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「今朝燃えた尼寺なのですが、助かったという方はおられないでしょうか?昨夜、私の叔母がお寺にお世話になったようなのですが、その後の足取りが掴めずこうして聞いてまわっております。なにかご存じのことがあればなんでもお聞かせいただけないかと思い」
「そうかい。私もまだ何も知らないんだよ、助かったのがいるとかいないだとか曖昧な話は聞くんだけどね。誰がどこにいる、そういう話はまだ聞いていないんだよ。ごめんね。なにかわかったら私にも教えておくれよ、ここの尼さんにはお世話になったからね」
焼け落ちた尼寺のことを何も知らない二人はまず野次馬たちに寺のことを聞いてみた。どうやら寺に寝泊まりをしているのは尼だけでなく夫などから逃げてきた女などもいたという。
今でも駆け込み寺と申しますが、昔の人は実際に逃げると寺で匿ってもらったそうでございます。駆け込む理由はいくつもありましょうが、代表的なものは離縁でございます。
逃げてきた女たちを匿う施設としての尼寺は江戸以前には多くあったものの、次第に寺社の力は権力者に奪われていき江戸に入ると幕府公認の縁切り寺はわずかに二つ。鎌倉の東慶寺と群馬の満徳寺であります。
それでも寺に限らず権威を持つ者の元へ駆け込まれるとなると離婚せざるを得なかったようでございます。
江戸の離婚率は現代日本の3倍近くと推定され、尼寺などに逃げ込む女性は少なくなかったのございましょう。
そこで二人は尼寺に逃げた叔母を探すという呈であたりに聞いてまわっていた。すると野次馬たちも親切心で二人を何も疑うこともなく話してくれた。
「それは災難だったねえ。今のところ助かったのはいねえみてえだねえ。そう気を落としなさんな、その叔母さんも別のとこで厄介になってたかもしれねえんだから。いいかい、まだ決まったわけじゃないんだよ」
「そうか。明け方になって気がついたマツって爺さんは中からは誰も出てこなかったって言ってたな。もちろんその前に出てきたのがいねぇってわけじゃねえさ、見てねえってだけで」
聞けば聞くほど逃げられた者はいない気がしてくる。火を付けるだけでなく逃げられないように手を打ったのかもしれない、眉郷の時と同じように。
「私たちみたいに逃げたってことはないのかな?」
「尼寺だぞ。それに山の中と違って抜け道なんて作れないだろう。これだけ聞いても生き残りが誰一人も見つからないってことは、皆殺しにするため慎重に準備を進めていたってことだろう」
「じゃあやっぱり」
「まず間違いないだろう、同じ奴にやられたんだ」
「じゃあやっぱりリクが関わってるってことだよね。でもリクは」
「逃げて今はもう江戸にはいないだろうよ」
「そうだよね。せめて、どこへ向かったのかわかればいいだけど眉郷の女がそんなへまを打つわけがないしね」
「しょうがないさ、ほんの少しだが手がかりはあるんだ。どういう理由なのかわからないけど、この眉郷を、尼僧のビキニってやつを狙っている。それだけでもわかれば十分だよ。さあ、茶屋にでも入って少し休んでこれからのことを考えるとしよう」
尼僧に聞けばリクに繋がる情報が得られる、掴みかけたその望みは失ったがそれでもリクがいないものかと二人は目を凝らして通りを歩いていく。
江戸の町は火事には敏感なものだから尼寺から離れたところまで焼失の話は既に届いているようで、その話をする者ばかりだ。
そんな話に聞き耳を立ててみるがやはり生き残りの話は聞こえてこない。手がかりについてリンはもう諦めていた。
「ナミ、あそこに茶屋があるよ、休もうよ」
「まあ待て、もう少し先まで行くよ」
後ろをつけられていつことに先に気がついたのはナミの方だった。
「リン、尾行がついているのに気がついていたか?」
「全然わからなかった。前にはいないみたいだけど、後ろは一人だけ?」
「一人みたいだな」
尾行というのは後ろをつけるだけじゃなく前にも人をつけるのが本格なんだそうでございます。
さらには後ろも数人がつき、前と入れ換えたり交代したりすると尾行だと気が付きにくいというわけでございます。
