10.兄と婚約者
「遅かったな。何をしていたんだ?」
屋敷の扉の前で仁王立ちして待っていたのはマリアの兄、レオナルド・フォン・クラウスだ。
マリアと同じ銀髪、赤茶の瞳を持つ彼は剣呑な目付きで私たちを睨んでいる。
(なんで今日に限っているの!?)
いつもならやることがあるからと学園の寮に泊まり込んで帰ってくることはないのに。
というか殿下とは同じクラスのはずなのにわざわざ別々に帰ってきたのか。
屋敷に戻ってくるのなら学園で待っててくれればよかったのに。
「マリアの友人を紹介してもらったんだ。とてもいい子だったよ」
「俺が待っているとわかっているのにマリアと遊んで帰ってきたのか?」
お兄様の声はとても冷ややかだ。
だがその叱責をうけるべきなのは殿下ではない。
「ち、違います! 私がフランツ様を待たせてしまったのです。お兄様が帰ってきてるとは思わなくて……。申し訳ありません」
お兄様の冷たい視線を遮るように殿下の前に立ち頭を垂れる。
お兄様は学園に入ってからはずっと帝都に滞在していたため、クラウス領で暮らしていたマリアとはずっと離れていた。
マリアの記憶の中では確か去年の夏に帝都に訪れたときに会った程度で、そのときもほとんど顔を合わせていない。
この屋敷に来てからもお兄様を遠目で見ることはあってもこうやって面と向かって会話をすることなんてほとんどなかった。
たしか帝都にきた初日に短く挨拶を交わしたきりだ。
周囲の人に聞くと、お兄様は忙しいからだと言っていた。
マリアの記憶の中でお兄様は一つしか違わないのに六つ歳上の長兄と同じくマリアを大事にしてくれていた。ゲームでも当然彼は妹を溺愛している設定だ。
しかし私はお兄様本人ですら気付いていない本心を知っている。
「いい、お前は気にするな。……こうやってマリアと話すのは久しぶりだな」
「ええ、そうですわね。お兄様はずっとお忙しくしてらしたので……少し心配しておりました」
「心配? 俺をか?」
「ええ。ちゃんと休まれてるかどうか心配しておりました。でも大丈夫そうですわね」
お兄様は顔色もよく疲れているようには見えない。
まだ16歳の彼が何をそんなに忙しそうにしているのかは知らないが、しっかり休息はとれているのだろう。
「そうか。マリアは優しい子だな」
お兄様は少しだけ嬉しそうに微笑むと、両手を広げて私を抱きしめた。
「!!!!?」
お、おおお、おさわり厳禁ー!!
待って待って待って待って、突然すぎてどうしてこうなったのかさっぱりわからないんですけど!
今そういう流れじゃなかったよね?!
てかお兄様ってこんなことする人じゃないでしょ?
