98.逃げられない
やってしまった。
お客様がいるのにあんな出迎えをしてしまった。
どう考えてもアウトだ。
いや、何も連絡無かったし二人が来るなんて知らなかったから私だけが悪い訳ではない。
というかお兄様、今日の私との約束忘れてたんじゃないよね?
殿下はいつも以上に輝いてみえた。
ダークグリーンのジャケットに首元にはエメラルドのタイブローチ。
わー、エメラルドのアクセサリーお揃いだーなんてほんの少しだけ現実逃避してしまう。
彼の隣にはリオンがいる。
こっちはこっちで紺の軍服みたいな服を着ている。制服のデザインも軍服系のかっこいいやつだけど、今日のは見慣れてないぶん新鮮でいつもの四割増でかっこいい。
オタクは軍服に弱いのでちょっと目のやり場に困る。
そして私の目の前にいるお兄様。
銀の刺繍が施された濃いグレーのジャケットに瞳と同じ赤茶のネクタイ。
落ち着いた服装がお兄様の性格や顔立ちと合っていてとても素敵。
午後からずっと会うのを楽しみにしていた人なんだけど、後ろに二人がいると話は別だ。
うん、耐えられる気がしないから早くここから逃げよう。
私は何事もなかったように綺麗な笑みを作ってお兄様から少し離れる。
スカートを少し持ち上げてお辞儀をした。
「暑い中ようこそいらっしゃいました。お邪魔になるといけませんので私はこれで失礼させていただきます」
「駄目だよ。僕は君に会いにきたんだから」
この場から離れようとしたのに殿下に止められてしまった。
その言葉が嬉しくて、でも喜んでるなんて知られたくなくて、必死でなんて事ない顔を維持する。
「…………このように突然訪ねられては困ります」
「困るって言うわりには嬉しそうだね」
バレてる……!
じゃなくて、ここで流されたら今までと何も変わらない。
彼と私はもう何の関係もないのだ。
ううん、それどころか加害者と被害者の関係だ。私は彼を騙しているのだからこんなふうに喜ぶべきではない。
「う、嬉しくなんてありません。本当に困るのです。何も用意できてませんし、ドレスや髪だって……」
殿下が来るとわかっていたらサラに頼んでもっと可愛くしてもらったのに。
そう言おうとした言葉を慌ててのみこんだ。
危ない!
そんなこと言ったら私がまだ殿下のことが好きみたいじゃないか。
いや、好きだけど!!
好きなんだけどそれはダメなのだ。
「とにかく、私は部屋に戻ります」
さっさと退散してしまおうとそう言ったのだが、殿下はその言葉を聞いてないかのように近寄ってきて私の手を取った。
「今日もとても可愛いよ。エメラルドのアクセサリー、僕と一緒だね。似合ってるよ」
殿下があまりにも嬉しそうに笑うから私もつられて笑顔を返してしまった。
いけない。
少し離れてたから彼を想う気持ちは小さくなったと思ったのにそんなことはなくて、むしろ以前より大きくなった気がする。
いやだからってこれはさすがにどうなんだろう。
冷静に、冷静に。
「いくら褒めていただいたところで私の気持ちは変わりません」
「そうだね、マリアが僕を好きなのは変わらないね」
「ええ、そう……、ち、違います!」
うっかり頷いてしまったのを慌てて否定した。
弄ばれている!!
