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女子大生、ゴミを出す。

作者: 茶内


1) 


『左に曲がります、ご注意ください』


――来た。


いつもの無機質な音声と共にトラック特有のエンジン音が聞こえた。


時刻は10時40分、いつもどおりの時間だ。


(とき)(おり)エンジン音は止まると、代わりにウイイインと重いモーター音が聞こえ、「いいよぉ」という男の声ともに再びエンジン音がかかる。


 エンジン音とモーター音を交互に響かせながら、それは徐々に近づいてきた。


やがてエンジン音が私の―――正確にはおばあちゃんの家の前で止まった。


 玄関の中側で待機していた私は引き戸を15センチほど開けて外の様子を(うかが)うと、ちょうど作業服姿の男が私の出したゴミ袋をバケツから取り出しているところだった。

 

 男はそれを道路脇に止まっているゴミ収集車の後部に放り投げると、そこで袋を破き始めた。


 中から何か取り出してうちのバケツに戻すと、運転席の人に向かって「いいよぉっ」と叫んで走り出した。


 収集車もあとを追うようにゆっくりと走り始めた。


 角を曲がっていったのを確認してから私は外に出てバケツの中身を確認すると、革製のショルダーバックが戻されていた。


「なんでよ・・・革は燃えるでしょ・・・」


 1時間ほど待てば先ほどの収集車が帰り道としてもう1度家の前を通る。


 そこで全面対決だ。


◇◆◇◆◇◆


『右に曲がります・・・』


 例の音声が聞こえた。うん、ピッタリ1時間。


 私は革バックが入ったままのバケツを抱えて家の前の道に出た。


 収集車はまだ遠くにいたけど、それでも仁王立ちしている私にすぐ気づいたようで、徐々に減速を始めた。


 私の5メートル手前でしっかり止まったのを確認してから近づくと、運転席側の窓が開き、人当たりの良さそうなおじさんが顔が出した。


「はい、どうしましたか?」


私は突きつけるようにバケツの中身を見せた。


「これ、忘れていってるんですけど!」


「ああ、それは・・・」


「キタさん、自分が説明しますよ」


 おじさんの言葉を(さえぎ)って助手席から降りてきたのは私の天敵の()()だ。


 私より少し歳上に見えるこいつが、先ほどわざわざ袋を破いて革バックをバケツに戻しやがった張本人だ。相変わらず生意気なツラしている。


「このバック、革製なんですけど!革て燃えますよね!?」


 私の訴えに千野は小馬鹿にしたようにフーッと鼻から息を吐いた。


(まち)(かた)さん、革製品は不燃ゴミになります。先日渡したゴミの出し方の冊子を見てないんですか?」


「・・・ちょっと忙しくて、まだ見れてないんです!」


「こうして僕達を待ち伏せしてる時間に冊子見て確認できますよね?そのバックは不燃ゴミの日に出し直してください!」


「不燃ゴミの日て、来週の木曜ですよ?それまでこの生ゴミの匂いがするバックをどこに置いておけというんですか?」


「知りません、自業自得です!」


ムキーッ!ホントに腹立つよコイツ!


役所に苦情の電話を入れたろうと決意した時、


「まぁまぁ」と穏やかな声が割って入った。キタさんが降りてきたのだ。


「町方さん、たいへん失礼しました。そちらは持っていきますので」


そう言いながらキタさんはバケツの中に手を入れてバックを取り出した。


「あ、いいんですか?すいません・・・」


 私はすっかり気勢をそがれ、千野は不満そうに黙った。そんな千野にキタさんは

「この、バカタレがっ」と頭にゲンコツを入れた。フハハハ、いい気味。


 キタさんは私のバックを収集車の横側に設置されているカゴに入れると


「それでは失礼します」


 と丁寧に頭を下げてくれた。千野もキタさんの横で渋々といった感じで頭を下げた。お前は土下座せんかい。


 収集車が走り去るのを見送ってから、バケツを片付けた。


 辺りには収集車から発せられた生ゴミの臭いが漂っている。


「あーホント臭い・・・」


ふと2階のベランダを見上げると、朝一で出しておいた観葉植物に直射日光が当たっている。


「あ、やべっ」


慌てて家に入って2階に駆け上がった。


観葉植物の品種名はアグラオネマで、夏場の直射日光はあまり良くない。すぐに室内に入れた。


私はこの子の世話をするためにここに来ているのだ。

 


2)


