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「ナミ殿、この先に、もう少し先に湯田川(ゆたがわ)で湯治されますか。そうであれば、その間に私は鶴岡に入って少し話しを伺おうと考えております。会津では空振りでございましたが、ここまで来れば鬼の話しは聞けなくとも四鬼(しき)の面のことくらいは聞けるものと存じます」


 出羽街道、三人の目的地である鶴が岡城城下の一つ手前の宿場町が湯田川でございます。その名が示す通り温泉地。

 現在の山形県は全ての市町村に天然温泉が湧くくらいの温泉が豊富な土地でございますが、その一つが湯田川温泉でございます。

 三人が湯治に訪れた会津天仁寺温泉は会津藩の奥座敷でごしたが、この温泉地も鶴ヶ岡城から近いこともあり庄内藩の奥座敷として、さらには出羽三山への参拝者も加わり当時の湯田川は大変に賑わっていたようでございます。


「いや、もう湯は十分だよ。体の方は何も問題ない」

 そう言って刺されたあたりをさするが傷はまだ消えてはいなかった。

「リン殿もよろしいのでございますか?ナミ殿と楽しむ機会は多くございませんよ」

「リンには向いていないんだよ。でもムイに試してもらうか?」

「またそうやって意地悪なこと言う」

「まあまあ、今はまだリク殿が追ってくる気配もありませんし、焦らずにリン殿にあったやり方を見つければよいではございませんか」

「ああ、体はもう大丈夫だ。三人で手分けして聞いて回った方が早いだろ」


 三人は出羽街道をわずか二日で一気に鶴岡へ入ろうと歩みを早める。


 村上より北を蝦夷としていたのは昔、この頃には北前船による交易で酒田湊はたいそう栄えておりました。

 元禄の頃に書かれた井原西鶴の日本永代蔵(にっぽんえいたいぐら)は日本で始めての経済小説などと言われ、一代で成り上がった商人が多数登場するのでございますが、その中にも酒田の廻船問屋、鐙屋も描かれております。

 北前船だけでなく、さらには出羽三山信仰は江戸にまで広まり、参拝客も集まる鶴ヶ岡城城下は大変に賑わっていたようでございます。


 しかしながら、どういうわけなのか三人の道中はそれほど多くの旅客がいなかった。


「何か変な奴が向こうから来るな」

 そう言ったのはナミだった。

「何かってなに?それって山姥?それとも追っ手?」

「いや山姥じゃない。なんだろうな、乾いたような湿ったような、硬い匂いがする」

「乾いたのに湿ってる?硬い匂い?石とか?」

「ああそうか、わかった。これは研いだばかりの刀の匂いだ。砥石の匂いが残っているんだ」

「そうでございますね、随分と入念に研いだ刀が匂います」

「何だよ二人して鼻クンクンしちゃってさ」

 ムイだけでなくナミまで鬼の力により鼻が効くようになったものだから、すっかり拗ねたリンは意地悪にも鼻をヒクヒク動かしてみせた。

「それでどうするの?追っ手だったら、斬っちゃう?」

「追っ手なのかはわからない、もう少し近づいてこないと」


「山賊か?いや、ボロは着ているが外道の匂いじゃないな」

「じゃあ御公儀が遣わせた追っ手?」

「そうかもしれない。わざとボロを着て身分を誤魔化そうとしてる」

「でも、どうしてわかっちゃったんだろうね。ここにいるって」

「会津藩の奥座敷で静養していたことが祟ったのかもしれません」

「そうだとしても随分早いな」


 ナミの怪我に気を使い会津から越後までの道はゆっくりと歩いたが、それは三人としては。普通の男性と同じ程度かそれ以上の距離を歩いた。ましては羽州街道に入ってからはさらに速く歩いたのだから馬でも使わなければ先回りなどはできない。