「一人ならたまたま見つけてつけてきた、というとこか」
「どうする?撒く?」
「いや、面白そうだ。ちょっと話を聞かせてもらおう」
「じゃあ拷問だね」
尾行されているにも関わらずリンはどこか嬉しそうだ。
「こんな市中で拷問なんて出来るわけないだろ」
ナミはそう言うと表通りから裏道へ入り、どんどんと人気のないところへ向かっていく。ツツツっと足を早めると後ろをつける気配もそれに従う。間違いない、尾行されている。
神社の境内に入ると周りに人のいないことを確かめる。ナミは足を止めると突然振り向いた。
「なんだいこんなところまでついてきて。恩返しにでも来たのか」
尾行もここまでかと木の陰から出てきたのは、なんと人拐いに捕まっていた女、センだった。
「お前たち、何を探っている」
エンエンと泣いていたあの日とはまるで印象が違う。愛嬌のある垂れた目の奥は冷徹に、声には厳しさがこもっている。
「お前こそ、品川にお使いに行くのじゃなかったのか。恩を返すのかと思っていたら尾行なんてしやがって」
「何を探っている、尼寺か?」
「ええ!?なんで尼寺だと思ったのかなあ?」
リンはわざとらしく驚く仕草を見せセンを煽る。
「まるであの放火になにか関わりがあるみたいな言い方だな」
ナミも調子を合わせると尾行してきた女、センの反応は明らかに変わっていった。
「そ、そ、そんなわけ、あるわけ、あるわけないじゃない。火を付けるなんて、火なんて付けて、付けるわけなんて」
「あれえ?物凄く動揺しているけど、どうしてかな」
「ああ、まるで放火だと知っているみたいな口ぶりじゃないか」
ナミもリンも放火の証拠なぞ何一つないにも関わらず、カマをかけられただけでこれほど慌てるその姿はまさに怪しい。
「もしかしてあなたが放火したのかなあ?」
「うるさい!助けてもらった恩に今回は見逃してやろうとも思ったけど、もう面倒だから死んじゃいなさい!」
胸元に手を入れ合い口を出したかと思うやいなや、リンの懐に飛び込みエイッと切り付ける。
リンは昨日のこともあり余裕をもってかわしたつもりだがその動きは予想を上回っていた。わずかだが小袖の胸元を切られてしまった。
相手のセンは胸にも尻にもしっかりと肉がついているにも関わらずその動きは素早い。身軽なリンやナミに負けていない。いや、二人を上回るかもしれない。
それに二対一にも関わらず、怯まずに斬りかかるのだから自信もあると見える。
「ナミ、捕まえて拷問しよう」
「そうだね。どうやら色々と知っているみたいだから体に聞く必要があるね」
自信ならこの二人も十分にある。ナミとリンは背中に隠し持っていた合い口を引き抜く。女は胸元からさらに合い口を出して両手に持った。
「手と足の甲に釘を打ち付けたらまずは鞭で打って、それから棍棒で殴って蝋燭を刺して」
「拷問のことは捕まえてから考えな、リン」
「うん」
ナミは上段にリンは下段に構える。相対する女は二本の合い口を腰のあたりに水平に構え中腰になった。
見たことのない女の構えに流石の二人も慎重になる。それをチャンスと見たのかセンの方から飛び込んできた。
水平に構えた合い口を胸元で交差させナミの上段に激しく打ち込む。
それを片手持ちの合い口で受けるが二本の合い口で二方向から力尽くで押され、「クソッ」たまらずナミは両手に持ち替える。
センはねじり合いの手を緩めずにナミの腹に蹴りを入た。
間合いの近さが災いした。蹴りを受け力の抜けたナミをセンは見逃さない。二本の合い口でナミの得物を一気に弾き飛ばす。
しかしリンが横から斬りかかる。
センはリンの一撃を片手で軽く受け流し後ろへ引くが、その隙きにナミは体制を整え直すことが出来た。
「どうしたの?私を捕まえて拷問するんじゃなかった?二人がかりでもこの程度、どうやらまだみたいね」
「クソ!もう生け捕りで拷問なんて言ってられないよ、リン」
「まるで手加減していたみたいな言い草じゃない。拷問が好きなのは私だって同じ。でも一人だけで十分。一人はここで死んじゃいなさい」
一対二にも関わらず明らかに劣勢。人拐いに捕まっていたものだからと力量を見誤ったとナミは悔いるがそれも後の祭り。
