96.秘密のデート2
九時を過ぎ、より賑やかになった通りを眺める。
歩き回って疲れたので今は広場の隅にあるベンチに座って休憩中だ。
「あー、おなかいっぱい!!」
両手をあげて上半身を伸ばす。
私が今回食べることができたのはフライドポテトのみ。
本当はもっと色々食べたかったけどこれ以上食べると動けなくなってしまいそうだったから諦めたのだ。
屋敷に戻ったらきっとお昼が用意されているだろうから……入るかな。不安だ。
「今日はいつもよりはしゃいでるな。それがお前の本来の性格か?」
「うーん、まあ、そうかも。普段はマリアとして振舞ってるから人前で変なことはしないようにしてるし……」
ぶっちゃけ今もそれなりにお行儀良く振舞っているけど。
本来の私はとてもとても口が悪くて足癖も悪いのだ。
「とはいってもこっそりやってるところをお兄様やフランツ殿下に見付かっていつも怒られてるんだけどね」
どうしていつもピンポイントであらわれるのか。
実はこっそりGPSでもつけられているのかもしれない。
この世界にGPSなんてものは存在しないけど。
「怒られるって……何をしてるんだ?」
「色々。前に少し話した気がするけど、メイドに混じって掃除をしてみたり、こっそり部屋の窓から脱走してみたり、メイドを部屋に連れ込んで化粧したり、馬車の下に潜り込もうとしたり……」
馬車の下にに潜り込もうとしたのは揺れない馬車と揺れる馬車の違いが知りたかったのだ。
魔法で全てを解決している世界の馬車ってどうなんだろうと思って。
サスペンションてきな何かがあるのだとは思うけど、実際にどうなってるのかが気になって仕方がなかった。
けれどそれは潜り込む直前に殿下に見付かったので完全に未遂だったのだけど、それでもかなり怒られた。
「一応見つからないように気をつけてるんだよ? でも何故かいつも見つかるの。おかしくない? てかなんで皇子が使用人しか使わない裏口付近をうろうろしてんの!? 意味わかんない! 皇子なんだから大人しくもてなされててよ!!!」
思い出したらちょっとイライラしてきた。
別に人を傷付けたわけでもないし危ないことをしていたわけでもない。
ちゃんと魔法を使ってたから周囲に私だとバレていたわけでもない。
私はただメイドになってみたかっただけなのに。そのために春から色々と手を回して頑張っていたのだ。
それが最初の一回目でバレて、しかも家族でも婚約者でもない殿下に説教されるなんて理不尽だ。
その時にはもう殿下のことを好きだったから、ちょっと喜んでしまったわけなんだけど。
いやでも理不尽だ。
「本当にマリアとは正反対だな、お前は」
「そうそう。だからいつも大変なの」
「よくレオナルドやカールから怪しまれずに過ごせてるな」
「お父様とはずっと離れて暮らしてたからね。お兄様は…………どうかな。私にあまり興味無さそうだし」
「そうなのか?」
「うん。仲良くしてはいるけど、いちいち詮索するような仲ではないみたい。それよりも最初はフランツ殿下に疑われてたよ」
「…………あれがお前を疑ってたのか?」
ルカは信じられないというように眉根を寄せた。
「帝都に来る前なんだけどね。私が階段から落ちた後、クラウス領まで心配して来てくれたの。私もこの世界に来たばかりだったからできるだけマリアにあわせた行動をしていたんだけど……ちゃんとできていなかったみたいで、さりげなく色々聞かれたの。昔の話とかマリアの好きな物のこととか、家族のこととか……」
初めて会話したときの、殿下の動揺した表情は今でも覚えている。
すぐに間違ってしまったのだと気付いた。
気付いたところで口から出た言葉は取り消すことなどできないのだけど。
でもそのおかげで疑われていることがわかって対策ができたので結果オーライだ。
「そのときはどうやって誤魔化したんだ?」
「んー、なんだったかなぁ。……あ、そうそう、話してる最中に噴水に落ちちゃったの。そのことがあってからはそういう質問をされなくなったわ」
「噴水に落ちた……? それはどういう状況でそうなって、どうしてそれで疑われなくなったんだ?? 」
ルカは混乱しているようだ。
そりゃそうだ。意味わかんないよね。
「こっちに来たばかりの頃ってうまく身体が動かせなかったの。それに人の顔もよくわからなくて、唯一認識できたのが殿下だけだったの。あのときは他の人と目が合うと話しかけられるんじゃないかって不安で、なるべく殿下の顔ばかり見てたのよね」
もちろん彼が私の“推し”だったからという理由もあるけれど。
それはルカに説明のしようがないので話さない。
「で、ちょうど噴水の前にいたときに、殿下が話を切り出したんだけど……そのときに私の方を見ながら少しだけ近寄ってきたの。こっそり見てたから突然目が合ってびっくりしたわ」
あの時点では殿下の顔にまったく慣れていなかったのだ。
まあ慣れた今でもたまに直視出来なくなることがあるから仕方ない。
「マリアにとっては婚約者で家族同然の付き合いがあったけれど、そのときの私にとっては赤の他人だったから、いきなり近寄られて驚いちゃって。それで距離をとろうとしたら、足がもつれて倒れちゃったの」
「フランツはお前が転ぶのをただ見てただけなのか?」