 (ふじ)(さわ)()に住んでいるおばあちゃんが倒れたと連絡が来たのは私が大学3年の、就活真っ最中の6月のことだった。


(はるか)、おばちゃんが倒れたって、脳卒中みたいなの」


母が真っ青な顔で報告してきた。私も一瞬で血の気が引いた。


前におばあちゃんちに行ったのは去年の夏だから、1年近く会っていない。


「おばあちゃん、危ないの?」


母は無言で首を横に振った。


「全然分からないって。意識も戻ってないみたいだし」


 すぐに準備しておばあちゃんの入院している病院に向かった。私たちが住んでいる東戸塚から電車1本で行ける。


おばあちゃんは集中治療室に寝かされていて、面会出来ない状態になっていた。


 担当医の話によると、今日の午前中に倒れているのを発見されて、すぐに病院に運ばれてきたそうだが、発見がもう少し遅れていたら助からなかったらしい。


 病院からの帰り際、お母さんがその足でおばあちゃんちに行って冷蔵庫の中身などを処分をしにいくと言った。


その時、私の中で去年おばあちゃんちに遊びにいった時の出来事がフラッシュバックした。


「お母さんはお父さんの夕飯の準備とかしなくちゃでしょ?代わりに私がおばあちゃんの家に行ってくるよ。このあと予定ないし」


「え、遥が行ってくれるの?」


「うん、おばあちゃんが育ててる観葉植物にも水やっておきたいし」


 お母さんから合い鍵を受け取って藤沢駅で別れた。おばあちゃんちはここから小田急線で2駅の場所にあり、歩いても1時間くらいの距離だ。


 たまには運動がてらゆっくり歩くとするか。



 おばあちゃんちは1年前に来たときと全然変わっていなかった。


 合い鍵で中に入ると、まずは2階に行ってベランダに出されている観葉植物を中に入れて、窓際に置かれている霧吹きで葉に水を拭きかけた。


これは1年前に私がプレゼントしたものだ。


 映画好きのおばあちゃんと一緒に【レオン】という映画をレンタルして観てた時のこと。


 作中で主人公が観葉植物を大切に世話をしているシーンを観ておばあちゃんが


「あの植物、可愛いねぇ」


 と呟いたのを聞き逃さなかった私が、翌月の誕生日に贈ったのだ。


その時のおばあちゃんの嬉しそうな顔は今でもハッキリと覚えている。


 1階に下りて台所に向かい、冷蔵庫を開けると中には、ラッピングされた数種類のカット野菜と容器に入った煮物だけで、あとはドア側のボトルポケットにペットボトルのお茶をが入っているだけだった。


 老人の1人暮らしはこんなものか。


 次に庭側の窓を開けて部屋の風通しをした。


 フワリと心地良い風が入ってきた。ここは江ノ島が近いこともあって海の香りも混ざっている。


「やっぱいい場所だなぁ・・・」

 

 その時、私の中で1つの考えが浮かんだ。


◇◆◇◆◇◆


「え、1人暮らし?おばあちゃんちで?」

 

その日の夕飯の時に切り出すと、お母さんが目を丸くした。


「うん、大学ももうほとんど行かなくていいし、就活も藤沢から全然できるし」


 それに、と言葉を続ける。


「おばあちゃんが大切にしてくれている観賞植物の世話も毎日しなきゃいけないし」


「だったらその観葉植物をうちに持ってくればいいだろ」


 それまで黙っていたお父さんが口を挟んだ。


「それもそうだけど、就職する前に1人暮らしがどんなもの経験しておきたいんだよね」


 こんなやりとりを経て、あっさりとおばあちゃんちでの1人暮らしは決まった。


 さて、わたくし町方遥は、人生21年ずっと実家暮らしではありますが、小さい頃からお母さんのお手伝いをしてきたこともあり、家事全般はそこそこ出来ます。


 そんな私が唯一してこなかったことが、ゴミ出し。そりゃ集積場にゴミを出しにいったことはあるけど、市町村によってこんなに出し方のルールが違うなんて夢にも思わなかった。


 まず1番驚いたことが、藤沢市は個別収集だということ。


 私が住んでいた地区では町内で専用の集積場があり、そこに出していたのに対して、藤沢市では一軒家の場合は門の前に出さなければいけないとのことだった。


 いや、これゴミ回収する人メチャクチャ大変でしょ!


 2番目に、ゴミを出すのにお金がかかるということだった。


 これまで私が住ん(以下省略


 藤沢市内のコンビニかスーパーで、指定のゴミ袋を買わなければいけないと聞いた時は「え、藤沢て貧乏なの!?」と謎のショックを受けた。


 最初はなにも知らずにコンビニ袋に生ゴミを入れて出したところ、収集員に呼び鈴を押されて注意された。

 

 その時の収集員が千野。のちに色々とやり合うことになる、この町内のゴミ収集を担当する宿敵とのファーストコンタクトだった。



3)


 2度目の生ゴミを出した時にも呼び鈴を押された。


 時計を見ると10時30分を過ぎたところで、この日はこれから就活の面接にいく予定で、ちょうどリクルートスーツに着替えている時だった。


 玄関の扉を開けると先日と同じ収集員が立っていた。ここで胸の名札を見て、彼の名前を認識した。


「なんですか?今日はちゃんと指定の袋に入れて出しましたけど」


 千野は私の訴えを意に介することなく、「町方さん」とゆっくりと切り出した。


「指定袋に入れて出して頂いてありがとうございます。しかし、そのまま出したのでカラスに荒らされてしまい、大変なことになっています」


「ええっ!?」


 外に出ると千野の言う通り、私の出した生ゴミは袋を破られていて、中身が道路に散乱していた。


 確かに、これは文句も言いたくなる。


「町方さん、次回からはポリバケツに入れて出すようにお願いします」


「はい・・・。ポリバケツってどこに売ってますか・・・?」


「この家にあります」


 私の質問を遮るように千野が断言した。


「あなたのおばあさんはちゃんとバケツに入れて出していました。おそらく裏の物置の脇に置いてあると思います。見てきて下さい!」


 言われた場所を見に行くと、確かにバケツが置いてあった。


「ありました、次回からこれに入れて出します。すいませんでした・・・」


 私が敗北宣言をすると千野は


「では、よろしくお願いします」


 と偉そうに頷いた。


 ああ!もう、クソッ!むかつくむかつく!



