102.二人きり
敷地内にあるガラス温室は色とりどりの花と薬草が植えられている。
魔道具で区画ごとに温度と湿度が管理されており、今私と殿下がいる場所は夏にもかかわらず20℃に保たれているためかなり涼しい。
ここなら魔法を使う必要は無い。
身体を冷やすために巡らせていた魔力をとめる。
真夏にどんなに着込んでも魔法の力で快適に過ごす事ができるのだからこの世界は便利だ。
「……マリアは魔道具は使わないんだね」
「ええ、できる限りそうするようにと言われています。あと寝る前までに必ず魔力を使い切るようにと……」
「それはなかなか大変だね」
もちろんそれを指示したのはルカだ。
殿下は私がまともに魔法が使えないことを知っている。そしてそれを相談していることも。
ルカ曰く、魂がこの世界の人間ではないから魔法を正しく使えないんだそう。
だから使いこなせるようになるまでとにかく使いまくれ、ということらしい。
思ったより体育会系だ。
隣にいる殿下を見上げた。
目が合って微笑まれてしまって顔が熱くなる。
二人きりでちゃんと話したいからとここに連れてこられたのだが、噂のこともあったからかお兄様は特に反対しなかった。
「で、さっきの話は何処からが嘘なんだい?」
「ルカのこと以外は全部事実です」
「…………じゃあ僕とレオの噂は……」
「事実です」
殿下は口元を引き攣らせた。
「そうか……。その、君が偽の噂を聞かされているなんてことは……」
「ないとは言えませんが、フィーネ様やアデル、リリーの三人が同じ話をしていたので可能性は低いかと」
「アデルも知っているんだね……」
殿下はため息をついた。
「その、申し訳ありません」
「君だけのせいではないよ。僕とレオの行動も悪かったみたいだし……。ただ、できればもっと早く教えてほしかったな。そうすれば噂が広がる前に対処出来たから」
言えるわけがない。
そもそもあの噂はそんな大事にするようなものではなかったのだ。
それに、私達がどう行動してもあの話が消えてなくなることは絶対にない。
これだけは断言出来る。
「まあでもこれから噂を塗り替えていけばいい。僕が本当に好きなのは君で、他の人なんて目に入らないってことを生徒全員に……いや、帝国民全てに知らしめよう」
「そ、それはやりすぎなのでは……」
真顔でそんなこと言われるとどう反応すればいいのかわからない。
これはボケなのかな。それならツッコミを入れるべきなのか?
「やりすぎなんてことはない。そうでもしなければ君に手を出そうとする男はたくさんいるからね」
「振られた直後の女性なんて簡単に惚れされることができるでしょうからね」
「…………もしかして怒ってる?」
「いえ、怒ってません」
その話を聞いたのはもう随分前のことだ。
今更怒ることではない。
が、さすがに女性の気持ちを弄ぶような行動は控えてほしいとは思っている。
本当は聞いた直後に言えればよかったのだろうけど、あの時はそれどころじゃなかった。
殿下の顔を見ると嬉しくなってしまうし、言わないといけないこともすぐにどこかにいってしまう。
今だってちょっと危ない。
というかもう二人きりでこうやって会話してるだけでとても嬉しい。
重症だ。
これはいつか治るのだろうか。心なしか以前より悪化している気もするけど。
「わざとやったわけではないんだよ。僕が声をかけてレオとの仲を取り持とうとしたのに、振られたからって知らんぷりするわけにはいかないだろう?」
「……お優しいんですね」
「マリア、怒らないで。僕が好きなのは君だけだよ」
抱き寄せられて額にキスされる。
あ、これは有耶無耶にしようとしてるな。
「そんなことされても誤魔化されませんから……!」
「うん、そうだね」
頬にキスされた。
…………。
まあ、私が怒るようなことではないんだけどさ。もう婚約者ではないんだし。
「…………女の子を弄ぶようなことはやめてください」
「うん、そうだね。気をつけるよ」
殿下は嬉しそうに笑った。
そしてそのままゆっくり顔が近付いてくる。
「まっ、待ってください! 婚約者じゃないからキスしないって……」
「でも恋人になってくれるんだろう? それなら何をしたって問題ない。だって恋人なんだから」
「まだなるって言ってません……」
「ならないの?」
当然のように私が恋人になると思っているのだろう。
そうなってしまったら私はきっとこの人から離れられなくなってしまう。
「…………考えさせてください」
ならないとは言えなかった。
ダメだとわかってはいるのだけど、それでも一緒にいたくて曖昧な態度をとってしまう。
これちょっとどうにかしないと本当にダメだな。
「まあいいだろう。よく考えてみるといい。君が一緒にいるべき人が誰なのかを」
また頬にキスされて、強く抱きしめられた。
「ん……ちょっと苦しいです」
「うん。でもこうやって抱きしめてないと君はすぐどこかに行ってしまうから」
「行ける場所なんてどこにもありません」
私がここからどこかへ行けるはずもない。
そんなことは殿下だってわかっているはずなのに、子どものようなことを言い出す彼が可愛くてちょっとだけにやけてしまう。
さっき離れたくないって言ってたし、甘えたくなったのだろうか。
いや、私に甘えてほしいのか。
「信じられないな。今朝、ルカと二人で出掛けたんだろう?」
「あ…………」
そういえばそうだった。
予想外の来客にすっかり頭から抜け落ちていた。
ルカとデートしておきながらこの状態はちょっと……いや、かなり酷いんじゃないだろうか。
「その反応は何?」
「いえ、その、……そのことを忘れていて……」
「そのまま午前中に起こった全てのことを忘れてしまうといい」
