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「へっへっへっへ、いやあよくお越しなさった。こいつはこうやってよく旅人さんに声をかけてね私のところに連れてくるんですよ。今日もそうじゃないかと思ってね、色々と用意をしていたものだから二人も来てくれて嬉しいですよ。しかも今日は年若のお嬢さんが二人も。普段は私一人で寂しいものだ。男やもめにうじが湧くなんて言いますけど、あれは本当で、誰かが来てくれないと自分一人だけだと掃除もしない。こうして来てくれると思うと綺麗にしておこうかなんて考えて、ようやくなんとか体が動くってものです。だからね、私は助かっているんですよ。こうして来ていただいて。ですから遠慮せず、飯なんていくらでも食べてください」
夕餉を食べ始めるとどこからか出てきたのはこの家の主。農民だという話しだが、どうにもそうは見えない。
農民というよりは浪人崩れ。五代将軍綱吉は改易、つまり武士の身分を解く件数が非常に多かったため大量の浪人が生まれていたことは確かでございます。
時代劇に出てくるように傘を貼って日銭を稼ぐものもいれば商人となったもの、中には近松門左衛門のように文芸の道で大成した者もおります。
少数ですが中には農民となったものもおりました。では武士の身分を失った浪人が農民として地道に暮らしていたのか。それは怪しい。
腕っぷしに自信があれば、農民を隠れ蓑に悪事に手を染める者が現れるのは当然でございましょう。
確かに身なりは農民に似せているが体躯までは似せることが出来ない。もちろん農作業は重労働でございます。農民も身体付きはいい。しかし剣術で使う筋肉とは全く別のもの。
この男の体は剣術で鍛えたものだとナミもリンも一目で見抜く。
しかし怪しいことはわかっても、この浪人と声をかけてきた女の目的については皆目見当もつかなかった。何かを企んでいる、それしかわからない。
それでも男に言われた通り、二人は遠慮することなく夕餉を平らげ、飯などは三杯も食べた。
食べ終わると勧められて裏の井戸で汗を落とすことにした。
当時は商家など裕福な家では湯船につかる風呂が出てきた頃でございましたが、湯を沸かすための薪代が相当かかるので、まだ庶民が湯船に浸かるということはございません。
銭湯の蒸し風呂か、湯には浸からず井戸の水を使って体を拭く程度。
わざと音を立てるように井戸水を組み上げては流し、ナミとリンは相談を始めた。
「刀の試し斬りじゃないかな?寝ているところを縄で縛って上から吊るして斬るの」
白い胸を揺らしながら大げさな身振り手振りでそう言ったのはリンだった。
「リン、お前は恐ろしいことを考えるな。でも、それなら普通の辻斬りで十分だろ」
「きっと二人まとめて斬りたいんだよ。業物は罪人の遺体を7つも重ねて何体切れるか試すと聞いたよ。辻斬りじゃそうはいかないでしょ」
「なるほど二体まとめて試し斬りか。でもそれはリンがやりたいだけだろ」
「うん、やってみたい!いい刀が手に入ったんだよ、きっと」
リンは青い瞳を輝かせる。
「だとしてもだ、あんなに飯を食わせてやる必要がないだろ。最初から飯なんて食わせずに後ろから殴って縛ればいいじゃないか。向こうは私たちのこと警戒している様子もない、ってことは時間をかけたいってわけだ」
そう言うとナミは頭から水をかぶり、赤毛を拭き上げる。
「太らせてから斬るってこと?」
「だから試し斬りのことは忘れろ。そうじゃなくて、殺すような目的じゃなくて、むしろ傷をつけずに捕らえたいんじゃないのか」
「じゃあ犯すの?」
「まあ、その可能性はあるだろうな」
ナミは手ぬぐいでリンの背中を優しく拭く。久しぶりにゆっくりと行水出来たせいか、ナミも随分リラックスした様子を見せる。
背中を拭いた手を前に回すと体を密着させリンの大きな胸を意味ありげに揉みしだく。
「うぅん、でも、それこそ家にまで連れ込む必要なんてないんじゃないの?その辺りの藪の中で。それに女が手引するってのも変だし」
「それもそうだ。まあ考えても詮無いことか、襲って来たらその時に斬るなりすればいい」
ナミは手ぬぐいを持った手を胸から下へ下へとおろしていく。
「久しぶりだね、人を斬るのは」
「興奮するのはいいけど斬らずに済むなら斬るなよ。絞め殺せば見つかりにくいけど、斬ればそこらじゅうに血が飛んで埋めたってすぐに見つかる。死体が見つかれば追いかけられる。追いかけられれば逃げなくちゃいけない。逃げていたら敵討ちどころじゃなくなる」
「わかってるってぇ」
「本当?試し斬りのことは忘れろよ」
「ぅうん」
布団を敷いてもらいそこで二人並んで横になってから一時、二時間くらい経った頃、そろりそろりと襖を開けて入ってくるものがある。
それが初めに手を伸ばしたのはリンの方だった。一人は後ろから抱きつくように手足を絡めると口を抑える。男の手だ。
するともう一人が口に猿ぐつわをかませ、慣れた手付きで体を縄で縛っていく。リンを縛り上げると男はナミにも同じ様に後ろから抱きついた。
「命を取りやしないから安心しな。お前達は大切な売り物なんだ、一つの傷だって付けたくないくらいだ。手荒な真似はしたくないからな大人しくしてな」
そう言ったのは口を塞ぐ布を手にした女だった。
「これから私たちはどうなるのでしょうか?」
ナミは抵抗していないように見せたいのか観念したような落ち着いた声で聞いてみた。
「ああ、飯盛女として売り飛ばすんだよ。お前達は東海道に知り合いがいるみたいだから中山道か伊勢か京か。まあ5年も働けば自由になれるさ。そうしたら駿府へお帰り」
「その頃は私みたいに男なしで生きていけない体になってるかもしれないが恨まんでおくれ。それも女の喜びってやつさ」
ケケケと女は下卑た笑い声をあげた。
「もう一つ教えてください。どうして向こうから先に縛ったのですか?」
「それは向こうの方が金になるからさ。いい体をしてるからね。色も白いし胸もある、それに目の色も珍しい。ああいうのを高く買ってくれる物好きなお人がいるんだよ。お前の首飾りも高く買ってくれるお人がいればいいのだけどね」
それを聞くやいなや、ナミは女の右手を取ると跳ね上げた両足を女の首に絡め締め上げる。いわゆる三角絞めだ。
「んぐ、お、おまえさん、はやく、抑えないか」
首に絡まるナミの足に爪を立て、女は必死に助けを求めるが返事はない。
酸欠で女の暗くなる視界、わずかに見えた男は既に泡を吹いていた。リンが縄を抜けて音もなく首を締め上げていたのだ。
女の力が抜けてからも用心深いナミは締め上げ続けた。確実に殺めた確信を得てから、ようやく絡めた足を解いた。
月明かりしか入らない暗い部屋で二つの遺体をどう処分しようかと見下ろしていた。
「まあ、床下に隠しておけば二三日は大丈夫だろう」
「どうやら話しを聞くと人拐いみたいだね」
「それにしてもリン、お前随分大人しくやられてたね。下手に声を上げるよりも警戒されずにいいんだけど」
「ナミに任せておけばいいと思って寝ていたから。斬っちゃいけないって言うしさ」
「どうせそんなことと思ったけど、もう少し緊張感を持ってくれよな」
「私の方が高く売れるって言ってたね、フフ」
「なにが言いたいんだよ」
「別に。ただ、そう見えるんだなって。それだけ。じゃあ床下に仕舞おうか」