 その後も千野は、私にゴミ出し方についてあれこれ難癖をつけてきた。


 特にひどく怒られたのは、生ゴミの中に使い終わった制汗スプレーを混ぜて出した時だった。


「町方さん、今後は絶対にスプレー缶を可燃ごみに混ぜないでください!」


「ちゃんと有料の袋に入れて出してるんですよ?少しくらい大目に見てくださいよ!」


「ダメです!」


「なんでゴミの出し方1つにそこまで神経質になるんですか!」


 私の魂の叫びが、湘南の空に虚しく響いた。


◇◆◇◆◇◆


「千野、マジで面倒くさいわ~」


 観葉植物の葉に霧吹きで水を与えながら、愚痴を吐いた。


 おっといかんいかん、植物にマイナスの言葉を吐きかけると成長を妨げてしまうと以前テレビで言っていた。クラシックとかを聴かせるのがいいんだよね、ホントは。


 愚痴は大学友達の由香ちんにでも聞いてもらおう。


 そう思った時、スマホが振動した。画面を見ると由香ちんからの着信だ。さすが親友、タイミングバッチリ!


「はい、もしもーし」


「遥?久しぶりだねぇ。元気してた?就活はうまくいってる?」


「元気だけど、就活はぼちぼち、て感じだねぇ。今日はどうしたの?」


「うん、来週の金曜なんだけど、予定空いてる?合コンがあって、遥にも来てほしいんだけど」


「お、合コンいいねぇ!空いてるよ!参加します!」


 私が即決すると由香ちんも声を(はず)ませた。


「オケ!それじゃ、詳細が決まったらまた連絡するね。今回の相手はみんな高スペックだよ~」


 由香ちんは就活生になった現在も現役合コンマイスターのようだ。


 合コンマイスターとの電話を終えたあと、テレビを点けっぱなしにしていたことに気づいた。


 もう23時を過ぎている。テレビを消そうとリモコンを手にした時、画面の中のニュースキャスターの言葉が耳に引っかかった。


「○○市のゴミ収集車から火災が発生し、収集員の1人が重度の火傷をおいました。収集したゴミの中に混ざっていたスプレー缶のガスから引火したとみられており、調査は続けられています。続いてのニュースは・・・」


 実家にいる時だったら気にも止めなかったはずのニュースに、私は目を離せなかった。


 今までは単に言いがかりをつけられていると思っていたけど、ハッキリと分かった。


 生ゴミにスプレー缶を混ぜて出したらどうなるか。


 私の無自覚な行動で、一歩間違えば大変な事故が起きるかもしれないのだ。


 テレビを消したあと、テーブルの上に放りっぱなしになっていたゴミの出し方の冊子を取った。 


【なんでゴミの出し方1つにそこまで神経質になるんですか!】


 数時間前に千野に向けて言い放った言葉が、ブーメランのように戻ってきて私の心に突き刺さった気がした。

 

 


 ◇◆◇◆◇◆


 翌日の夜に駅前のスーパーに買い物にいった。


 午後8時30分、ジャストタイム!


 このスーパーは実家の近くにもあって、この時間帯に食材およびお総菜の値引きが始まるのだ。


 私の他にも仕事終わりのおじさんやがOLしてそうなお姉さんが不自然にお総菜コーナーをウロウロしているから、そろそろだろう。


 ほどなくしてバーコードでも読み込みそうな機械を持った店員さんがやってきて、値引きシールを貼り始めた。


 ワラワラと群がる社会人チームに負けじと突入していく。


 1人暮らしでは中々つくろうとは思わない揚げ物をメインにカゴに入れる。


 よし、半額のメンチカツとササミフライをゲットした。次は食材、豚肉と鶏肉を買っておこう!


 そう思って食材コーナーに目を向けた時、知っている顔を見つけた。


 千野だ。私服なので雰囲気は違うけど間違いない。


 うわーっあいつもここを利用してるのかよ。


 向こうは売りものを見定めている最中で、私に気づいた様子はない。


 とりあえず距離を置いた。


 早くいなくなれ~と念じつつ、遠目から敵の様子を窺う。


 やがて、だんだん心に余裕が出てきのか、千野が何を買っているのか気になってきた。


 背後にまわってすれ違いざまに奴の買い物カゴを見ると、500ミリリットルのスポーツドリンクを何本も入れてあった。


 確かに、この人達て日中ずっと走ってるんだもんな。


 私の大学の男子は飲み物なんかはコンビニか自販機で買っているけど、やはりスーパーの方が格段に安い。


 性格はアレだけど、金銭感覚はしっかりしてるのかなぁ、と思った。



4)


