25
不気味に笑ったムイを見るとリクは気配を現し、その姿を見せた。
リクの茜色の着物はリンやナミのものとは違い返り血などはなく、まるで綺麗なものであり、ナミはそこから血の匂いを嗅ぎ取ることは出来なかった。もちろん気配も感じ取ることが出来なかった。
リクが持つ鬼の力の一つではあるが、これほどのものかとナミは警戒を強める。
しかし不審な匂いに気がついていたものはムイの他にもいた。金色の髪を逆立てた山姥はガッと両目を見開いてリクに向かって叫んだ。
「どうしてお前からセンの匂いがする!お前が殺したのか!答えろ!」
髪を逆立てるほどの山姥の気迫を感じていないはずはないのだが、リクは表情一つまるで変化を見せない。
「ああ、センに匂いを追ってここまでたどり着いたのか。センはなあ、腹が減っていたから食べたしまった。焼いた時の匂いがまだ消えてなかったようだな。それとも足を一本も食べたせいであいつの匂いが移ったか」
「リク……お前人を食うのか」
「人の肉というものは美味しいものなのでございますか?もしかして癖になる味がするとか」
「美味いから食ったわけじゃない、腹が減っていたところにちょうどセンがいたのだ。殺そうと思っていたセンがいたから殺して食べた。いや、食べる頃になっても、あいつはまだしぶとくも生きていた」
「……よくもセンを」
「お前達だって山で生きていたんだ腹が減れば食うだろう、鹿でも猪でも捕まえてそれを焼いて食うだろう。同じだ。美味いから食うわけじゃない。実際美味いものではない。私だって出来れば美味しいものを食べたいが、いつでも美味しいものを食べられるわけじゃない。不味くとも食べなきゃ生きていけない」
「そんなことでセンを殺したのか!」
「熊が人を食うのとなにが違う?人が鹿や猪を食うのと何が違う。強ければ食う、弱ければ食われる。私がセンで腹を満たしたことで命拾いした鹿や猪もいる。世界とはそういうものだ。お前も私と同じ、弱いものを食べてきたはずだ。弱いものが食べられたことでお前は今まで命拾いをしているに過ぎない。間違っているか?」
「人と獣は別だ!人が人を食って間違っていないはずがない」
「それはお前が食われたくないからそう考えているだけだ。食われたくないから強い者から逃げ弱い者を食う。弱い者はさらに弱い者を食っている。お前は弱い者を獣と呼んでいるに過ぎない。私は弱い者を獣と呼ばない、一つの命を区別をしない」
山姥の体は怒りに震えていた。
「どうした?私を殺したくなったか?憎いものを殺したい、それは当然の感情だ。人だけが持つ感情だ。食うわけでもなく、ただ殺す者こそが人間だ」
「お前だけは殺す」
涙声でそう言うやいなや、山姥は長い髪を振り乱し刃のこぼれた太刀をリクに向かって振り下ろす。
しかしリクはそれを避けようともしなかった。
山姥の太刀は確かにリクを捉えた。リクを斬ったはずだが、リクはやはり顔色一つ変えずにそこに立っている。
「なぜ斬れない!」
「そういう力だからな。そんな手入れもままならぬ太刀ではかすり傷一つ付かぬ」
リクは懐に手を入れ短刀を取り出した。
「お前たちなぞ短刀があれば十分」
再び斬りかかる山姥の太刀を今度は避けたかと思うと気配を消して姿が消えてしまった。山姥の「どこへ行った!」と声が聞こえたその瞬間、宙を斬った太刀が落ちてカランと乾いた音を立てた。
山姥の右手首が斬り落とされていた。
酷い出血に日に焼けた顔はあっという間に青白くなる。山姥は痛みに声を上げることもなくもはや立ち続けることすら精一杯だというのに力を振り絞り片手で太刀を拾い上げると振り上げた。
「さすがにこうも血を流し続けては太刀も振れないか」
リクがそう言い終える前に山姥はバタンと倒れてしまった。ドクドクと噴き出す血が土に広がっていく。
リクは近づき山姥を見下ろすと、短刀で自分の左手首を少し斬りその血を山姥の腕に落とした。すると混ざりあった血からブクブクと泡が出たかと思うと溢れた血はみるみるうちに消えていく。
もう一度リクが手首を斬り血を落とすと斬られた腕の断面がみるみる塞がっていく。
「右手は元には戻らないがこれで死ぬことはないだろう。お前たちはどうする?」
「ナミ、殺ろう。もう待つ必要なんてない」
「ああ、どちらかが刺し違えればそれでよし」
