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 人拐いの二人の遺体を処分しようとすると、なにやら床下からごぞごそと音が聞こえてくる。


「クソ、他にもいたか!」


 ナミが聞こえないくらいに小さな声でそう呟くと目で合図をする。リンも床下の物音には気がついている。何も言わずに頷くと今度は合い口を構える。

 人拐いに仲間がいるのであれば直ぐに切っておかねばなるまい。そうでなければ追われる身となってしまう。


 眉郷(びくに)と知られては幕府から追われかねない状況であるのに、余計な追っ手が増えては敵討ちもままならない。

 二人共に既にその気でいる。


「いいな」


 そう無言で合図を送った瞬間、ナミはエイっ!と床板を一枚引き剥がす。それと同時にリンは床下の暗がりに見えた人影に向かって音もなく合い口を走らせ首元に刃をあてた。


 そこにいたのはただ一人、縄で縛られた女だった。襦袢(じゅばん)は着ているが腰巻きもせず胸も腹もはだけさせ、猿ぐつわに手足を後ろで縛られている。

 その横には壺が一つあるだけ。どうやら人拐いの仲間などではないようだ。


 女は無視をして壺の中を検めると硬化がぎっしりと入っている。

「どうせ女を売り飛ばして儲けた金だろう。全部持っていくには重すぎるけど持てるものだけでも貰っておこう」

 珍しくナミは破顔した。

「これで明日からはちゃんと宿に泊まれる!まさか金をもった盗賊がいるなんてね」

「ただ、問題はこいつだ」

 さっきの破顔からいつの間にかナミは普段通りの顔に戻っていた。


 まず目隠しを取ると真っ赤に泣き腫らした目を丸く見開いて、猿ぐつわのせいで喋れないが必死にうーうーと喚く。


「煩いし斬ろうよ。その方が後腐れないし」


 斬られてはたまらないと、さらにうーうーと喚いて体をよじらせて主張する。


「静かにしろ」

 リンはそう言うと喉に切っ先を突き立てるとそのまま数センチほど動かす。少し遅れて真っ赤な血がわずかに垂れる。

 月明かりしかない暗闇の中だ首筋に血の温かさを感じたのだろう、縛られた女は顔を青くして静かになった。


「でもこいつは人拐いじゃないだろう。拐われた間抜けだ」

 ナミの言葉を聞くと鼻息を荒くして必死に頷いて賛意を示す。


「じゃあ売る?いや面倒だし、やっぱり切ろうよ。試し切りに使おうよ。三体重ねてどのくらい斬れるか試してみよう。ナミだって試したことがないでしょ?一度に何体斬れるかなんて」

「それもそうだな」

 ナミは意地悪そうな笑みを浮かべる。

 縛られた女はどうしてそうなると言わんばかりに再び体をバタバタとくねらせて必死に命乞いをする。 


「嘘だよ。口を封じさせることもないだろう。縄だけ切ってやれ」


 自由になると「ありがとうございます、ありがとうございます」ぼろぼろと涙を流しながら女は頭を床につけて何度も礼を言う。


「もういい。ただ、助けてやったんだ、お前も少し手伝え」


 ナミはそう言うと、その辺の雑貨を見繕いそれを使って女に穴を掘らせ始めた。一時間近くかかっただろうか、せいぜい数十センチ程度の窪みだが、そこに人拐いの遺体を落とし、上から土をかけて死体を隠し床板を元に戻す。


「これでいい。まあ数日は大丈夫だろう。お前はどうする?」

「私は馬込(まごめ)の醤油問屋で奉公しておりますセンと申します。旦那様のお使いで馬込から品川まで行くところでしたが、道中言葉巧みに拐かされ、ここへ連れ込まれたのでございます。先ほどまで気を失っていたようですが、気がつくと物音が大きくなりこの家の二人とは別の声が聞こえてきたものでもがいていると、このように助けていただいたというわけでございます」


 馬込というのは現在でも地名に残りますが大田区にございます。池上本門寺も近くあり、当時から開発は進んでおり開けた農地でございました。

 それが目的地の品川とは反対方面、川崎宿にいるということは、袋か何かにつめられて多摩川を渡ってこの家に連れ込まれ床下に隠したのでございましょう。

 そのままであれば東海道のどこかの宿場で飯盛女(めしもりおんな)、いまで言えば売春婦として売られるところを助けたわけにございます。


 泣き止んだ女をよく見ると、売り物だからと丁寧に扱ったのだろうか、白い肌には傷一つついていない。その肌はまだ初々しく肉付きもいい。乳房は特に大きく張りがある。縄で縛られた赤い跡は痛々しいが小柄で大人しそうな顔つきがに嗜虐心をそそり立てる。

 それに唇はぷっくりと厚く、大きな目は少し垂れて情が深そうだ。男に好かれそうなその体と合わせ確かに金になりそうな女だと、ナミもリンもそう思った。

 思ったが、ただ、二人はその体に気になることがあった。


「そうか、じゃあいけ。あとこれ持っていけ」

 そう言って投げて渡したのは一分金をいくつか。


 一分金というのは現在なら二万円から三万円でしょうか。一分金が4つで一両となりますが、小判だけでなく一分金なんてものは庶民の手に届くものではなく見ることすら稀であったといいます。

 人拐いの金とはいえ命を助けた上に渡すのですから大盤振る舞い。


「そんな、助けてもらったのにその上このようなものまで頂くわけには」

「どうせ下の人拐いの金だ。文無しじゃまた得体の知れない連中に捕まってしまう。いいから取っておけ」

「重ね重ね本当にありがとうございます。この御恩、いかにお返ししたものか。お礼もせぬままでは旦那様にも叱られてしまいます。せめてお名前だけでも教えては下さらないでしょうか?」