このまま無傷で逃げる自信すらもない。それはリンにも伝わっている。どうにかして一撃を入れることが出来れば逃げられる。ただ、その一撃が遠い。
技術では劣っているわけではないが、早さが違う、腕力が違う。力の強さで押し負けてしまう。
女はもう一度両手の合い口を水平に構えると今度はそれを大上段に振り上げナミの懐に飛び込んできた。
ナミは一刀をかわし、一刀を合い口で受け止めた。
その瞬間、隙きの出来た下段に向かってリンが鋭く突く。それを見ると女はスッと高く飛び上があり一撃をかわしたかと思うとそのまま軽々とリンの後ろに回った。
しまった!背後を取られたリンは死を覚悟をしたその時だった。
――ガシャン
刃が交わる大きな金属音が轟く。
リンにとどめを刺そうとしたセンの一撃を受け止めたのは、なんと焼かれたはずのあの大女、尼僧の錫杖だ。
「あらあら。私が先に目をつけていたのですよ、この子猫には」
「お前!生きていたのか」
センは目を見開いて叫んだ。
「はい、この通り生きておりまする。きちんと足も生えておりまする。ご覧になりますか?」
ナミでは力負けするセンとの鍔迫り合いも、この尼僧は顔色変えないどころか話す息すら乱れない。
「どうしてだ!全員燃えたはずでしょ」
「尼寺には似つかわしくない血の匂いをあれだけ漂わせておいて私たちが気が付かないとお思いでしたか?あまりの怪しさに何度も後ろをつけさせていただきました。今日も朝から後ろをつけておりましたがお気づきになりませんでしたか?」
尼僧は力負けしないどころか錫杖でジリジリと押し返す。力では押しきれないとみて、センは後ろに飛び退く。
「クソっ!食えない奴」
「それはあなた様も同じではありませんか?」
女は歯を食いしばりギリっと睨むが手を出そうとはしない。流石に三対一では分が悪いと見たらしい。
合い口を仕舞うとスッとどこかに消えてしまった。
もし三人が息を合わせて追いかければ捉えられたはずでしょう。しかし三人息を揃える、そんな自信はナミとリンにはない。どうして尼僧に助けられたのか、二人にはそれがわからないのですから当然でしょう。
ただ、じっと、女が立ち去る様子を見守るだけしか出来ない。
助けに入った尼僧はただ目を細めて二人を見るばかり。たまらず声を上げたのはリンだった。
「どうして助けた!」
これまでに危険な目にあってきたリンといえど、横から助けが入り命を救われたことはなかった。リンが横から助太刀に入り他の誰かの命を助けたこともなかった。
眉郷の女としてはそれが当然。いつでも命を捨てる覚悟がなければ任務をこなすことなど到底不可能。そう育てられてきた。
命を助けるなんて発想すらリンにもナミにも持ち合わせていない。
「先程申しあげました。あなた様には私が先に目をつけていたからでございます。それなのに目の前でその体を切り刻まれるところを黙って見ているわけにはいきませぬ。私はまだ触れてもいないというのに」
「どうやらリンの話し通りの尼僧のくせに助平みたいだな」
「フフフ、否定はいたしません。それが私の源でございますから」
「ふざけるな!」
しかしリンは納得出来ない。体をわなわなとさせて怒りを隠す様子もない。
それは尼僧への反発というよりも、あの女に殺られたはずの、不甲斐ない自分自身への苛立ちに他なりません。
こんなことは今までになかった。年若いといえど眉郷の者として与えられた命を十全にこなしてきた。
それなのに一方的にあしらわれてしまった。しかもリンでは歯が立たない相手を尼僧は軽々と退け命を救われた。
そんな屈辱を受けたのは初めてのこと。怒りで震えるのも当然。
「どうやら今の戦いに納得がいかないようでございますね。それでこそ強くなれるのでございます」
「昨日リンに何か言ったみたいだな」
リンと同様に悔しさはナミも変わらないはずだが、既に合い口を背中にしまい努めて冷静な声を出そうとしていた。
「それは話した通りでございます。あなた様もあなた様も、まだビキニの力を使えていないのでございます。かわいい子が二人に増えたことですし、もう一度、今度は詳しくお聞かせいたしましょう。美着尼、あなた様方がビクニと呼ぶものについて」