「お前達が私と刺し違えるだと?ナミ、それは自惚れですらない。ただの夢想だ。お前はもう少し使えるようになると考えていたのだがな。全くの期待はずれだ、使えない。ここで殺す。覚悟は出来ているな」
「やる前から殺されることを考える馬鹿がいるかよ」
挑発するようにリンが言った。
「眉郷の女がその覚悟すら出来ないのか。いいだろう、まずはリン、お前からだ」
そう言うとリクは気配を消し、まわりの者は再びリクの姿を見失う。
気配を消したリクが斬りつけるその一瞬、リンの体は無意識に反応していた。首筋の動脈を狙った殺意のこもった一閃にリンの体は自然と動き合い口を合わせる。
不意打ちだったはずだがとリクは舌打ちして悔しがる。
それが隙きだと見たナミとリンは息を合わせて飛び込むが、リクはそれをかわそうともしなかった。
(気配を消す瞬間?いや、気配が現れる直前?なにかリクの変化を感じる)
ナミとリンの飛び込みにリクは気配を消すのではなく体を硬くすることで二人の攻撃を受け止めた。
リクは見せたかったのだろう。その力を使うと二人が斬りつけたところで傷一つつかない、リクには効いている様子がまるでない。
それどころかリクの体があまりにも硬すぎて、斬りつけた二人の手が痺れていた。
「センが話していた通りだな」
「うん」
かすり傷一つ負わせることは出来なかったがリクが二種類の力を使ったことで、リクが力を使い分ける時に僅かな兆候があることをリンは感じ取っていた。
(息遣いが変わった。硬くなる時も気配を消す時も息遣いが変わっている)
確かめようとリンはわざと隙を作りリクの攻撃を誘い込む。リクの攻撃を引き寄せることで僅かな息遣いの変化を間近で確かめたかった。
リクはその隙きを見逃さずにもう一度リンの首筋に向かって斬りつける。しかしリンはそれを待っていた。一歩踏み込みリクの一撃をひらりとかわすと後ろを取る。
そのままリンは背後から斬りかかると、リクは体を硬くさせて傷一つ許さない。
(やっぱりそうだ、気配が現れる直前になにかを感じ取れている。だったら先手を取れる、隙きを見せてリクの攻撃を誘えば)
今度は気配を現す直前に一撃を入れられると踏んだリンは攻撃を誘い込むために隙きをみせる。
しかし見抜かれていたのかもしれない、リンの思惑は外れた。
リクが次に攻撃を仕掛けたのはリンではなくナミ。気配を未だに上手く感じ取れていないナミの足に向かってリクは斬りかかる。
無意識だろう、ナミも体を引いたがかわしきれない。白い太ももから溢れ出した血でナミの左足はあっという間に赤く染まった。
「大丈夫だリン、このくらいの傷なら治せる」
そうは言うもののナミは肩で息をしている。いくら強がって見せても足を斬られては治るまでは動きが封じられることに変わりはない。
「いくら治癒の力があるといっても、今のお前に治せる傷なぞたかが知れてる。二度三度と斬れば治癒も間に合わぬ」
それはリクのはったり、脅しではないことを二人は理解していた。あの時リクに腹を刺されても生き延びたがそれは傷が一つだけだから。あの時、二度三度と刺されていたら恐らくは駄目だっただろう。
リクが言うようにナミには後がない。斬られ動きの鈍くなるナミを自分が守らなければ、リンの頭の中はただただそれで一杯になっていた。再び気配を消したリクの動きを五感で感じなければナミはここで殺される。
間違いない、リクはそれを狙っている。
奇襲せんと気配を消したリクに先んじて仕掛けたのはリンの方だった。気配を消したリクへの攻撃はまさに暗中模索、大きな賭けとなる。僅かな違和に向かって斬りつけたその一撃が空振りに終われば、隙をつかれナミかリンは殺られるだろう。
いわばリンの捨て身の攻撃。これにはリクも虚をつかれた。
リンの袈裟斬りにリクは受けることも避けることも出来ず左の乳房を斬られる。着物に出来た隙間からは赤い血とビキニが覗いた。
「やった!」
傷は浅いがそれまで一太刀も入れることが出来なかったものだから一太刀入れたリンではなくナミが喜んだ。
一方で斬られたリクは動揺するどころかニヤニヤと不気味な笑みを浮かべ、二人を煽るように馬鹿にするように言う。
「このくらいで喜ぶのか。見ろ、こんな傷はすぐに治る」
「そんなことは先刻承知。だったら治せなくなるまで何度でも斬ればいい」