 合コンの場所は横浜駅から歩いて数分のオシャレな居酒屋だった。


 男性陣は20代後半の社会人で、みな優秀な人達とのことだった。ちなみに4対4です。


 個室に入ってお酒が配置されたところで1番合コン慣れしていそうな人が乾杯の音頭を取り、自己紹介タイムが始まった。


 私たちの自己紹介は簡単だ。みんな大学3年の就活生なのだから。趣味だって似たり寄ったり。美容とかカフェ巡りとか。


 男性陣は左端から銀行員、プログラマー、消防士、市役所勤務とのこと。


 ルックスは皆さんけっこうイケてる感じで、由香ちんなんかは開始早々テンションが上がっている。


 私の前に座ったのは(たに)(ぐち)さんという消防士。24歳とのことなので私の3歳上。


「ハルカちゃんはどんな職種を希望してるの?」


「普通のOLですかねぇ。デパートの化粧品売り場とかがいいです」


「OLかぁ。ハルカちゃんなら社長秘書とかなれるでしょ?すっげえ可愛いし!」


 まくしてるように言ってきた。まさにザ、体育会系て感じでちょっと苦手。


「どこに住んでいるの?」


「ずっと東戸塚だったんですけど、最近藤沢で1人暮らしを始めました」


 へぇ、藤沢!と谷口さんが(あつ)(つよ)めに反応した。


(いし)()、この子藤沢だってよ!」


 谷口さんは隣にいた市役所勤務の人に声をかけて、私に顔を戻した。


「町方さん、こいつ石谷て言うんだけど、藤沢市役所で働いてるんだよ、しかもエリートコース!」


 石谷さんと呼ばれた人はそれまで静かにお酒を飲んでいたけど、消防士さんに肩を叩かれて私に目を向けた。


 自己紹介の時は伏し目がちだったけど、顔を上げたところをしっかり見るとけっこうなイケメンで、少し胸が高鳴った。


「藤沢のどこにお住まいですか?」


 石谷さんが静かな口調で私に訊いてきた。声も好きな感じ。


「はい、(くげ)(ぬま)(かい)(がん)(えき)の近くです」


 ちなみに鵠沼海岸は江ノ島の近くにあって、電車で鎌倉へは20分、横浜へは30分ほどで行けます。


「良い場所に住んでますね。住んでて困ったことはありませんか?」


「全然ありません。とても素敵な場所です」


 私が笑顔で答えると


「いやいやいや!」


 隣の隣に座っている由香ちんが割り込んできた。


 顔が真っ赤だ。こ奴、すでにかなり酔っ払ってないか?


「この子めちゃ不満かかえてますよ?ごみ収集の人に文句いわれて怒ってますから!」


 由香ちんの告げ口にいち早く反応したのはこれまた谷口さんだった。


「まぁ、ゴミ収集してる連中なんて公務員の中でも(まっ)(たん)だからね」


「まったん?」


 予想外の言葉に思わず聞き直してしまった。


「そう。言い方を変えれば底辺!あの連中は基本頭を使わないからさ、ガサツにもなるよね」


 なんでだろう、谷口さんの軽口に猛烈に腹が立った。


 けれど我慢だ。言い返したら雰囲気が悪くなる。

幹事をしてくれている由香ちんの顔に泥を塗るわけにはいかない。


 そのとき口を開いたのは、意外にも石谷さんだった。


「谷口、それ以上くだらないことを言うな。仕事に上も下もないだろ」


「はぁ?お前、女の子の前だからっていい恰好すんなよ。そう言ってるお前は財政課だろ?1番のエリートじゃねぇか!」


 石谷さんは谷口さんの悪態をまるで聞こえていないように無視をして、私に話しかけてきた。


「町方さん、住まいは鵠沼海岸て言ってたよね?少し前に鵠沼海岸のゴミを担当する収集員が消防署から感謝状を贈られてたよ」


鵠沼海岸の収集員?それって・・・


「その人は何をして感謝状をもらったんですか?」


「1人暮らしの老人が家の中で倒れているのを発見して救助したんだって」


え、嘘でしょ?・・ええ!?



5)


駅前のスーパーが半額タイムに入ったところで目当ての人物を見つけた。


私は半額シールを貼られていく総菜に目もくれず、すぐに標的の隣にいって声をかけた。


「あの~、こんばんは」


 突然挨拶された千野はギョッとした様子で私に目を向けた。


「千野さん、ですよね?」


「あ、ええと、町方さん・・・?」


そうです、と低い声で返事をした。彼は動揺しながらも私のことを覚えてくれていた。別に嬉しくないけど。


「町方さんも、ここを利用してるんですね」


 そんなどうでもいい会話をするつもりはない。すぐに本題に入った。


「うちのおばあちゃんが倒れた時に助けてくれたのって、千野さんだったんですか?」


 千野は一瞬考えるような表情を浮かべたが、すぐに真顔に戻った。


「確かに自分が見つけましたけど、その・・・」


 なんだ、この歯切れの悪さは。気になった私は思いきった提案をした。


「千野さん、このあと時間ありますか?よかったら少しお話しませんか?」


◇◆◇◆◇◆


 スーパーの中に併設されているイートインコーナーのテーブル席に座った。


 千野と向かい合ってると思うとなんか不思議な気がする。


 千野は表情が硬く、何を考えているのよく分からない。


「それで、話というのは、あなたのおばあさんのことですか?」先に千野が口を開いた。


「そうですけど、その前に○○市のゴミ収集車が火災を起こした事件をニュースで見ました」


「ああ、自分も見ましたよ」


「すいませんでした」


 私は千野に向けて頭を下げた。


「スプレー缶を生ゴミに混ぜて出すと車が燃えるなんて全然知りませんでした。今後は気をつけます」


「いや、大丈夫ですよ。最近は町方さん、分別をしっかりしてくれてますし」


 彼は居心地悪そうに手を振った


 よし、ちゃんと詫びを入れれたし、本題に入ろう。


「それと、おばあちゃんを助けてくれたのが千野さんだったなんて知りませんでした。本当にありがとうございました!」


 テーブルにぶつかる勢いで、もう1度頭を下げた。


「いや、全然気にしないでください。当然のことをしただけですから」


「お医者さんの話では、発見がもう少し遅れていたら本当に危なかったそうです。千野さんはおばあちゃんの命の恩人です」


「失礼ですが、おばあさんの意識は・・・」


「まだ戻ってません」


 私の言葉を聞いた彼はつらそうな表情を浮かべた。


「あの日、月曜日に必ず可燃ごみを出していた町方さんが、何も出されていなくて変だと思ったんです。しかし急いでいたこともあって、そのまま次の家のゴミを収集しにいってしまったんです。全ての収集を終えて処理場に向かう時にキタさんと相談して、念のため町方さんの家に声をかけることにしたんです。そしたら玄関の鍵が開いていて・・・」