 一度は泣き止んだ女は再び泣き出した。


「そんな事はどうでもいい、そこに埋めた仏の仲間がいつ現れるかわからない。早く行け」

「ありがとうございます。ありがとうございます」

 そう言うと、ボロボロと涙を流しながら襦袢一枚で外の闇に消えていった。


「ねえねえ、あいつ」

「ああ、あの手はただの町人じゃねえ。あれは相当刀を握っている手だ。町人だか農民のふりをしていったい何をしようってんだ。女だてらに刀を取るなんてまともな奴じゃない。だいたい平気な顔で死体を埋める町人がいるもんか」

「それはナミも一緒じゃない?」

「私達だってろくな奴じゃないのは百も承知さ。現に今こうして二人も殺めたばかりなんだ、真っ当に生きているとも畳の上で死ねるとも考えちゃいない」

「やっぱり、あいつも追いかけて斬ろうか?まずい事になる前にさ、さっさと斬っちゃおうよ」


「いや、面白そうだ。しばらくは後をつけよう。池尻の女を下女に雇うと奇妙なことが起こるって話だ」

「なにそれ?池尻の狐が女に化けているとか、そんな怪談?」

「なんでも池尻に住む神様が氏子が遠くへ行くのに嫉妬して嫌がらせをするらしい。面白いじゃないか、あの女の行く先で何が起こるのか見てやろう」

「妖怪が出てくるのか狐が化かすか」

「それとも、あいつが化かすのか」


「それにしても、どうして捕まっていたんだろうね。こんな木っ端の人拐いに程度に」

「人拐いを捕まえようとして失敗したのか、それとも」

「それとも?」

「飯と布団に釣られたただの間抜けか」


 外へ出て少し探すと話していた通り品川へ向かうのだろう、確かに多摩川へ向かう女を見つかけた。


 当時の多摩川には橋はかかっておらず、往来は渡し船、有名な六郷の渡しで現在の東京都大田区へと入ることになります。

 しかし夜にはその渡し船もない。どうやら川岸に生い茂る葦の中で朝を迎えるつもりらしい。

 しかし葦が音を立てるせいで近づくことも出来ず、二人は少し離れた木に隠れ朝を迎えることにした。


 明るくなり渡し船が動きだすと女はそれに乗せてもらい川を渡っていった。ただ、一つ大きく予想外なことが一つあった。


「あいつ、いつの間に」


 なんと、センと名乗ったあの女が小袖を着ているではないか。襦袢一つ、裸同然で外へ出ていったというのにだ。どうやら二人に気づかれないように、どこかでくすねてきたらしい。

 そもそも灯りも持たず月明かりだけで多摩川まで出てきたというのは夜目が効くということ。江戸時代は夜間の外出を制限されていたことを考えれば、夜目が効くというのはそれだけでも怪しげな者の特徴と言えるでしょう。


「こりゃあ武士の娘なんて上品なものじゃない。それどころか堅気の人間じゃないことは間違いないな。盗人か……」

「それとも隠密かも」

「そんな奴に顔を見られたんだ」

「うん、場合によっては殺さなきゃいけないね」

「まあ待て。隠密なら殺す前に聞いておかないといけないことがある」

「なにを?」

「何をって、そりゃあ(かたき)のことに決まってるだろ。どうせ何も知らないだろうが、それでも聞かなきゃ始まらない」

「じゃあ拷問しようよ、いいでしょ?」

「もし隠密だったら、拷問でもしなけりゃ口を割らないだろうな」

「じゃあ江戸へ着いたら探さないとね、拷問できる場所。出来ればいくら叫んでも声の漏れない地下牢がいいけど」

「そんな都合のいい場所があればだけどな」



 多摩川を渡ると女は一気に品川まで歩いた。品川に用があると話していたがやはり嘘だった。そのまま歩き続け芝浦へ出る。

 芝浦は水揚げ場でございますから朝から昼頃は漁師で賑わい、昼過ぎからはこれを商う人でまた賑わう。

 そんな一日賑わう雑踏の中を歩く例の女が一人の男とすれ違った時だ。肩がぶつかり詫ながら離れる瞬間に男の胸に手を当てた。


「見たか?」

「うん、ぶつかった瞬間に胸元に紙か何かを入れた」

「ああ、あれはつなぎだな」

「じゃあ、私があの男の後をつけるよ」

「リン、深追いだけはするな。あの男に尾行をつけているかもしれないよ。あの女の所在さえつかんでおけばなんとでもなるんだから」

「うん、わかってるって。拷問の次に尾行は得意なんだからさ」


 隠密や盗賊などが秘密裏に連絡を取ることを『つなぎ』だとか『つなぎをつける』と呼んでおりました。

 もちろん当時は電話なんてない時代ですから連絡をする時は実際に人と人とが会う必要がございます。

 ただ、場違いな二人、不相応な二人が堂々と会って話すわけにもいきませんし、表の顔しか知らない者に見られて怪しまれてもいけない。


 したがいまして、普通の連絡ではなく『つなぎ』の場合は人目を避けるか、すれ違いざまに一言二言で済ませるようにするか、このように周りからわからぬようにスッと紙を渡すものでございます。

 大きな盗賊団になると、つなぎを専門とする者がいたというのですからその難しさ、重要さがわかります。


 逆に言えば『つなぎ』をする事それ自体が後ろ暗い、隠し事のある証拠と言えるでしょう。


 拐われていた女、始めから怪しかったがそこには何か裏がある、疑念から確信に変わった瞬間でございます。

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