「じゃあリクの追っ手じゃないの?」

「そうだとしたら血の匂いが薄い、これは侍の匂いだ」

「どうする、斬っちゃっていい?一人だけなら斬ってもいいよね」

 侍なら一人で斬れるという自信か、あるいはナミに置いていかれたが自信を取り戻したいのか。リンの声は弾んでいた。

「まあ一人しかいないみたいだし、斬ればいいか」

 ナミはただリンのやる気を止めたくない、それだけだった。


 その言葉を聞くやいなや、リンはツツツっと音もなく走り出す。向こうから歩いて来る女一人の旅客を通り過ぎるとその後ろに総髪の浪人。

 軽い旅装、しかし腰にはしっかりと大小を下げた不格好な浪人も急に走り出したリンの不審な動きに気が付かないわけではない。


 それまでの足早の歩みを緩めリンの出方に対応出来るように左手を脇差に添えたかと思うと抜きざまにリンの一刀を受ける。

 刃と刃の交わる甲高い音が響いた。


「貴様何奴!」

「とぼけるな!」

 不意打ちこそ許しリンに押し込まれていたが二度三度とリンが打ち込むと向こうは次第に建て直す。やはりただの浪人ではない。男の剣の腕はなかなかのもの。

 しかし、それは剣術としての腕前。実戦ではリンの方が修羅場を潜り抜けている。

 リンは地面を蹴りあげ砂を巻き上げると怯んだ男の一瞬の隙を誘う。目に砂が入り視界は効かないが気配を感じたのだろう、男はそれに向かって刀を降り下ろすが結果としてそれがまずかった。

 リンは軽々とそれを避けると無防備になった首の動脈に一太刀いれる。

 男は気丈にも倒れまいとするが動脈を切られてしまえばそれも叶わぬ。ガクッと膝をついたかと思うとそのまま一気に倒れた。


 唯一の目撃者は女一人の旅客。脈動にあわせて吹き出す血に叫ぶわけでもなく、立ち止まり無言で見つめていた。

「悪いことは言わない、これは見なかったことにしてくれ」

 ナミとリンの二人なら特徴も隠すこともできようが、ムイは別だ。頭を丸めておまけに背が高い。そんな目立つ女、そうそういるわけがない。口止めをしなければすぐに人斬りとして手配され追っ手が来る。

 女が見なかったと言えばそれでよし。そうでなければ口を塞ぐ、ナミはその覚悟もしていた。しかし女の返答は予想にもしていなかった。


「あの男が狙っていたのは私です」

「え?」

 斬り捨てた男のもとから戻ってきたばかりのリンはただただ驚いた。

「ですから、あの男は私の跡をつけていたのです」

 確かにあの浪人はリンのことを知らない様子だった。三人を襲うものだとばかり早合点し、リンは勘違いのうちに斬ってしまったらしい。

 それを聞いてナミは男の亡骸をあらためてみるがその人身に関するものはなにもなし。ただ浪人というよりも、浪人を装っていることは身なりから明らかだった。


「そうでございましたか、これは少々厄介なことをしたかもしれませぬ」

「どういうこと?」

「やはりあの男、賊じゃない。どこかの奉行所の同心か下手をすれば与力」


 同心(どうしん)といいますのは奉行所の一番下の役職でございますが、平社員というのとも少々違いまして現在の役職で言えば係長かそれよりも上。

 時代劇などに出てくる岡っ引き、本来は御用聞きといいますが、これは給金などはなく言うなればボランティア。ただ食事の世話だけはしていたそうでございますが、その面倒をみたのが同心でございます。

 一人の同心に3人から4人の御用聞きがいて、それを食べされたり褒美を与えられるくらいの役職が同心であります。

 与力(よりき)というのはその同心の上司にあたります。与力ともなればかなり高い役職であると言えるでしょう。それが職務中に殺されたとなれば大事になることは間違いございません。


「尾行をしていた奴が戻らないってことは、そいつが拉致された時か殺された時だ」

「だからどういうこと?」

「賊や赤の他人と喧嘩して斬り捨てられたなんて思うわけがない、それなりに剣の腕もあるようだし何より信頼されているだろう。どこの奉行所かは知らないが向こうは尾行をしていたこの女が斬ったと捉えるのが道理」

「でも、もともと追われていたんだから同じようなものでしょ」

「そんな風に考えるのはリンだとかムイだとか頭のおかしな連中だけだ。どうして跡をつけられていたのかは知らないけど、向こうはこの女をいよいよ人斬りとして捕まえられるってことになる」

「やっぱり同じじゃん、どうせ逃げてたんでしょ」

「だからそれは」


「いえ、ちょうどいい機会でした」

 大人しそうな旅客がまるで動揺も見せずに言うものだから三人は驚いた。気丈というよりもまるで厄介事に巻き込まれることを予見していたような度胸を女の態度から見て取れた。

「ちょうどいい?」

「はい。もう長く付きまとわれて嫌気がさしていたところでしたので。それにお前たちは私を探してここまでたどり着いたのでしょう」

 その言葉に三人は警戒を強める。

「じゃあお前、鬼か?」

「いいえ、私は違います。ただ、あなた達のようなものが来ることを知っていただけです」

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