 そこで倒れているおばあちゃんを見つけてくれたわけか。それにしても、この人はなんでこんな暗い表情をしているのだろうか。


「もしあの時、収集してる時に様子を見にいってれば、1時間は早く救急車を呼ぶことが出来たんです。そしたらもっと症状は軽かったかもしれないのに・・・」


 え、この人、そんなことに責任感じているの!?


「いや、ちょっと待ってくださいよ!なんで謝ってるんですか?私はめちゃ感謝してるんですよ?」


「・・・」


彼はうつむいたままでいる。なんだこの状況は?


「大丈夫ですから!おばあちゃんはぜったいに目を覚ましますから!千野さんもいつも通り生意気な顔に戻ってください!」


 え?と千野は顔を上げた。


「自分、生意気な顔してますか?」


しまった、失言した。


「あ、いや、すこ~しだけ・・・」


 そう言って私は右手の人差し指と親指を伸ばして鳥のクチバシの形をつくり、その先端に少しだけ隙間を空けた。


 彼は悲しげな表情でそれを見つめている。


「それって、ゴミの分別の件で注意をした時ですか?」


「あ、その時は少しじゃないです!超むかつきました!」


マジすかぁ・・・と千野はつぶやいた。


「自分、男子校出身でして、女の人と向かい合うと緊張してワケ分からなくなっちゃうんです。キタさんからはいろいろアドバイスをもらってるんですけど・・・」


え、感じ悪く見えたのは女性慣れしてないからだったってこと?


「ちなみに、キタさんどんなアドバイスをくれたんですか?」


「女の人は全員、自分の母ちゃんだと思って話せって」


ブホッと吹き出してしまった。やばい、つぼった。


「ないないない!そのアドバイスはないわ~!それじゃ私のこと、母ちゃんだと思って話してたんですか!?」


「いえ、どんなに頑張っても無理でした」


「ダメじゃんキタさん!」


 ケラケラと笑っていると、つられたように千野も笑った。まぁ、引きつったような苦笑いって感じだけど。


「今後はもっと感じ良くするようにします」


「うん、頑張ってください!」


 あれ、なんだこれ?楽しいぞ??



6)


「就職活動はうまくいってる?」


 乾杯をしてお酒の一口飲んだところで石谷さんが訊いてきた。耳が痛い・・。


「いや~、あんまりうまくいってないですねぇ」


私は口元を引きつらせるように笑みをつくった。


 ここは藤沢駅の隣駅の(おお)(ふな)駅からすぐ近くにあるバーで、石谷さんの行きつけのお店らしい。


 シックな内装とほの暗い照明の空間に、入った瞬間に軽く酔いそうになった。


 21歳女子大生にはキャパオーバーだなぁ・・・


 先日の合コンの時、なんやかんやありつつも石谷さんとだけライン交換をして、それから若干のやりとりを経て、こうして2人で会う事になったのであります。


◇◆◇◆◇◆


「石谷って、あの右端にいた公務員だよね?イケメンじゃん!チャンスじゃん!」


 石谷さんに食事に誘われて、2人で会う約束をしたことを由香ちんに報告すると、テンションマックスでまくしたてた。


「まぁ、就職活動のアドバイスをいろいろしてくれるっていうから・・・」


「あれ、遥はあんまり乗り気じゃないの?」


「そういうワケじゃないけど・・・・なんだろうね」

 

 そう、なんか乗り気じゃないのだ。


 今までの私なら、高スペックイケメンと2人で会うと決まった時点ですぐに由香ちんを招集して、作戦会議をしているはずなのに、今はそんなことをする気はまったく起きない。


「まぁ、そういう時もあるよね。会ってみてダメそうならさっさと次に切り替えよう。また合コン開催するからさ!」


 由香ちん、あなたも就活生のはずなのに、大丈夫なのか?


◇◆◇◆◇◆


 石谷さんとの時間は楽しかった。


 合コンの時は静かなイメージだったけど、2人で会うとよく笑い、就活のアドバイスの他にも、彼自身の仕事の話などもおもしろおかしく聞かせてくれた。




 気づいた時には終電の時刻を過ぎていた。


 まぁ、ここからなら歩いても何とか帰れる距離だし、良しとしよう。


 そんなことを考えていたら石谷さんが誘ってきた。


「電車、なくなっちゃったよね。よかったらうちで飲み直さない?」


「あ~、ははは・・・」 


 見た目から軽く見られがちの私は、大学の飲み会でもこういった誘いは今まで何度も受けてきた。


 そして、このような提案をしてきた男性には対しては、例外なく私の気持ちは冷める。


「せっかくですけど、明日は朝から予定があるので遠慮しておきます」


「明日は・・・月曜日か。大学?」


 いえ、と私は首を横に振った。


「アグラオネマを外に出してあげたいんです。明日は朝から天気がいいみたいなので」


「え?あぐろ・・・」


「アグラオネマ。観葉植物のことです」


「は?植物?そんなの、1日くらい出さなくても大丈夫でしょ?」


 そんなの、か。私にとっては何より大切なおばあちゃんとの絆だ。


「そうかもしれませんけど、私は出したいんです。それに、明日は可燃ごみも出さなきゃいけないし」


 明日出す予定の可燃ごみはすでに袋にまとめて玄関の内側に置いてある状態なのです。もちろん分別バッチリであります。

 

 私の話を聞いた石谷さんは、ククククと笑い出した。なんだ、このパターンは?今までにないぞ!?


