第四話
玄関の方から漏れ聞こえてくる声に、ニールは来訪者が誰か判ってそわそわしていた。
「何だよ、ケイティが来たなら僕も会いたいのに」
「おい、そこの小僧。ケイティってのは誰だ」
「小僧じゃないよ! あ、口塞ぐの忘れてた」
タオルを手に近づいてくるニールにカイルは慌てて言った。
「ちょっと待て! 話を聞けよ」
「何の話だよ」
思い切り迷惑そうなニールに、カイルは苦笑しつつも言葉を続けた。
「だから、ケイティってのは、もしかしたら、あれか。セドリック殿下から婚約破棄されたケイトリンとかいう貴族の令嬢のことか?」
「うーん。ま、そうだけど」
「その令嬢がなんだってここに来るんだ?」
「そんなの、僕たちの仲間だからに決まっているだろ」
「は? 仲間だって? 貴族の令嬢がか? しかも婚約破棄されてんだろ?」
「だから何だよ」
ニールはむっとしてカイルを睨んだ。
「僕たちとケイティは黒の樹海で生死を共にした。しかも、お前の主であるコリックス男爵が国境壁の橋を降ろさないなんて下らない意地悪をした時、勇ましくそれに立ち向かったのはケイティだった。僕たちが今、ここにこうしていられるのは彼女のおかげだよ。下手をしたら自分の命が危ないっていうのに、それを顧みず彼女は行動を起こしたんだ。そんな彼女を仲間と言わずに何と言うんだよ」
「そうかよ」
ふんと鼻を鳴らすと。カイルは言った。
「生意気な小娘ってところか」
「ああ、何だって?」
「凄むなよ、小僧。似合わねえよ」
「……僕のことを馬鹿にしてるだろ」
「そんなことはどうでもいい。なあ、小僧。あの少尉どのが言っていた『虹のかかる泉』の水のことだが、本当にここにあるのか」
「そんなこと僕は知らないよ。知ってても教えないけどね」
「なら、質問を変えるよ。お前らが黒の樹海に行った時、『虹のかかる泉』の水はみつけることができたのか。伝説通り、どんな病も怪我も治せるっていう水は本当に存在するのか」
ニールは黙り込み、男の顔をみつめた。睨み合うような時間がしばらく過ぎた後、ニールは静かに言った。
「だとしたらどうするんだ?」
「本当にあるんだな? だったら」
「力づくで奪うとでも? それは」
一呼吸置くと、ニールは言葉を続けた。
「妹さんのため?」
「……妹は、男爵から頂いた薬で命を繋ぐことが出来た。だが……」
「何だよ? 話を止めるなよ」
「なあ、そんなに男爵は悪い人なのか」
「は?」
「男爵も、その姉上の王妃さまも、ただ、必死に自分の正義を……良いと思ったことをやろうとしているだけだよな? この国のため、国民のためって。それが、そんなに悪いことなのか? 俺は頭が悪いからよく判らんが……俺にとっては男爵は恩人で、あの方のためならどんなことでもやってやろうと思っている。それが悪いのか」
「それがお前の正義なんだな」
疲れたようにニールは言った。
「だけどさ、その正義を貫くためにどれほどの人が辛い思いをするのか考えたことある?
きれいごとを言うつもりはないよ。僕も軍人だ。誰かの大切なもの……命を奪う立場になることもある。そうして奪ってきたもの。それは重荷となって僕の肩にのしかかるだろう。だけどそれらを一生、担ぐ覚悟、責めを負う覚悟を決めた上で、正義ってのは成り立つんじゃないのか。……お前、考えろよ」
「何?」
「恩人か何だか知らないけどさ、男爵に言われたことをただ実行するんじゃなくて、それをすることによってどうなるのか、きっちり周りを見て、そして考えろって言ってんのさ。受けたとかいう恩をありがたがるのはその後でもできるだろ」
「……小僧のくせに、言いやがる」
「これでも少しは成長しているんだ」
ニールは男の口にタオルを巻きながら言った。
「お前と違って、上司や仲間に恵まれているもんでね」
むっつりと黙ってソファーに座るケイトリンの様子にユーリは居心地が悪くて何度も身じろぎをした。
アンとの再会をひとしきり喜んだケイトリンを、ユーリは応接室に通したのだが、ソファーに座ったきり、一言も発さず黙り込んでいる彼女に困惑していた。
……怒っている理由は判る。
恐らく、この家を出たスージーはその足でケイティの元を訪ねたのだろう。そして事の次第を知ったケイティが親友に対する私の態度に怒り心頭でやってきたのだ。
「あ、あの、ケイティ……」
「ユーリさま!」
「は、はい!」