「そんな無茶な……。それにしてもルカはそんなことまで話しているんですね。あ、そういえばルカの様子が少し変だったのですが、何か変わりはありませんでしたか?」
「……いつもと変わらなかったよ。マリアはルカと二人で過ごして楽しかったかい?」
「ええ、とても。行ったことのない場所へ連れて行ってもらえて、人目を気にすることなく沢山のものを見て回ることができました」
午前中は思う存分帝都を満喫できた。
市場はもちろん楽しかったし、帝都の建物をじっくり見ることができて楽しかった。
こう、海外の建物ってなんであんなに可愛いんだろう。
木枠のある家の、なんかよくわからないけどヨーロッパ感満載のあの感じ。最高に可愛かった。
それにフライドポテト美味しかったな。次はまた違うものを食べてみたい。
次に連れて行ってもらうまでに銅貨と銀貨を準備しなければ。
物価がわからないからどのくらい準備するべきかわからないな。
今度ルカに相談しよう。
「…………マリア、君は僕のことが好き?」
「えっ、い、いきなりそんな………………えっと……好き、です……」
突然聞かれて動揺してしまったけれど、ゆっくりと小さな声で答えた。
「僕とルカ、どっちが好き?」
「そんなわかりきったことを聞かないでください」
「うん、でも答えてほしいんだ」
「…………フランツ様が、好きです」
なんでこんなこと言わされているんだろう。
恥ずかしくて今すぐ逃げ出したい。
抱き締められてるから逃げられないのだけど。
「ありがとう。僕も好きだよ」
その言葉がなんだか擽ったくて、恥ずかしさも相まってなんだかふわふわした気持ちになる。
「次は僕と二人きりで街に行こう」
「えっ…………前みたいに護衛を引き連れて街に行くのは嫌です」
「そんなことにはならないよ。本当に二人きりで、誰にも知らせずに行くつもりだから」
「それをやると大問題になりませんか?」
皇子が突然居なくなるなんてどう考えてもやばい。それにお兄様にバレたら二人してものすごく怒られる。
いや怒られるとかそういう問題じゃない。それはやってはいけないことだ。
「それはほら、君がやったようにルカに頼んで誤魔化してもらおう」
「ルカも一緒に来るなら二人きりにはならないですよ」
「連れていくわけないじゃないか。ルカに頼むのは誤魔化す部分だけ。街に行くのは僕と君の二人きりだよ」
「皇子が護衛なしでうろうろするのはよくないんじゃ……」
「大丈夫。帝都の中で危険なことは起こらないし、何かあったときはそれこそルカを呼べばいい」
「そんな都合よくルカを使うなんて……」
「どうして? 僕達はルカと主従の契約を結んでいるからルカを使う権利があるんだよ」
あ、そうなんだ。
そういえばお願いしたことは断らないし、本当に些細なことでも言えばやってくれていた。
あれは私が好きだからやってくれてたわけじゃなくて、契約を結んでいるからだったんだな。
ちょっと……いやだいぶ悪いことをしてしまったかもしれない。
「でもさすがにそんな酷いことは……」
殿下とデートするために協力しろなんて、あまりにもひどい。
「…………マリアは僕と二人きりは嫌なの?」
「そういうわけではありませんが……彼を傷付けるようなことはしたくありません」
もう既にかなりやりまくっているけれど。
ルカの目の前でかなりイチャイチャしてしまったし。
でもあのときはルカが割り込めたし、ルカも好き勝手してたからある意味お互い様だ。
ただ、ルカが逆らえないのをいいことに都合良く使うのは嫌だ。それが彼の嫌がることなら尚更。
「随分あいつのことを気にかけてるね」
「まあ、色々と助けて貰ってますし……」
「本当にそれだけ?」
もちろんそれだけではない。
下手に拗らせたら詰みそうで怖いのだ。
そうなったときに矛先が私だけに向くのならまだいい。彼が殿下に何もしないなんて保証はないのだ。
だからルカが落ち着くまで余計なことはしたくない。
特に今日はいつもと様子が違った。デートしたのがダメだったのだろうか。
それにしても今日の殿下はいつもより余裕がないかんじがする。
「もしかして嫉妬してます?」
「………………してないよ。君は僕の方が好きなのに、わざわざ嫉妬するわけないだろう」
「ふふふ、そうですね」
嫉妬してるのかー。
可愛いなぁ。だからさっきわざわざ好きって言わされたんだな。
二人きりで街へ行くってのも今日ルカと行ったからだ。同じことしたいんだろうな。
うん、可愛い。
嫉妬の仕方が可愛い。
面倒くさくてちょっとうざいけど、それすらも可愛い。
「……君は僕に嫉妬してほしくて浮気したんだっけ? それなら君の望んだ通りになったわけだ」
「えっ」
それは誤魔化すための嘘だ。
「どうせならこの先も望む通りにしてあげよう。君は強引に迫られるのが好きだよね?」
「そっ、そんなことありません!!」
なんでそうなるの!?
殿下に迫られるのは、まあ、うん、嫌じゃないけど、でも強引に迫られたいなんて思ったことない。
「そう? いつも駄目と言いつつもすごく嬉しそうにしてるじゃないか」
「してません!」
「なら試してみよう」
そう言って殿下は私を抱き上げた。
突然のことにびっくりして小さな悲鳴をあげてしまった。
男性にお姫様抱っこされるなんて久しぶりだ。
ちょっと恥ずかしい。
「奥の方に確かベンチがあったよね。この辺りは外から見えちゃうから見られない場所へ行こう」
「見られない場所って……、そ、そこで何を……」
「君が喜ぶことをしてあげる」
爽やかな笑顔でそう言われてうっかり喜んでしまったけれど、これ以上は私の心臓が爆発しそうなのでお断りします。