「フランツ、マリアをからかうのは程々にしろ。そんなことをするためにここへ来たわけでは無いだろう」
「ああ、そうだね。じゃあサンルームに行こうか」
促されるように背中に手が回される。
私を逃がす気はないようだ。
離れる言い訳を全力で探したが何も出てこない。
助けを求めてお兄様の方を見ると視線を逸らされた。
リオンも気まずいのか目を合わせてくれない。
どうしてこんな事になってしまったんだろう。
嫌なわけではない。むしろ嬉しい。
でも諦めると決めたのだから困るのだ。
隣にいる殿下は上機嫌に微笑んでいる。
……うん、まあ少しくらいなら一緒にいてもいいよね。
そうしてついたサンルームには予定になかったはずの二人分の席が追加されていた。
いや、まるで最初からそうだったかのようにテーブルも大きめのものになっていて、セッティングも四人分ある。
お兄様が帰ってきてから変更したわけではないことはすぐにわかった。
「お二人が来るのを知らなかったのは私だけだったのですね」
そういえばパウンドケーキも二人で食べるには量が多かったし、ドレスやアクセサリーもお兄様相手にしては華やかなものを用意された。
サラも殿下とグルだったのか。ショックだ。
「僕が来ることを知ったら君は会ってくれない気がしたから秘密にするようお願いしたんだ」
「だからってこんな騙すようなこと……」
文句を言おうと思ったけど殿下の顔を見たら言葉が続かなかった。
ダメだ。好きすぎて文句も言えない。
「…………お兄様と一緒に過ごせると思って楽しみにしてたのに……」
「それはごめんね。かわりに僕と二人きりで過ごそう」
「二人きりって……」
こんな状態で二人きりになったらどうなるかわからない。私が。
「そんなこと許すわけがないだろう」
「そこは許してくれてもいいだろ。僕はマリアとこれからのことを話すためにここへ来たんだから」
「別に二人きりじゃなくても話はできる」
「君たちの目の前でそんな話ができるわけないじゃないか」
いや、むしろ二人きりにされるとまともに会話できなくなるからいてもらった方がいいかもしれない。
あ、でも押し切られて二人が証人になっちゃう可能性もあるのか。
いっそ二人きりで証拠を残さない方がいいのかもしれない。
「何を今更。それにリオンを無理矢理連れてきたのはお前だ。ここに来て邪魔者扱いはないだろ」
「いや、まあ、俺も断らなかったのが悪いんだが……どうして俺はここに連れてこられたんだ?」
「そんなの僕がマリアと過ごす間、レオの相手をするために決まってるだろう。レオは寂しがり屋だから、一人でいるとすぐ僕達の間に入ってこようとするんだ」
「変なことを言うな。お前が必要以上にマリアに近付かないよう見張っているだけだ」
「それこそ今更だ。もう十年以上の付き合いがあるんだから信用してくれてもいいじゃないか」
「駄目だ。一秒たりとも二人きりにするなというのが父上の命令だからな」
だから殿下がいるときにはだいたいお兄様もいたのか。
なるほど。
実際はこっそり私から会いに行ったりルカと一緒に私の部屋に来たりしてるから……うん、お父様に言えないことは沢山している。
「…………過保護過ぎないかい?」
「お前が言えることじゃない。それにたまに目をつぶってやってただろう」
「うん、もちろんそれには感謝してる。だから今日もそうしてほしいんだ」
「駄目だ」
お兄様は譲るつもりはないようだ。
「こんなところで言い合いはやめてくれ。それに、先に確認しなければならない人がいるだろう?」
リオンがうんざりしたようにそう言うとお兄様と殿下は言い合いを止めた。
そして三人の視線が私に集まる。
だから三人揃って見つめてくるのはやめてほしい。心臓に悪いから。
私は耐えられずに視線を下方へ逸らした。
「……でしたら話なんてせずに部屋に戻ってもいいでしょうか?」
殿下の話したいことはわかっている。
結婚できない理由を聞き出したいのだろう。
だけどそれは口が裂けても言えない。
だからここから逃げて、そもそも話をしない方向に持っていきたい。
「……それなら僕も部屋についていくよ」
「何を言っているんだ、お前は。だいたい」
「そこまでだ。このまま立ち話を続ける気か?」
めげない殿下と小言を言おうとするお兄様、それを諌めるリオン。
というかこの三人でいるときの殿下ってこんなかんじなんだな。
完全に手のかかる子ども扱いだ
…………可愛い。
男子高校生三人でじゃれてるのがものすごく可愛い。
殿下は私に対していつも保護者のように振る舞うから余計にそのギャップが可愛いく感じる。
発言の内容はそう変わらないような気もするけど。
できれば私の存在など気にせず、ずっとこのままじゃれ合っててほしい。
「じゃあマリアは僕の隣だよね」
「えっ?」
「座る場所。さあ、こっちにおいで」
殿下は笑顔で手招きしている。
テーブルは少し大きめの丸いテーブルだ。
促されるまま椅子に座らされる。
私の右に殿下、左にお兄様、向かいにリオン。
三人して私の方を見ている。
これ、私は何処を向けばいいんだろう……。
お兄様との楽しいお茶会の予定だったのに、どうしてこうなった。