私が混乱してじたばたしてるのを見かねたのか殿下が助け船を出してくれた。
「レオ、遅れたとはいえ皇族をこんなところでもてなすつもりか?」
「……ああ、忘れていた」
真顔に戻っていけしゃあしゃあとそんなことを言ってのけたお兄様は私から離れて屋敷に入るよう促してくれた。
それにしても殿下を忘れるなんて恐れ多すぎませんか、お兄様。
私の計画では、リリーと殿下を会わせて必要以上に親しくなる前に殿下を連れ去る、もとい乱入してお開きにしてしまうつもりだった。
その後夕食時にリリーの話題をさり気なく出して好意を自覚させようと思ったのだが、イベントが失敗したことによってその計画は全て水泡に帰した。
だから今は完全に計画外の想定外で予想外の状況だ。
アドリブ力が試されるけれど、私はそんな機転の利く頭脳など持ち合わせていない。
余計なことを言ってしまわないよう細心の注意を払いつつ笑顔で二人の会話の聞き役に徹する。
二人が気の置けない仲だというのはゲームで知ってはいたが、思った以上に仲がいい。
お兄様は殿下に対して気さくな口調で話しかけている。いや、気さくと言うかぞんざいと言うか……。
幼い頃からの友人ではあるけれど、身分の差があるこの世界で普通の友人同士のようなやり取りをする二人にものすごくテンションがあがった。
男の子の友情っていいよね。
見てるだけで妄想が滾る。
……だめだ、にやけてしまいそうだ。
他の事を考えないと。落ち着け。落ち着け。
そうして私だけが無駄に気を張った時間はそろそろ終わりを迎える。
今私の目の前にあるのはイチゴのタルト。いかにも高級そうなお皿の上にちょこんと乗せられて、余白部分はソースで見事に装飾されている。
高級料理ってだいたいそうだけど、この小さな食べ物を乗せるのにどうしてこんなに大きなお皿を用意するのだろう。謎だ。
マリアは食の細い少女で、夕食時の料理も二人に比べると量は半分もなかったが、このデザートも例に漏れず二人の半分以下の大きさだ。
それでもお腹の容量的にギリギリだった。
これ以上大きければ食べきれなかっただろう。
「学園は楽しいか?」
先程まで楽しそうに殿下と話していたお兄様が突然私の方に話を振ってきた。
驚いたがそれを顔に出すわけにはいかない。
私は必死でなんでもないような顔を取り繕いながら頷いた。
「ええ、友人もできましたし、なにより新しいことを学ぶのはとても楽しいですわ」
「それはよかった」
それは私の本心だった。
私は別に勉強は好きでも嫌いでもないのだが、授業内容が“推し”の世界に関することだと思ったら全てが楽しいものに思えてくるのだ。
特に帝国史は別格だ。
だって“推し”の先祖の話だから。
全てが“推し”に繋がるのだからつい教科書の隅々まで読み込んでしまう。
まあマリアは帝国史を既に学んでいて、彼女の記憶を覗けば書籍の内容を暗唱できちゃったりするんだけど。
でも私の知識とマリアの記憶は別物だ。
「マリアは人見知りするから少し心配してたんだよ。困ったことがあればいつでも僕を頼るといい」
“推し”の優しさに頬が緩んだ。
まだ彼はマリアを気にかけてくれている。
曇ってる顔を見れないのは残念だけど、これはこれで眼福だから問題ない。
「ありがとうございます。何かありましたらその時は頼らせていただきますわ」
“推し”は微笑んでくれた。
うん、最高に可愛くて最高に美しい。
「今日は泊まっていくのだろう?」
「ああ。父上にもそう言ってある」
当たり前の如く交わされた言葉にぎょっとする。
お泊まり? お泊まりなの??
どういうこと? 殿下のおうちはすぐそこにあるんですけど?!
殿下がクラウス領に来た時も同じ屋敷内に寝泊まりしていた。
当たり前だ。
帝都からクラウス領の屋敷まで馬車で三日もかかる距離だ。日帰りなんてできる距離ではない。
でもここは帝都だ。
ちょっと馬車に乗ればすぐそこに皇宮がある。目と鼻の先……といえるような距離ではないけれど、それでもかなり近い場所にあるのだ。
お泊まりする必要なんてない。
なのに泊まりに来るということは、つまり……。
(お兄様と離れたくないのね!!)
二人の仲はとてもいい。
幼馴染で親友。最高の関係だ。
マリアは二人が喧嘩しているところを見たことがない。
そんな仲のいい二人を前に、私という存在が非常に邪魔だ。
壁になって二人を見守りたいのに。いや、床でもいいし天井でも構わない。
「だから明日はマリアと二人で学園に行くよ」
「えっ」
「レオは明日も早く登校するんだ。だから僕と二人きりで行こうね」
“推し”はなぜか二人という言葉を強調してくる。
もちろんその相手は私。いや、マリアだ。
選手交代を要求します!!!!