「ううん。ちゃんと助けようと腕を掴んでくれたんだけど……咄嗟に払っちゃったんだよね」
これに関しては全面的に私が悪い。
手首を掴まれたら捻って払う癖というかなんというか、電車通勤のときに身に付けた護身術をやってしまったのだ。
あの時の呆然とした殿下の顔はきっとこの先も忘れないだろう。
とはいえこの身体でも元の身体の癖が出るというのを早い段階で知ることができたのはよかった。
癖は意識しなければ矯正できないから。
「で、そのままの勢いで噴水の縁にぶつかって一回転してドボンしちゃった。たぶん傍から見たらものすごく面白かったと思う」
当然のごとく誰も笑ってくれなかったけど。
「それは…………災難だったな」
「うん。殿下もよっぽどショックだったのかそれ以降何も聞いてこなくなったよ。代わりにべったりくっついてくるようになって逆に困ったけど……」
お兄様がいるときはそうでもないけれど、二人のときは本当に距離が近い。
もちろん二人のときといっても近くに使用人が居るので決して二人きりではない。
だから余計に恥ずかしくて居た堪れないのだけど、きっとこれは訴えても理解されないだろう。
「まあ、それでね、私にはマリアに成りすますのは無理だとわかったから諦めて方針を変えたの。ちょうど環境が大きく変わる時期だったし、帝都に来たタイミングで、思いっきりはしゃいでみせたのよ」
ルカは黙って話を聞いてくれている。
「無理にマリアのフリしてたらいつかボロが出てバレるでしょう? だから最初に思いっきり好きに振る舞って、定期的にマリアらしいところを見せるの。変化を隠すと疑われるけど、隠さなければ疑われにくい……んじゃないかなぁって思って」
隠すということは後ろめたいことがあるからだ。
堂々としていた方がかえって怪しまれない。たぶん。
それに環境が変わってイメチェンするのはなんらおかしいことでは無い。
所謂高校デビューというやつだ。
日本ではよくある話。
「もちろん周囲の反応はちゃんと見てやってるのよ。少しでも疑われてるなって感じたら、昔のマリアと同じ言葉を使ったり同じことをするようにしてるの」
その行動に昔のマリアを重ねてくれればいい。
例え中身が違ったとしても身体はマリアなのだ。騙すことはそう難しくはない。
それにある日突然別人に乗っ取られたなんて誰が信じるというのか。
そんなことを表立って言うことなんてできないし、それを理由に私を糾弾すれば間違いなくその人は狂人扱いされるだろう。
それが例え公爵家の人間であっても。
だから決定的な、確信を与えてしまうようなミスさえしなければいい。
とは言ってもそんなの私が口を滑らせてしまうこと以外ではないだろうけど。
「今日もね、お兄様は三時に帰ってくるから一緒にお茶するのよ。お兄様の好きな紅茶を用意して、マリアが昔やってたようにテーブルにピンクの花を飾るわ。……マリアはお兄様が大好きで、笑うと喜んでたの。だから私もそうするのよ。疑われないために」
マリアの記憶は、彼女の心情まで教えてくれない。
けれどお兄様のルートでマリアとのぎこちない兄妹関係が語られていたから少しは彼女のことを理解出来る。
そしてそうやってお兄様と接する度に私の罪悪感は増していく。
「そんなかんじで誤魔化してるよ。今のところ私を疑ってる人はいない……はず。たぶん……」
「そうか……。意外と考えて行動してたんだな」
「一歩間違うと死んじゃいそうだからね、私の状況って……」
マリアは皇族の血を引く公爵家の人間だし、その身体を乗っ取って皇族である殿下を誑かすなんて国家転覆の罪に問われてもおかしくない。
だからこそルカは何かあれば私を殺すように言われていたわけだし。
…………陛下からしてみれば異世界からやってきたよくわからない奴に従姪の身体を乗っ取られて息子と腹心の部下が誑かされてるわけか。
そりゃ呼び出して牽制したくなるよね。
管理下に置いて変なことしないよう見張りたいよね。
「お前には俺がいるから心配する必要なんてない」
ルカは優しくそう言って私の頬を撫でた。
「うん、ルカのおかげで安心して過ごすことができてるよ。ありがとう」
今一番の懸念点はルカの重すぎる愛だから、少しだけでいいから他のことに目を向けてくれるともっと助かるんだけど。
もっと人との関わりを作ってほしい。
色んな人と知り合って世界が広がれば私に対する執着もなくなるかもしれない。
そんなことを考えているとルカの顔が目の前に迫ってきて、軽く唇が触れた。
キスされた。
こんな人通りの多い場所で。
なんの前触れもなく、なんの意味もなくキスされてしまった。
「なっ、なんで……」
「こうやってお前の隣にいられて幸せだ」
ルカはその言葉通り幸せそうに笑っている。
「お前が辛い時や悲しい時は助けてやるし、嬉しい時や楽しい時には決して邪魔をしない。……だからこの先もお前のそばにいることを許してほしい」
いつもは絶対にそんなこと言わないのに。
私の意思なんて確認することなくやってきて好き勝手されるのが当たり前だったから、急に許可を求められて困惑した。
「ルカ……?」
「マリア、愛してる」
そんな告白とともに抱きしめられた。
びっくりしたし恥ずかしかったけど、何となく嫌がったらいけない気がしてルカが離れてくれるのを大人しく待つことにした。




