔を見ないのは失礼にあたるのでは。相手は皇子だ。
それに今はルイス殿下が隣にいる。いつもより落ち着いて言葉を返すことができるのではないだろうか。
だからきっと大丈夫。少しくらいなら顔を見てもきっと誤魔化せる。
まずはルイス殿下に話しかけるだろうから今のうちにしっかり心の準備をして……。
「マリア、昨日の夜は大丈夫だった? 公爵やレオに色々言われたんじゃない?」
真っ先に話しかけられてしまった。
私に話しかける前にルイス殿下に挨拶しようよ! 仲が悪いという話はよく聞くけど兄弟なのに。
フランツ殿下の方へ視線を向ける。
鼓動が早くなる。やっぱり会えたことが嬉しい。名前を呼んでくれたことが嬉しい。
本当にこのまま誤魔化せるだろうか。ちょっと不安になってきた。
「だ、大丈夫でした。二人とはあまり話していないので……」
昨日は夕方から看病のためと言って殆どの時間をクリスの部屋で過ごした。
お父様にはサラに伝言を頼んだが向こうも気まずいのか会いには来なかった。
だから二人には挨拶しかしていない。
いやまあちょっとした検証のために遠くから見つめてみたり周囲をうろちょろしてみたりしたけど。会話はしていない。
「そう。……レオは君のことを心配していたよ。突然親しくないはずの兄上と婚約だなんて一体何があったんだって。だから今日は君の気持ちを教えてほしい。本当に好きなのは誰なのかを」
貴方です。
ここにいる全員が知っている事実だ。
邪魔すると宣言した通り、私の気持ちがまだ自分にあることを示してルイス殿下に諦めさせたいのかもしれない。
「お前の目にはマリアしか映らないようだな。兄に挨拶もしないつもりなのか?」
「兄上は僕から話しかけるといつも不機嫌になるじゃないですか。せっかくマリアが来てくれたのに雰囲気を悪くしたくなかったので」
口調が刺々しい。笑顔だけど目が笑っていない。
話しかけられて不機嫌になるのはお互い様なんだな。いや、ルイス殿下がフランツ殿下に話しかけられて不機嫌になるとは思えないけど。
思い返せばこんなふうに誰かに攻撃的なフランツ殿下を見た事がない。ルカに対してキツいことを言うことはあったけど、ここまで敵意を顕にすることは決してなかった。
兄弟なのにどうしてここまで拗れてしまっているのだろう。
それにしても刺々しい態度でも変わらず可愛いのは反則すぎない??
ちょっと直視しないよう気を付けよう。
「それよりクリスはもう動いて平気なのかい? 後遺症で暫く熱が出ると聞いたけど……」
「お気遣い頂きありがとうございます。動けないほどではございませんのでお構いなく」
動けるけど熱はまだあって、決して体調は良くない。
昨日の夜サラ伝手にクリスを休ませるようお父様にお願いしたはずなのに、クリスは私の護衛をすると言い張って聞かなかった。もちろんお父様もそれを容認したらしい。
病人に護衛させるのはあまりにも酷すぎると思うのだが、お父様が決めたことを私が覆すことはできない。
「そう畏まらなくてもいいよ。君とは長い付き合いだし、ここは公の場でもない。何よりその口調はちょっと気持ち悪い。いつも通り話すといい」
「…………わかった。だが俺はマリアの護衛だ。会話にまざるつもりは無い」
「うん、それは知ってる。けど君は僕達の再従兄弟でもあるんだ。別に黙っている必要は無い。話したくなったら話しても構わないよ。気楽にするといい」
皇子二人の前で気楽にできる人なんているわけがない。
今更だけどなんでこんな事になったんだっけ。昨日想像していたのよりずっとややこしくて面倒だ。
「いつまで立ち話するつもりだ? いい加減座ってくれ」
呆れ気味のルカの声でようやく全員がソファーに腰掛けた。
クリスは隅の方で立って待機しようとしていたが、フランツ殿下が座るように言ってくれたので大人しくソファーに腰をおろした。
やっぱり皇子の言うことには従うんだな。
クリスのぶんのティーカップも予め用意されていたところを見ると、フランツ殿下の中ではクリスが会話に混ざるのは最初から決まっていたのかも。
クリスは少し居心地が悪そうだ。
ルイス殿下の隣に私、私の右側にクリス、正面にフランツ殿下が座っている。
クリスの座っている位置が所謂お誕生日席で不思議に思ったけど、この位置ならクリスは全員の表情や動作を常に見ることができる。
セッティングしたのはルカだけど、それを指示したのは間違いなくフランツ殿下だ。
ということはクリスに私たちのやり取りを見せたいのだろう。
「それで、邪魔をすると言っていたがどうするつもりなんだ?」
「まずは二人の話を聞かせていただけますか? 何故いきなり婚約なんて話になったのか」
「それは昨日も話しただろう。俺がマリアのことを好きになったからだ」
「マリアは少し前まで僕の婚約者だったのにいつ好きになったのです? 二人は殆ど会っていなかったはずです」
「……ここで何度か会って話をした」
「それだけですか?」
「ああ」
聞き返したくなる気持ちわかる。
でも本当にそれしか言いようがないからどうしようも無い。けどフランツ殿下は一目惚れだからどっちもどっちだ。
まあ幼児の好きと大人の好きはまたちょっと違うだろうけど。
「兄上は…………マリアのどこに惹かれたのですか?」
「えっ、そんなことまで聞くのですか!?」
思わず声を出してしまった。
何でそんなことを目の前で話されなければならないのか。
本人ここにいるんですけど。
これは面談か何かですか?