ナミのその言葉を合図に二人は再び飛び込んでいく。リクはやはり挑発したいのか気配を消すこともなく二人の打ち込みを一本の刀で凌ぐ。
しかし二対一。手数で上回るナミとリンの合い口は徐々にリクの体を斬りつける。
次第にリクの体に傷が増えていくが、やがて二人が斬りつける速度とリクが傷を治す速度は拮抗し、いくら斬りつけてても傷はそれ以上増えない。
「クソっ、斬ったそばから治りやがる!これじゃあ埒が明かない」
リンだけでなくナミの刃も何度もリクを斬りつけるが浅いものだけでなく多少手応えのあるものだろうとみるみるうちに血は止まり傷が塞がっていく。
刃を受ける毎にリクの着物は切り裂けて肌が露わになるが、かえって傷の治る様子がわかりやすくなり、治癒力の脅威をまざまざと見せつける。
それでも諦めずに斬りつける二人に対し、リクは自らの治癒力を見せつけるかのように禄に避けることもなく二人の刃を受け続けた。
「無駄だ、お前達の力では私は倒せない」
せめて致命傷となるような深い傷を与えたいのだがそれを許さないリクが一枚上手。
(リクはどうして硬くならないんだ?リクだって斬られれば痛みはあるはず、硬くなれば斬られることもないのに……もしかして硬くならないんじゃなくて、なれない。治している間は硬くなれないのかもしれない)
「貸せ」リンはムイから錫杖を無理やり取り上げると目一杯の力でリクに殴りかかる。リクはそれを避けるばかり。もう一度殴りかかるがやはり避けた。
リンはわざと大振りをして隙きを見せるがリクは気配を消して反撃することもなく、ただただ避けるだけ。
体を硬くすれば錫杖で殴りつけられたくらいなんともないはずが、避けるのだから何か理由がある。
(やっぱりそうだ!傷を治している時は硬くなれない、気配も消せない。それと同じで、気配を消している時も硬くなれなかったんだ。ならば攻撃を入れるなら気配を消した時、その時に一撃で致命傷を与えれば勝てる)
その時のリンの頭は冷静でございました。そして五感が鋭くなっていることに気がついた。
鋭くなった五感を駆使すればリクの息遣いを感じることでリクが発揮する力を見分けられることに気が付く。力がわかればリクの動きを見極められる。
さらには高まった五感はまるで時の流れを遅くさせるかのように自分自身の体を迷いがなく思いのままの正確さで動かすことが出来る。
それは些細なことかもしれないが些細なことが集まりリクの動きに先んじることが出来れば対等に戦える。
リンは気がついていた。ナミを守りたい一心がそのきっかけとなり自身の五感は高まったのだと。五感が高まりリクと対等に戦えるようになった。
そしてあの女の言葉の意味がわかった気がする。守りたい気持ちを純粋に高めることが出来ればリクに優位に立てる。
リクを守りたい気持ち、ナミを守るためにはリクを殺せばいいのだろうか。
リクが言うように殺そうという憎悪の念は人間らしいものだろう。でも、それでナミを守ることになるのだろうか。
センや山姥が言うように私たちは死にたがりなのだろう。ナミと一緒に生きていくには誰かを殺す覚悟、誰かに殺される覚悟など必要ないのかもしれない。
「くそう、リンごときが私に敵うとでも思っているのか!」
リクは怒りを隠そうともせずリンをがっ睨みつけた。リンは怯まずに目を離さない。睨み合いはしばらく続いた。
傷口があらかた塞ぐと一気に勝負を決めてしまおうというリクは気配を消す。
「怒りに囚われているリクには勝てる」リンは確信があった。
リンが突然身を屈めたかと思うとそのまま反転し右手の合い口を力強く水平に振り抜く。突然どこからか血が吹き出したかと思うやいなや、姿を現したリクがドスンと倒れた。
リンの一閃はリクの右足首を切り落としていた。
立ち上がることも叶わないリクを見下ろす。
「殺さないのか」
「リン、留めを刺せ」
「この足は貰っておく」
「リン!」
「ナミ、わかったんだ。殺そうとしては目が曇る。空気の澱みにも気がつかず音があやふやになって力を引き出せないんだ。私たちのお役目はこれで十分だよ」
「お前たち羅刹は毎日こんな事をしているのですか?」
酷く血が流れたというのに悲鳴を上げることもなく黙ってじっと見ていたイツキが聞いた。
「いや、今日だけだ」
「出来れば今日で終わりにしたいね」




