94.夏休みのはじまり
今日から夏休みだ。
授業もないし、学園の噂に振り回されることも、好奇の目に晒されることもない。
おうちって最高。
特にこの最高級ベッドの上は天国のようだ。
このベッドで思う存分ゴロゴロできるなんて幸せ。
どれだけ寝ても身体が痛くならないんだよ。すごいよね。
寝心地が良すぎて身体の疲れが取れてしまうのか、うっかりいつもと同じ時間に起きてしまった。
午前六時なんて休日に起床するような時間ではない。二度寝しないと。
そう思って寝返りをうち、隣にあるぬくもりに気が付いた。
飛び起きて確認すると、そこには小さなルカがいた。
「なんだ、もう起きたのか? 今日の午前はゆっくり過ごすんだろう?」
「なっ、なんでこんな時間に来たの!?」
「ずっとここに居た。お前がいいと言っただろう?」
「そんな記憶ないんですけど? てかずっと居たってことは一緒に寝たってこと?」
「ああ、離れようとしたがお前が離してくれなかったからな」
まったく記憶にない。
事案発生してしまった。
いや、添い寝だけなら大丈夫。
手は出てない。大丈夫。
第一、ルカは子どもじゃない。
手が出たとしてもギリギリ問題は無いはずだ。
私の気持ち的に余裕でアウトだけど。
「一緒に寝るなら大人の姿の方がよかったか? なんなら今大人の姿になってやろうか?」
「ダメに決まってるでしょ。着替えなんてないんだから」
裸で添い寝する気なのだろうか、この男は。
「とにかく、私はまだ寝るから。部屋にいてもいいけど満足したら帰ってね」
せっかくの夏休みなのだから満喫しないと。
そう思って再び横になった。
隣でルカが私の頭を撫でている。
まだ帰る気はないんだな。
夏とはいっても標高の高い帝都では朝晩は少し冷える。
ぬくぬくのお布団がとても気持ちいい。
これぞ高級寝具。
温かいけれど寝苦しいことはない。
しかも軽い。
もし日本の家に帰ったら家のベッドで寝れなくなってしまうんじゃないだろうか。
帰ったら真っ先にいいマットレスと羽毛布団を買わないと。
…………。
……………………。
二度寝ができない。
寝起きに驚いたからだろうか。それともルカが隣にいるせいなのだろうか。
「…………眠れないのか?」
「うん……。なんだか目が覚めちゃったみたい」
二度寝を諦めて身体を起こす。
とはいってもこんな時間からやることなんてない。
今日の午前中は部屋でのんびり、というか惰眠を貪ってやろうと思っていたからサラにも部屋に来ないよう言ってある。
五度寝くらいしてギリギリまでベッドから降りないと決意していたのだがこんな状態ではそれも難しい。
サラは午前中は休みだと思っているだろうから私のわがままで彼女の予定を崩したくはない。
やっぱり部屋から出ずに一人で過ごすしかないか。
そこまで考えたところで隣で私に引っ付いて髪の毛を触っているルカに目を向ける。
ルカがいれば誰にもバレずに部屋から出ることも、外で別人に成りすますことも可能だ。
いや、忙しいかもしれないけど。
子どもの姿をしていても私と違って学生ではないのだ。
遊ぶ暇なんてないかもしれない。
それでも確認してみるくらいはいいだろう。
「ねえ、今日の午前って忙しい? もし時間があるなら午前中一緒に過ごしてほしいんだけど……」
私の言葉を聞いたルカは固まった。
しまった。予定があるのかもしれない。
「ごめん、やることあるなら」
「ない! 何も予定なんてないし忙しくもない。だからお前と一緒にいてやる」
謝罪した私の言葉に被せるようにルカは言った。
「あ、ありがとう。サラが来るまで時間あるから一緒に街に行きたいなって思って」
「…………それは俺と二人でか?」
「うん。ルカとなら危なくないでしょう? 魔法で私だってバレないようにしてくれたら知り合いが居ても気付かれないし」
「…………」
「だめかな? 貴方と二人きりだったら貴族の真似しなくていいから楽しめるかなって……」
無言になってしまったルカに不安になる。
吸血鬼だというくらいだから昼間は外出したくないのだろうか。
「いや、いい。お前が望むのならどこへでも付き合ってやる」
「ありがとう!!」
嬉しくて私はルカに抱きついた。
前回街へ出かけた時に食べ歩きしている人を見てすごく羨ましいと思っていた。
マリアでいる限りそんなことは絶対にできないと思っていたけれど、ルカと二人きりだったらそれを叶えてもらえる。
「そんなに嬉しいのか?」
「ええ、だって帝都にいるのに学園と皇宮くらいにしか行けてないんだもの。せっかくだから色々見て回りたくて」