結婚の挨拶に来た娘の彼氏にする質問みたいだ。よく婚約者というよりも兄や父みたいだなと思っていたけどここに来てまでそのスタンスを徹底するのはやめてほしい。
邪魔するってそういう邪魔なの?
フランツ殿下はにっこりと笑って私の方を見てくれた。
可愛い、なんて思ってしまったけど見惚れてる場合じゃない。
真面目な顔、真面目な顔……。
「だってそんな短い期間で好きになるなんて変だとは思わないかい?」
「人の気持ちを他人が断ずるべきではありません」
「普通はそうかもね。でも君は兄上を信じられる? 親しくもないし君のことをよく知らないはずなのに、突然弟の婚約者を奪おうとするような人と一緒にいられる?」
「あの、もう婚約者ではないので……」
それにマリアのことはフランツ殿下の方がよく知っているけれど、私の事に関してはルイス殿下は全てを知っている。
確かに親しくはないけれど悪い人ではないことはわかるし私に敵意もない。元の世界に帰るための協力をしてくれるとも言ってくれた。
実際に結婚するわけではないし一緒にいることになんの問題もないのだ。
とはいえそれを打ち明けるわけにはいかないし、疑う気持ちも尤もだからどう話を持っていくべきか。
できれば二人の仲をこれ以上拗れさせたくないんだけど。
「……ルイス殿下は信頼できる方だと思っております」
「そう。じゃあ僕と兄上のどっちが好き?」
「えっ」
「嘘はついちゃ駄目だよ。正直に答えて」
そんなわかりきったことを質問しないでいただきたい。
貴方が好きです、なんてどうやったって答えられないんだから。
だからといってルイス殿下の方が好きなんて白々しい嘘をつくこともできない。この場にいる全員が私がどちらを好きなのかを知っている。
答えあぐねているとルイス殿下が私の手を優しく握ってくれた。
このラウンジに置かれているのは一般的な応接セット。テーブルは膝程度の高さしかない。
つまり私とルイス殿下が手を繋いでいるのが誰からも見えている。
三人の視線が私たちの手に集まった。
状況がより悪くなってしまった気がするのですが。
わざとかな? こういうのって煽るためにわざとやってるのかな??
「フランツ、マリアを困らせるな。昨日も言ったように、俺が先に好きになって婚約を申し込んでマリアがそれを受けた。今はまだそれだけだ」
「…………まるでこれからマリアが兄上のことを好きになると決まっているような口振りですね」
いたたまれなくなって視線を下に向けた。
「惚れられる自信がなければ婚約を申し込んだりしない。それに何度も言っているがマリアは既に俺を選んでいる。マリアが今後お前を選ぶことはないだろう。それでもお前はマリアのことを好きでい続けるのか?」
フランツ殿下は苦しげに顔を歪めた。
そんな表情は初めて見る。
というかルイス殿下は言葉がキツすぎるのでは?
弟相手なのだからもう少し優しい言葉を使ってあげて。
「僕は………………もちろん、ずっとマリアのことが好きだよ」
その言葉はルイス殿下にではなく私に向けられていた。