「植物とゴミ出しか~。そんな理由でフラれるとか・・・・マジで笑えるわ~」


独り言なのか私に聞かせているのか分からないくらいの声の大きさだ。


 どうしよう、とりあえず


「すいません・・・」


 ひたすら謝ってこの場を乗り切ろう。


 すると石谷さんは手をあげてマスターを呼んだ。


「マスター、いつものを。それでお会計で」


 出て来たのは店の雰囲気に合わない湯飲み茶碗だった。湯気がもうもうと出ている。


「ここではいつも最後にこれを飲むようにしてるんだ」


 石谷さんが両手で持ってゆっくりと口に運んだ。私も彼に習って湯飲みを持った。この時点で相当熱い。

恐る恐る一口すすると、ほうじ茶だった。


「美味しい・・・」


 思わず呟くと石谷さんがニッコリと笑った。


「でしょう?これを飲むと翌日に酒が残らないで、シャキッと働けるんだよ」


 お店を出ると、目の前に1台のタクシーが止まっていた。


 石谷さんが手をあげると後部席のドアが開いた。いつの間に呼んでいたのだろう。


「町方さんは鵠沼海岸だったよね。僕は辻堂だから途中まで一緒に行こう」


 そう言って先に乗り込んだ。


 私が乗るとドアが閉まり、石谷さんが「鵠沼海岸駅の方に向かってください」と運転手に告げた。


 お酒はそんなに飲んだつもりはないけど、けっこう酔ってる感じがする。頭がボウッとしてきた。


 しばらく走ると見慣れた景色になってきた。


「この辺だよね?あとは君が運転手に教えてあげて」


 石谷さんに言われて運転手に道の指示をした。


 なんだろう、急にまぶたが重くなってきた。気持ちも悪い。


 ウトウトしながらも頑張ってまぶたに力を入れてると、外の景色が止まった。家に到着したようだ。


「今日は本当にありがとうございました」


 最後に石谷さんにお礼をいって車を降りた。両足で踏ん張ろうとしたけど力が入らない。


 周囲の景色がグラングラン廻っている。


―――あ、倒れる。


 そう思ったタイミングで腕を掴まれた。


 いつの間にか石谷さんも車から降りていて、私を支えてくれている。


「町方さん、大丈夫?」


「あれ、石谷さん・・・すいません・・・」


「いいんだよ。それより早く横になった方がいい。家の鍵は?」


 あ、はい。とカバンに手を入れようとしたらそのまま落としてしまった。


それを石谷さんが拾い上げてくれた。


 眠い。とにかく眠い。


「鍵、どこに入っているの?」


「はい、内側のポケットの中です」


 そこで私の意識は闇の中に沈んでいった。



7)


 まぶしくて目が覚めた。


 カーテンの隙間から太陽が見えた。


 体の節々が痛い。動こうとしても、体を動かせない。ここは・・・どこ?


「あ、お目覚めかな?」


 高い位置から声をかけられた。声の方向に顔を向けると、石谷がイスに座って見下ろしてる。


「君の家、すごい古民家だね。こんなボロい家に住んでるとは思わなかったよ」


 思い出した。昨夜、彼と会って家までタクシーで運んでもらったんだ。しかしタクシーから降りてからの記憶があいまいだ。


 なぜ彼が私の家に上がり込んでいる?そして私は今、どういう状況なのか!?


「もう分かっていると思うけど、君はいま縛られていて、口も塞がれている。何かしようとか思わないほうがいい」


―――だから、なんでこうなってるの?私があんたに何かした?


 そう言おうとしたけど喋れない。口の中に布の固まりのようなものが詰め込まれていて、ガムテープで塞がれている。もちろん両手両足もガッチリ固定されている。


足掻いてみたけど、すぐに無理だと悟った。


「君が悪いんだよ。俺のことを侮辱したから。目には目を、だよ。とりあえず今から服を脱がすから(おと)()しくしてね」


 両手足を縛られた状態で服を脱がせられねえだろ、と思っていたら奴の右手には大きなハサミが持たれていた。見覚えがある。あれはうちの台所に置いてあるキッチンバサミだ。


「寝てる状態でやってよかったんだけど、それじゃつまらないからさ。目一杯リアクションとってよ。それと、カメラまわすから。あとで警察に行こうとか考えたらダメだよ。行ったらそっこうで動画を世界中に拡散させるからね」


 そう言いながら石谷は私の胸元にハサミを差し入れてジョキジョキと切り始めた。刃の部分が肌に当たるたびに恐怖で体が硬直した。


―――誰か、助けて・・・!


 不意に壁に掛けられている時計が視界に入った。2本の針は10時30分を指している。


 ・・・あと10分で千野さんがうちの前を通る!


 その時にゴミが出てないことに気づいてくれれば、不審に思って家の中の様子を確認してくれるかもしれない。おばあちゃんの時みたいに・・・。


「うん?いま時計を確認した?言っておくけど、玄関にあったゴミは外に出しておいたから」


―――え!? 思わず石谷の顔を見上げた。なんでそんなことを!?


