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ムイと名乗る尼僧の説明を聞きナミとリンの二人はしばらく黙り、その話がはたして本当なのか考えた。
公儀が眉郷を切り捨てた。公儀の要請を受け実動する藩がある。これは予想も出来る話でありますが、眉郷の源流は陸奥にありそれは「鬼」だと言われてもまさに青天の霹靂。そんな事は考えてもいなかった。
それまで聞いたこともない話に頭が混乱しないわけがございません。
「ナミ、どうする?」
「あのセンって女は間違いなく尼寺の付け火に関係している。それに品川でセンがつなぎをつけた男は仙台藩の屋敷に入っていった。この尼さんが言うように仙台藩が指揮を取っているって話とも合致する。どういうわけか、リクも関わっている。もしかしたらリクは陸奥の出身なのかもしれない。いや、リクだけじゃない。尼さんの言うことが確かならリンも私も陸奥にゆかりがあるんだろう」
「ではご一緒いただけるのですね」
「ただ気になることもある」
「リクのこと?」
「そう。どうしてあいつは私たちを燃やそうとして、こいつのいた尼寺を燃やしたのか。言うように鬼と鬼が殺し合うように仕向けている。尼さんの予想通りにあのセンって女も鬼なら同じだ」
「それが依頼された仕事だからじゃない?」
「あなた様方はどうなのですか?依頼されれば相手が同じ鬼であっても、例えばお二人様方で殺し合うこともあるのですか?」
尼僧のムイは意図して意地悪な問をぶつけるが、対してナミは躊躇することもなく答えた。
「そうだな。私たちはそうだった。御公儀から殺し合えと言われれば殺し合う、そういう性質だ」
「今でもそれは変わらないのですか?あなた様方は御公儀にとって既に死んだ身。そうであれば御公儀からの命もありませぬ」
「直接命を授けるのはお屋形様だったからな。お屋形様に言われれば今でも従うだろう。今は敵討ちの命を受けてそれに従っているのだし」
「そうだね。そんな命があればだけど、私はナミでも殺すよ」
「随分と割り切ることが出来るのでございますね」
「そうやって生きてきたからね。でも今は敵討ちだ」
「では、あなた様方の敵の手がかりとなるかもしれない陸奥へご一緒いただけるのでしょう」
「そうだね。今は他にリクの手がかりもないし、行く価値はあるのかもしれない」
「どうせもう江戸にはいないだろうしね」
「ありがとうございます。そう言っていただけるものと思っておりました。しばらく道中をご一緒出来れば、夜な夜なあなた様方の覚醒にも私の力をお貸し出来るでしょう」
「それなんだけど、覚醒って具体的にどうするんだ?」
ムイは三白眼を細めるとねっとりとした口調で答えた。
「フフフ、性愛は言葉で言い現せるものではございません。体と体で感じ合うものでございます」
「私は嫌だよ。こんな得体の知れない女に色々いじられるなんて。……ナミならいいけど。それに別の方法だってあるんでしょ、その性愛じゃなくて」
「私が知っている覚醒方法は先程申し上げた通り死の恐怖と性の快楽、この二つだけでございます。この二つと同じくらいの経験であれば、あるいは覚醒は起こりえるのかもしれません」
「そう言われてもわからないよ」
「そうでございますね。例えば極度の痛みは覚醒のきっかけになるかもしれません。世の中には痛みと性の快感を同じものとみなす方もいるようですし、何より命の危機でもあります。何度も拷問がしたいとおっしゃっておりましたが、尋常ならざる痛みを受ける拷問であれば」
「試しにナミを拷問してみようか?」
「嫌だよ!リンに拷問されたら二度と歩けなくなるだろ、覚醒どころじゃないよもう。痛いやつじゃなくて他に何かあるだろ!」
「そう申されましても、鬼について私に話を聞かせてくれた亜慈瑠院の和尚は既に亡くなっておりますし、もう一人美着尼を使っていた者がおりましたが今はどこへいるものやら。私もあなた様方が初めてなのでございます。亜慈瑠院にゆかりのない鬼と接するのは」
「じゃあ陸奥にいる鬼に聞くしかないか」
「まだ鬼がいると決まったわけではございませぬ。いざとなれば私の手と口であなた様方に深い絶頂と覚醒をお約束いたしましょう」
このようにしてナミ、リン、ムイの三人は陸奥、東北地方を目指すこととなりました。
東北への道中は日本橋から宇都宮を経て日光、日光からさらに福島県の白河まで、有名な五街道のうちの一つ奥州道中でございます。奥州道中の先は仙台道、松前道と続きまして、現在ではそれらを含めて奥州街道と呼ぶことが多いようでございます。
江戸時代、特にこの物語の舞台となる元禄の頃は上方文化が華を開かせた時であり、関西が栄えていた印象が強いかと存じます。しかしながら陸奥、東北地方も人の往来はかなりあったようでございます。
蝦夷、北海道の先住民族であるアイヌと松前藩との交易が始まり、アイヌの品が江戸へ届くこともあったそうでございます。江戸後期になりますとロシアの南下政策への対抗で幕府は北海道防衛に動き出しますが、それは百年程度先の話しでございます。
さて、三人は奥州道中を一日40キロメートル程進みました。
ナミとリンの二人であれば一日の60キロメートルほど歩くことも出来ますが、長旅に不慣れなムイに合わせて控えめにしたのでありました。
それでも山道が多い奥州道中であることを考えれば十分。
当時の女性なら一日に30キロメートル程度と言われますので、不慣れと言えど公儀の諜報活動をしていただけあり体力はある。何より体つきが恵まれている。