小さなルカは私の頭を撫でてくれた。
子どもが大人をよしよししてるのって可愛くてたまらない。癒される。
疲れたらたまにやってもらおう。
「美味しいもの食べて、可愛い雑貨を見て、服やアクセサリーを見て……」
やりたいこともみたいものもたくさんある。
さすがに今日の午前中だけで周りきれるとは思わない。
それでも夏休みはそれなりに長いのだ。
こういう日を作って何度か付き合ってもらえばそれなりに帝都を見て回れるだろう。
「それはデートか?」
「…………そう、ね。そうとも言えるかも」
「お前は俺とデートしたいのか?」
「う、うん、そう……かな」
面と向かってそう言われるとなんだかむず痒いような気恥しいような。
ルカとデートか。
確かに言われればそうなのだけど、そんなこと全く考えてもみなかった。
うーん、デートになるかな……。
「そうか。お前に必要とされて……嬉しい」
しかしルカはとても無邪気に喜んでいる。
とても可愛いんだけど、そんなつもりは全くなかったのでなんだか申し訳ない。
ルカから少し離れた。
「大袈裟じゃない? ちょっと街を見て回るだけよ?」
「それは俺が今までどんなに望んでも叶わなかったことだ」
「…………それは……」
今までならこういうお願いをする相手は殿下だった。
彼はマリアの婚約者で、私の好きな人で、そして一緒にいたいと思っていた人だ。
これまでは彼を差し置いてルカを誘うなんてことは有り得なかった。
殿下のことを考えるとまだ胸がちくりと痛む。
それでもずいぶんとその痛みも小さくなってきていた。
私が彼と過ごした時間は短い。
夏休みに会わなければすぐに恋心なんて消えてしまうだろう。
懐かしむような思い出も想いもないのだから。
「お前が俺の事を何とも思ってないのはわかっている。それでもお前に頼られることは嬉しい。どんな些細なことでもいいから言え。俺に出来ることはなんだってしてやる。お前の役に立ちたいんだ」
きっと大人の姿だったらなんとも思わなかった。でもどんなにカッコつけたって今は子どもの姿だ。
可愛さしかない。
背伸びしてる子どもにしか見えない。
可愛さで萌え死ぬ。
枕に突っ伏して衝動を抑える。
可愛すぎてたまらない。
「その姿でそういうこと言われると、その、可愛すぎて苦しいから、ちょっと……あの、待って」
「わ、悪かった」
顔は見えないけど声から困惑してるのがわかる。
申し訳ないけどちょっと落ち着くまで待っていてほしい。
可愛いは正義だけど、可愛すぎるのは身体に毒だ。
落ち着いた後、一度ルカには帰ってもらって私は出掛けるための準備をする。
動きやすい白のワンピースに着替え、髪の毛を緩い三つ編みにした。
ポシェットを持ち、引き出しからお金を取り出す。
いつか一人でお出かけしたいなと思ってこっそり準備しておいてよかった。
普段お金なんて扱わないから基本的に持っていないのだ。
だいたい欲しいものはサラに言えば用意してもらえるし自分で買い物をするなんてことはないから。
大金貨三枚しかないけど、そんなに長い時間出掛けられるわけではないから十分だろう。
身支度を済ませルカを呼ぶと、今度は大人の姿で来た。
なんだか久しぶりだ。
よくわからないが心臓のあたりがざわざわする。
「マリア……、可愛い……」
「えっ、な、なんで?」
今日は自分で支度をしないといけないし急いでいたからいつもよりずっと地味だ。
今可愛いと言える要素なんてひとつもないはずなのになんで褒められているのだろう。
「お前が俺と出掛けるために選んだ格好が可愛くないわけないだろう」
マジか。
少女漫画みたいな、頭に生クリームでも詰まってるんじゃないかっていうくらい激甘な発想にちょっと引きかけたけど、よくよく考えたらこの人もとは乙女ゲームの人だった。
何もおかしくない。
いやでもこんなこと言う人だったっけ??
「そんなことを真顔で言われるとどんな顔していいかわからなくなるわ……」
「いつも通りの顔をしてればいいだろ」
「それはそうかもしれないけど……」
まさか出掛けている間中ずっとこの調子で激甘台詞吐くつもりじゃないよね??
そんなことになったら胸焼けしそう。
これが小さいルカなら可愛くて喜べたのに。
子どものアドバンテージってでかい。
そういえばルカは子どもの姿をとるようになってやたらと恥ずかしい台詞を吐くようになった。
私が喜ぶからあえてそんなことを言うようになったのか?
でも今の姿で言われてもあまり嬉しくはない。
「早く行くぞ。昼前には帰って来なければならないんだろう?」
私は頷いて差し出された手をとった。