「あのさぁ、ゴミを出さずに倒れたババアが収集員に助けられたって話、君に教えたの俺だからね?しかもここの地区の収集員の話だし」


 私の希望は、一瞬にして地獄の底に叩き落とされた。


 その時だった。


『左に曲がります、ご注意ください』


 千野さんの収集車だ!


 暴れろ、暴れて少しでも物音を立てるんだ。それしかもう手段はない。


 動こうとしたその時、首筋にハサミの先端を押し当てられた。


「ちょっとでも動いたらこのまま骨に当たるまで突き刺すから」


 耳元でささやかれて動けなくなった。


 助けて助けて助けて助けて助けて千野さんお願い気づいて―――


 収集車のエンジン音はうちの前を通り過ぎて、ゆっくりと遠ざかっていった。


 こりゃダメだ。体の力が抜けて抵抗する気もなくなった。諦めるしかなさそうだ。


 ククッと小さく笑い声を漏らしながら石谷は私の首からハサミを離した。


「はい、ゲームセット。プレイを再開しまーす」


 ふざけたように言いながら私の胸にハサミを入れ直そうとした瞬間


 庭に面しているガラス戸が室内に向かって吹き飛んだ。部屋中にガラス片が飛び散る。


 石谷は「うぉ!」と悲鳴を上げて後ろに倒れ込んだ。


ガラス戸のあった場所から人が入ってきた。誰だかすぐに分かった。


―――千野さん!


 彼は尻もちをついたままの石谷に飛びかかると、ハサミを取り上げてそのまま右手を逆側に捻った。


「いてててて!何するんだ!離せ!」


 石谷は悲鳴を上げながらうつ伏せになり、千野はその上に馬乗りになった。右手の関節は極めたままだ。


 そのまま割れた窓の外に向かって大声を放った。


「キタさん!警察と救急車を呼んでください!それと会社に連絡をして、鵠沼海岸のゴミを担当している8号車がこのあと作業できなくなることを伝えて、至急応援を頼んでください!」


 石谷を押さえながら的確な指示を出す千野さんを見て、私はようやく自分が助かったのだと実感した。


 安心した()(たん)、涙が溢れ出た。


「千野さん、怖かったよ、千野さ~ん!」


 泣きながら何度も千野さんの名前を呼んだが、口を塞がれたままだったので、彼には私がフガフガ言ってるようにしか聞こえなかった、とあとで聞かされた。



8)


 この出来事はニュースでそこそこ大きく報道された。


 中には藤沢市役所のエリートが、同じ市内のゴミ収集員に取り押さえられたことを面白おかしく騒ぎ立てる番組もあった。


 石谷は警察の尋問で、私に誘われたから家についていった、同意の上だった、と言い続けているらしい。


 奴とバーのマスターはグルで、最後に出されたほうじ茶に薄めた睡眠薬が入れられていたようだけど、私の体からは何も検出されず、証拠とするには難しいようだ。



 いずれ私も法廷に立って証言することになるから、と背広を着た偉そうなおっさんに言われた。


 私が事件に巻き込まれてから2日後、おばあちゃんの意識が戻った。


 奇跡的に後遺症はなさそうで、脳の精密検査をしたあと3日ほど様子を見て退院できることになった。


 つまり私の1人暮らしも、そろそろ終わりを迎える。


 けれど実家に戻る前に1つ、ハッキリさせておきたいことがあった。



◇◆◇◆◇◆


 時刻は午前11時30分、いつも通りゴミ収集車のエンジン音が近づいてきた。


 私は外に出ると、収集車の向かってくる方向にゆっくりと体を向けた。


 前に革のバックを残された時と同じ状況だけど、違うのは私が手にしているのがポリバケツではなく、菓子折だということ。


 収集車は私に気づくとゆっくりと止まってくれた。


 運転席の窓が開き、キタさんが顔を出した。


「町方さん、どうしましたか?」


「先日のお礼をまだ言えてなかったので。本当にありがとうございました!それと、おばあちゃんが目を覚ましました!来週くらいには退院できそうです」


「へぇ!それは良かったねぇ」


 キタさんは顔をクシャクシャにして喜んでくれた。


「それで、つまらないものですけど、お2人で召し上がってください」


 私は深く頭を下げながら菓子折を差し出した。


「そんな、気をつかわなくていいよ」


 キタさんが笑いながら手を振ったけど、私は菓子折を引っ込めるつもりはない。


 バタン、と助手席のドアが開いて千野さんが降りてきた。


「キタさん、頂いておきましょう。この人はきっと、受け取るまで動きません」


 千野さんが菓子折を受け取った。


「ありがとうございます、昼休みに頂きます」


 しかし私は菓子折から手を離さず、千野さんと菓子折りを引っ張り合うかたちになった。


 私は困惑した様子の千野さんを、真っ直ぐ見据えた。


「千野さん、ちょっとお話したいです。お時間を頂けますか」


「いや、これからすぐに処理場に向かわないといけないので・・・」


「ほんの10分です」


「だから、急いでるので」


「千野!」運転席で様子を見ていたキタさんが叫んだ。


「ワリィ!さっき収集した現場でよぉ、1軒ゴミを取り忘れたとこがあったわ。取りにいってくるから、ここで待っててくれ。10分くらいで戻るからよ!」


 そう言うとキタさんはアクセルを吹かし、少年のような笑顔で走り去った。


 千野さんは呆然とした様子で小さくなっていく収集車を見送っている。


―――キタさん、ありがとうございます!