一方でそれは目立ちたくない三人にとって足かせにもなり得ます。背丈は六尺近くあり、しかも頭を丸めた尼僧。道中目立たないわけがない。
「僧侶であれば怪しまれることもないでしょう。何か聞かれたら、あなた様方は新造とでもしておきましょう」
江戸時代、庶民の移動は厳しく制限されておりました。しかし、庶民は旅行を楽しんでおりました。どういうことかと申しますと、信仰に関する移動は寛容だったのであります。
お伊勢参りに善光寺参り、こんぴらさん、羽黒山などの参詣に対しては禁止することが出来なかった。
確かに三人は目立つ姿をしておりますが、僧侶とあれば長旅をする理由があると見てもらえるというわけでございます。
「新造って女郎の見習い小僧みたいな奴のこと?私たちは女郎じゃないぞ」
「いいではありませぬか。いずれはその体を私に捧げることになるでしょう。新造を借りて中尊寺へ参詣する道中ということにしておきましょう」
「まあ坊さんがいれば参詣の途中だってことにすれば格好はつくな」
「そうでございます」
そう言いくるめムイは荷物をナミとリンの二人に持たせると、自身は金属で出来た錫杖だけを持ち、シャンシャンと鳴らし歩いた。
「その杖は仕込みなのか?」
「こいつ、竹箒に仕込んでいたから油断出来ないよ」
「フフフ、これはただの錫杖にございます。あなた様方を相手にすることがあってもこの錫杖が一つあれば十分でございます」
「随分と舐められたものだな」
ナミは口ではそう言うものの、ムイとの力の差は歴然だと感じている。だからこそ、ムイが話す覚醒による鬼の力を得たいと陸奥への旅へ帯同している面もあった。
「お前の尼寺はどんなことしてたんだ?御公儀の命を受けていたんだろ」
「フフフ、それは秘密でございます。お二人様方もそうでございましょう。命について口を割ることなぞ生きているうちにはありますまい」
「もういいだろ、お前はあそこで焼け死んだことになってるんだからさ」
「そう言われてみると確かにそうでございますね」
「もう死んでここはあの世、秘密も墓までだ。ちょっとくらい聞かせろよ」
「そうでございますね、主に様々な事情を集めておりました」
「やっぱり隠密か」
「これでも仏門に仕える僧でございます。お二人様方とは違い血を見ることはそれほどありませんでした」
「この旅の間は一蓮托生だ、綺麗事はいい。お前がどれだけ殺したかなんて顔を見ればわかるよ」
ナミの言葉を聞いてムイはフフフと声も出さずに静かに笑った。
「これはナミ殿を甘くみていたようでございます。必要であれば殺めることもございましたが、殺めることはその場では何かを解決できても後々にツケが回ってくるもでございます。ですから私の場合は必要のない殺生はございませぬ」
「必要な数だけ殺めてその面になったってのか、相当だな」
「亜慈瑠院では鬼の力を持つもの、手を下せるものが私しかいないようなものでございますから、行きがかり、そうなってしまうのでございます」
「それで何か面白い仕事あっただろ、教えてよ。側室探しとかさ、そういうどうしようもない下らないやつをさ」
「御側室を探したことはございませんが、公方様はたいそう能が好きだとか、そのせいなのでしょう能に関するものであれば枝葉でもなんでも探るようにと言われておりました」
「能?」
「ああそうか、それで鬼の面の話が入ってきたってわけか」
「さすがナミ殿。その通りでございます。公方様は古い能にたいそう執心しているとかで、古ければ古いほど好むのだとか」
「公方様ってのは何してるのかわからないけど、そんな事にお前達を使うなんて江戸ってのは随分と和平なんだな」
「フフフ、それはキナ臭い話があれば事が起こる前に私共が手を打っていたからでございます」
「ああそうだった、だからそんな顔になったか」
「これでも尼僧を疑われたことなどございません」
「それにしても、その白い法衣はなんとかならないの?返り血がついたら目立って厄介だ。法衣なら紺とか黒のやつとかあるだろ」
「血を流さねばいいことではありませぬか。どうしてもという場合は私にも用意がございますのでお二人が案じることではございません」
「どうせ脱ぐんでしょ」
「ふふふ、まるで私の頭の中を見てきたようでございますね」
「脱いだ方が動きやすいけど、ビキニってやつを見られるのもまずいだろ。あんたは焼け死んだことになってるんだし、私たちもそうだ」
「私の方は既にセン殿に知られておりますゆえ問題ございません」
「私たちの方が問題なんだ。あのセンさえ殺してしまえばいい話だけどな」
「それでは次は手加減しない方がよろしいでしょうか?」
ナミとリンが二人がかりでも相手にならなかったセンに対して、尼僧ムイは手加減をしていたと言う。まさしくそれは、覚醒を経た者との差。
ナミはその問いには答えなかった。
「私たちもお前みたいに強くなれるのか?」
あまりにも余裕を見せるムイに対して、ナミだけでなくリンまでも謙虚にならざるを得なかった。
「もちろんでございます。私はこのように体には恵まれておりますが、あなた様方はこれまでに鍛錬を積まれてきておるのでございましょう。私よりも強くなるのではないかと期待しております。案ずることはありません。何かきっかけが必要なだけです」
「そのきっかけが拷問じゃなきゃいいけど」
その時だった。ふっと近づいてきた男があった。
「あんた達、坊さんかい?」




