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「知ってる匂いか」
街道から外れ集落からも外れた山中を歩くものなど稀。さらにはムイの知っている匂いとなれば当然そんなところを歩く者は限られる。
それが誰にせよ、この山中を近づいていくるのは三人と対立する者しかおりません。
「リクだったら野宿も今日で終わりだけど、お前はリクのこと知らないか」
緊張が高まる二人とは対照的にリンはいつもどおり、まだ呑気なものだった。
「リク殿も亜慈瑠院に出入りしていましたので知らないわけではございません。そうは言っても顔と名前とそれに匂いくらいでございますが」
さすがのリンもムイのその言葉には驚いた。
「じゃあ、あいつが眉郷にいたことも知っていたのか!?早く言えよ」
「そこまでは存じておりませんでした。只者ではないことは感じておりましたが、亜慈瑠院は訳ありの女を受け入れる場所でもございます。下手な詮索は逆に我々に痛手となることもございます」
「そうか……それは後でいい、それより近づいてくるのはリクなのか?」
ナミのその言葉を聞くとムイは目を細め嗅覚に意識を集中させた。その姿を見た二人はまるで狼のような気迫だと感じた。
「いえ、恐らくはセン殿。随分と急がれているのでございましょう。どんどんと近づいてこられます」
「あの恩知らずか、とりあえず尾行するか」
「今はこちらが風下におりますが、尾行するとなればこちらが風上に立つことになります。セン殿も私と同じように鼻が効くかもしれません」
「じゃあ捕まえて知っていること吐かせようよ、三人いれば捕まえられるでしょ?」
「捕まえられるかはお前次第だ」
そう言ってナミはムイをじっと見た。
「そうでございますね。尾行よりも捕まえる方が得策でしょうか。ただ拷問には反対します」
「なんでだよ!あいつが隠密なら拷問しなきゃ口を割らないよ。拷問してやらなきゃ駄目だよ」
「リン、静かにしろ。あとどのくらいだ」
「一町ほどの距離でございます」
その言葉でようやくリンにも緊張感が漂い出す。
一町というのはおよそ100メートル。道のない山中では雑木や下草で視界が悪い。数十メートルくらいでもまず見えないでしょう。
だからとって相手に気が付かれてしまえばその瞬間に優位を失ってしまう。その前に打つ手を決めなければいけません、尾行か不意打ちか。
ナミの決断は早かった。
「よし、この山の中で尾行も厄介だ。捕まえよう」
「正面からでございますか?」
ムイは何か策がなければ無理だと言いたげだ。
「私とリンが左右から襲いかかる、坊さんは隙きを突いて後ろから頭をぶっ叩いてくれ。気を失ったら着ているものを全部脱がして縛るぞ。リン、力負けするからあいつが打ち込んできても受けるな、出来るだけ避けろ」
「この前は散々だったからね。大丈夫、まともにはやり合わないよ」
「それでいい。一人でやろうなんて意地を張らずに三人で取り押さえればいい。ムイ、頼むぞ」
「フフ、わかりました」
ナミの指示に従い三人が三方に散らばると、すぐにこちらへ向かって歩いてくる人の姿が見えてきた。
獣道すらもない藪の中を歩いてきたのはムイが言うようにやはりセンだった。
目をギラギラとさせ両手で雑草をかき分けながらズンズンと歩みを進めていく。その目には迷いなどはなく、目的地に向かって一直線に進んでいるように見える。
待ち伏せは息を殺して十分に引きつけることが肝要でございます。中途半端な距離で不意打ちを仕掛けても効果は半減。少しでも距離を縮めるほどに不意打ちは成功するもの。
一歩一歩、距離が縮まるほどに緊張は高まる。もしかしたら向こうに気が付かれ反撃を受けるかもしれない、そんな疑念に押しつぶされないよう三人は覚悟を決めてじっと待つ。
ザッザッザッと草をかき分け草を踏む音だけが聞こえる。