 私は軽く咳払いをしてから「さて、千野さん」と彼の背中に話しかけた。


「お訊きしたいことがあります。いいですか?」


 千野は観念したように息を吐いた。


「・・・なんでしょうか?」


「千野さん、警察に嘘をつきましたよね?本当はどうやって私のピンチに気づいてくれたんですか?」


 警察での事情聴取の際、千野さんは私の家に踏み込んだ理由を次のように説明した。


「普段はちゃんと分別してゴミを出されていたのに、あの日だけは分別されてなくて、おかしいと思ったから」


 しかし、そんなハズはないのだ。


 あのゴミは前日に私がまとめたもので、違反ごみが混ざってないか何度も確認していたからだ。


「千野さん、教えてください」


 千野さんは下を向いて黙った。無視をしてる感じではなく、迷っているようだ。


 少しして彼は視線を上げた。その視線は私の後ろの、かなり高い位置に向けられている。


「あれです」


 千野さんの短い言葉に「え、」と言いながら振り向いてに目線を合わせた。


 視線の先はうちの2階のベランダで、観葉植物が置いてある。


 数時間前に私が出したものだ。


「あれが何か・・・?」


「アグラオネマ」


 千野さんが呪文を唱えるように(なめ)らかな口調で言った。


「あなたは天気の良い日にはいつもベランダに出していました。けれど事件のあった日は晴天だったのに出されてなくて、おかしいと思ったんです」


「えっ!」


驚きすぎて声がつまった。この人、そんなところまで見てたの!?


「け、けど、そんなの単純に出し忘れてただけかもしれないのに・・・」


「ゴミは出されていました」


「あっ・・・」


 ここでやっと千野さんの言おうとしていることが分かったけど、彼の話を最後まで聞こうと思った。


「あなたは今まで、どんなにゴミを出し忘れたり、分別をロクに出来なかった時でも、アグラオネマを出し忘れたことはありませんでした。だからゴミだけ出されていたあの日の状況に不審を抱いたんです」


 石谷は頭の回転が速すぎて、自分で自分の首を絞める結果になったのか。


「・・・1軒1軒、全部の家のそういう特徴みたいなのを見てるんですか?」


「さすがにそれは無理です。気になった家だけ」


 千野さんは軽く首を振って微笑んだ。


 やばい、いま胸の奥が跳ねた。


「気になった家、というのは具体的にどのような?」


「あなたのおばあちゃんとは駅前のスーパーでたまに会うことがあったんです。ある時、孫に誕生日プレゼントで素敵な観葉植物をもらった、て嬉しそうにおっしゃってました」


「まぁ、素敵なお孫さんですね。きっと心の中も美しいと思います」


「けれど、おばあちゃんはそのあと少し困った顔をしました。『くれたのは嬉しいんだけど、ちゃんとした育て方が分からない』と」


「あ・・・・・」


 そういえば、渡したあとのこと何も考えてなかった・・・。


「仕方ないので翌日の収集時に写メを撮らせてもらって、帰ってからパソコンで調べました。そして育て方が書いてあるページをプリントアウトして、翌日おばあちゃんに渡したんです」


「そこまでやってくれたんですか・・・?」


 だから品種名も言えたのか。それにしてもこの人、良い人すぎる・・・。


 「なんか、すいません。ありがとうございます」


 あらためて頭を下げると、千野さんはもう1回微笑んだ。


「そういう経緯があったので、おばあちゃんが入院してしまった時、観葉植物のことが気がかりでした。出来れば自分が引き取って、おばあちゃんが戻ってくるまで面倒を見たいと思いましたが、さすがにそれは不可能です。そしたらある日、観葉植物がベランダに出ていました。同時に、玄関にはコンビニ袋に入れられた生ゴミも出されていました」


「・・・おばあちゃん思いで、少し抜けてる孫の仕業です・・・」


 2人で顔を見合わせて笑い合った。


 あ、このタイミングだ。行け、遥!勇気を振り絞れ!


「ち、千野さん!」


「はい?」


「迷惑でなければ今夜、お食事に行きませんか?スーパーのイートインコーナーとかじゃなくて、ちゃんとしたお店で、がっつり語り合いたいです!」


 千野さんの顔に緊張が走った。むむ、食事に誘うのはまだ早かったか?


「2人で会うのが厳しいようでしたら、今度の月曜日に違反物を入れた生ゴミを出しておくので、前みたいに怒鳴り込んできて下さい。お茶とお菓子を用意して待ってるんで、そこでお話をしましょう。それでいいですか?」


「いいわけないでしょう!分かりました。是非とも今夜、食事に行きましょう」


 千野さんは苦笑いを浮かべながら、私との食事デートを快諾してくれた。


 不意に聞こえたエンジン音の方に顔を向けると、収集車がこちらに向かってくるとこだった。


 運転席のキタさんと目が合った私は、小さくガッツポーズをして見せた。










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[良い点]  ゴミの出し方を巡る町方と千野の戦い?、面白かったです。特に構成が丁寧に練られていました。主人公の町方を女子大生にしたのは、いいアイデアですね。もうすぐ社会人という絶妙な立ち位置が、この物…
[良い点] レオンだ。 [気になる点] レオンですね……! [一言] 以前より、行間が空いて、ケータイなどで読みやすくなっているかと思います。 段落が字下げされたりされてなかったり不統一なのがちと気に…
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