第三話
「俺は……知らん」
不意にユーリは男の胸ぐらを掴み上げると、強引に目を合わせた。
「私は前にも君を見たことがあるぞ」
「……何だと?」
「君にとっては思い出したくない出来事だろうが、真夜中の路地で、うら若き乙女と君たちはダンスを踊っただろう?」
「なっ!」
カイルの顔に羞恥の色が走った。
「な、何でそのことを」
「見物していたのさ」
あえて小声でユーリは言った。
「私は記憶力も視力もいいんだ。三人の男の中に君はいたね? あの時の様子では、君が男たちのリーダーのようだった」
「そ、それがどうした……」
「リーダー格と思われる君がここに現れたことは、私たちにとっては幸運だったよ。きっと君は直接、コリックス男爵から指示を受けているだろうから」
「だからそれが何だ!」
「黒の樹海から戻って以来、君らが私をつけまわしていることは判っていた。恐らく、狙いは『虹のかかる泉』の水だろう。私が殿下から託され、隠し持っているとでも思っているのか。押し入って家探しすればみつかるとでも?」
その言葉にカイルは目に見えて狼狽えた。何か言い返そうと口を動かしたが言葉が出てこない。
「カイル、君は判りやすくていいな」
ユーリにくすりと笑われて、カイルはますます狼狽え、そして憤った。
「う、うるせえ! 俺を馬鹿にしてると……!」
「例の星の刻印がある薬と『虹のかかる泉』の水。何か関連があるのか?」
「そ、そんなもの……だいたい、すべての病や怪我をたちどころに治せる水なんて本当にあるわけないだろう」
「あるとしたら?」
ぎくりとしてカイルは改めてユーリを見た。
「あんた、まさか……本当にその水を持っているのか?」
「半信半疑だったか? まあ、仕方ないところだ」
意味ありげに笑うと、ユーリは続けた。
「ところで君は、星の刻印の付いた薬が王妃の手元にもあるということを知っているか?」
「な、何? 王妃さまもあの薬を使っている、というのか?」
「ほう、それは知らないんだな」
「た、試してるんじゃねえよ! し、しかし、それは本当なのか? 王妃さまもあの薬を使っているのか?」
「……使っていては何か不都合か」
「い、いや……、そのことは男爵は知っているのか……まさか、そんな……」
「何だ? 何が言いたい」
「な、何でもない! 俺は何も知らん!」
「それでは困る」
カイルの胸ぐらを更に締め上げると、ユーリは恫喝するように低い声で言った。
「まずはあの薬を無償で配っている目的を教えて貰おうか。君が男爵から直接指示を受ける立場なら、何か知っていることがあるはずだ。すべて話せ。ことによれば、君の大切な妹にも危害が及ぶぞ」
「俺を脅す気か! ふざけんな!」
「脅しではない。これは……」
ユーリが途中で言葉を切ったのは、不意に来客を告げる呼び鈴が鳴り響いたからだ。
その場にいた四人全員がぎょっとして動きを止めた。
「……何よ、今度は誰が来たの? こんな時に!」
「まさか、またガーランドのお譲さん、ってことはないよね?」
ニールが申し訳なさそうに、ユーリの顔色を伺う。小さく溜息をついて、ユーリは男の胸ぐらから手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。
「私が出る。この男を」
「はい、見張っています」
ニールの言葉に頷くと、ユーリは疲れた足取りで玄関へと向かった。
どういうことだ。
ユーリは頭を抱えそうになった。
扉ののぞき窓から見えた来訪者は、目深にフードを被ったひとりの女性だった。
スージー、どういうつもりだ。
来てはいけないとあれほど言ったのに、その日のうちにまたやって来るとは。
苛立つ反面、しかしユーリはまた彼女に会える喜びに心がふるえている自分にも気が付いていた。
彼女がもう一度、ここに来てくれた理由は……何だろう。
扉の取っ手に指を掛けながら、ユーリは切ない気持ちになった。
彼女が何を思おうと、何を言ってくれようと、私はそれを受け入れることはできない。彼女のあの可憐な笑顔を奪いたくはないからだ……。
そうだ。
今度こそ、私に二度と関わらないよう、きつく言わなくては。それがスージーのためだ。
ユーリは表情を改めると、扉を開けた。
「ガーランド嬢、何度も言うようだが、ここはあなたのような人が来る場所では」
「違います」
フードの奥で、来訪者が静かに言った。
「私は違います」
「違う、とは何のこと……」
言いかけてユーリは、はっと息を呑んだ。目の前にいる女性が誰か判ったのだ。
「君は……ケイティ?」
「はい、ユーリさま」
フードを取り去り顔を上げたケイトリンは、大きな瞳で真っすぐにユーリを射抜くようにみつめると、はっきりと言った。
「ユーリさま、突然の訪問、失礼いたします」
「どうしてここに」
「住所は調べればすぐに判ります。このあたりは軍関係者の方々の住居が集まっている場所ですから」
「いや、そんなことを聞いているんじゃない。どうして君がここに来たのかと」
「勿論、スージーのことです!」
斬りつけられるように言われて、ユーリは思わず、口ごもった。
「彼女、泣いていました」
「あ、それは……」
「ユーリさま、私は今、とても怒っていて、そしてとても悲しく、辛く、なにより不安なのです」
「ケイティ……」
「まあ、ケイティじゃない!」
俯くユーリを後ろから押しのけるようにして、ケイトリンに駆け寄って来たのはアンだった。
「久しぶりね、会いたかったわ」
「ああ、アン。私もよ。まあ、今日はドレスを着ているのね」
アンの手を取り、弱々しく微笑みかけた後、ケイティは改めてユーリを見て言った。
「ユーリさま。どうか少し、お話をさせてください。お伺いしたいことがあるのです」
「あ、いや、今は立て込んでいて。後日にして貰えないか」
「駄目です!」
驚くほど、きっぱりとケイトリンは言った。
「今、すぐに、です!」
「……ああ、判った。とにかく、中に入ってくれ。こんなところで騒がれては目立ってしまう」
ユーリは観念してケイトリンを家の中に招き入れたが、複雑な心境だった。
どうしてこうなった?
すべて秘密裡に進めるつもりだったのに、こうも招かれざる客が次々と現れては。
再会を喜び合う女性ふたりを見ながら、彼は深い溜息をついた。