深くゆっくりと息を吸い込むと息を殺す。ナミが身を隠した木の方へ近づいてくる。あと5メートル、3メートル、2メートル。
ナミは合図を送ると同時に一気に息を吐き出しセンに飛びかかった。
最初に斬りつけたのはナミ。ザザっと揺れる藪の音に反応しセンは咄嗟にかわすが、僅かだがちょうどみぞおち辺りに刃が届いた。切れた小袖の隙間から白い肌と滲む赤い血が覗く。
それを見て今度はリンがセンの背中に目掛けて襲いかかる。
ちょうど剣道の胴のように左から中段に向かって水平に合い口で斬ってかかる。
音もなく斬れた雑草が舞い散る。草いきれが強くなる。
得物を構えていないセンはその一刀を受けることも出来ずかわすことしかできない。
後ろずさりしながらナミとセンのちょうど等距離となるところを目掛けてすっと飛び上がった。
しかし、そこにはムイがいる。
飛ぶように避けたセンの背中がムイにぶつかる。しかしムイの巨体はびくともしない。
しまった、やられたと顔に出したセンのその首に錫杖をまわして少し締めてみせると、もがくことなくあっさりと力を抜き首を摘まれた猫のように抵抗の意思がないことを示した。
「上手くいったね!」
「案外私たちは相性がいいのかもしれません。そうであれば、もちろん体を合わせる方も上手くいくでしょう。なんでも剣術と性愛は非常によく似ているそうでございます」
「こんな時でも助平のこと考えてるのかよ」
「いや、この恩知らずが油断していたことの方が大きい。お前、どうしたんだ?」
ナミは捕獲を喜ぶよりも、前回はまるで歯が立たなかったのだ、センの不甲斐なさを不思議に思った。
ムイに捕まえられたセンを近くで見ると頬が大きくこけて目は血走り、初めて見た時の男に好かれそうな器量のいいあの顔の面影はなく、すっかり変わっている。
「随分と疲れておられるようですが、まずはビキニを脱がしておきましょう。抵抗されては厄介でございます。話を聞くのはそれからにいたしましょう」
ナミとリンが小袖を脱がすとその下にはやはり獣毛の黒いビキニを身に着けていた。
鬼の力を引き出すための生命線とも言えるビキニだが、観念しているのかそれを脱がす間もセンはがっくりと項垂れ、まるで抵抗もなくすっかり裸にされてしまう。
「お願いです、見逃してくれませんか」
力のないセンの第一声は三人の誰もが予想していない意外なものだった。実際、三人はそれを聞くとしばらく黙ったままだった。
そしてその沈黙を破ったのもセンだった。
「知っていることは何でも話します。だから今だけは見逃してください。殺すならそれでも構いません、ただそれは後にしてください。今は急いでいます」
裸のセンはうつむいたまま、力なく言った。
「どうやら訳ありのようでございますね。リン殿、顔に書いてありますよ。拷問できなくて残念だと」
「残念っていうか、お前だって隠密だろ。それががいきなり何でも喋るってどういうことだよ。命をかけているんだろ」
そう言うとリンは軽くセンを蹴った。リンやナミ、隠密だけじゃなく盗賊でもそれは同じであります、易易と口を割るというのは受けた命を諦めると同義。仲間を売るということ。
そんなことをしては務まらない仕事であります。それなのに躊躇うこともなく何でも話すと言われては拍子抜けどころではございません。もはや怒りにも似た感情を抱くのも当然。
「それだけの理由がおありなのでございましょう」
「恥を捨て見逃せという理由、それも含めて話す気はあるのか?」
「もちろん。ただ今は時間がない、急がないと殺される。その前に見つけて伝えなければならない。だから今は見逃してください」
「そう見逃せ見逃せって言われてもな。まずは知ってることを全部話してくれ、それから決める」
それを聞くとセンはようやくうつむき下を向いていた顔を上げた。
「ありがとうございます。では私が知っていること、全てお話しいたします」




