第三話
店に入った途端、ケイトリンは圧倒された。
狭い店内は種々雑多な人々であふれかえり、にぎやかを通り越してうるさいくらいだったのだ。
そこに集う人々はみんな楽しそうで、仲間たちと酒を酌み交わし、雑談に花を咲かせ、大いに笑っていた。やかましいことこの上ないが、しかしここには人の目を気にして上品ぶることや、つまらない建前などはなく、代わりにあるのはいきいきとした血の通った笑顔と、そして屈託のない笑い声だけだ。彼らは生きていることそのものを楽しんでいるようだった。
高級な衣装を身に着け、高級なお酒を手に、白々しい笑顔を浮かべ、心にもないお世辞をさえずる王族や貴族の集うパーティとなんと対照的なことだろう。
ここでは誰も仮面を付けていない。
ここにはあの『怖い仮面の顔』はないのだ。そう思うと緊張が解け、ケイトリンは、ほっと肩の力を抜いた。
「ケイティ、大丈夫?」
立ち尽くす彼女にユーリが心配そうに声を掛けた。
「無理をしないでください。店から出てもいいですよ?」
「いいえ、その必要はありません。ここは素敵な場所です」
そう言ったケイトリンの顔は、明るく高揚していた。
「本当に『本物のパーティ』ですわね」
「はあ……」
ユーリは、不思議そうに店内をぐるりと見渡した。
騒がしい酔っ払いしかいないこんな猥雑な店が、素敵な場所?
と、ひとつのテーブルから声が上がった。
「副長、こっちですよ! 早く早く! 酒が無くなっちゃいますよ!」
見ると赤毛の青年がひとり、こちらに向かって大きく手を振っている。彼のいるテーブルには数人の男が座っており、それぞれが酒を飲み、大皿に盛られた料理をつついてにぎやかに過ごしていた。その中に、グラスを傾けるセドリックの姿もある。
「あちらに行きますか?」
「はい」
にこりとしてケイトリンは応じる。
ユーリが彼女をセドリックのいるテーブルまで連れて行くと、途端にみんなが騒ぎ出した。
「珍しいですね、副長が女連れとは」
「どこの店の子ですか? しかし、ぱっとしない子だな。他にもっと美人はいなかったんですか?」
「へえ、副長はそういう地味めが趣味ですか」
「こらこら」
慌ててユーリが言った。
「こちらの女性はれっきとした貴族の令嬢だ。口を慎め」
「ええ? 貴族? そんなぼろぼろのドレスの娘がですか?」
ぼろぼろ……。
ぱっとしないだの、地味だのと散々、言われて落ち込まないわけではなかったが、それでもケイトリンは育ちの良さの悲しさで、笑顔を崩さずに言った。
「……ユーリさま、こちらの方々は?」
「ああ、はい。全員、うちの部隊の者です。この店の常連で、何かあるとここで酒を飲んで騒ぐんですよ」
「ああ、そうですか」
「おーい、小娘。こっちに来て酌でもしろよ」
「愛想よくしろ、可愛くない分」
その場にいた全員がどっと笑い出す。
「その言い方はかわいそうだぞ、本当のことだからって」
「おい、お前たち」
温厚なユーリもさすがに怒って彼らの方に身を乗り出したその時、黙って酒を飲んでいたセドリックが突然、どんとテーブルにグラスを叩きつけた。しんと静まり返った彼らの顔を一通り見回すと、セドリックは低い声で言った。
「その可愛くない小娘は、俺の妻になる女だ。何か文句があるか」
その言葉を聞いた途端、彼らの態度は魔法がかかったように変わった。
「これは可憐なお嬢さま、ようこそおいでくださいました」
「馬鹿が失礼なことを申しまして」
「お前だろ、それは。地味とか言ったくせに」
「うるさい! ……何か飲まれますか? お食事をどうぞ」
「つまらないものしかありませんが、お嬢さまの可愛いお口に合いますか」
「おい、ニール、そこをどけ! ささ、こちらにおかけください」
「あ、あの、お気遣いなく……」
豹変ぶりに呆気にとられながらも、ケイトリンは彼らに請われるまま、大人しく粗末な木の椅子に腰を下ろした。そこから、向かいに座るセドリックの顔を上目遣いにそっと見てみたが、彼は不機嫌そうに目を逸らすだけで何も言ってはくれない。
怒っているのかしら……。
少し、悲しくなって俯いたケイトリンの前にグラスがひとつ置かれた。
「お酒は飲める?」
「え? あ、はい」
驚いて顔を上げた先には、黒髪のメガネをかけた青年の顔があった。しかし。
「あの、今、声を掛けてくださったのはあなた、ですよね?」
「ええ。何か?」
そう言った声は、高めのトーンで澄んでいた。
「……女性、ですか?」
一瞬の間の後、またしてもどっと笑いが起きた。
「あ、あの?」
「いいんですよ」
最初に手を振ってユーリたちを呼んだ赤毛の青年が笑いながら言った。
「アンに初めて会う人はみんな、びっくりするんですよ。どう見ても見かけは男だもんな」
「アンさん?」
「アンドレア・トーマ。アンでいいよ」
にこりと微笑まれて、そのチャーミングな笑顔にケイトリンは魅了された。
なんて可愛らしい方。
「ごめんなさい。その、男性かと」
「いいよ。いつものことだから」
「そうだよ。そんな成りをしてちゃ誰でも間違うさ。その割に声は可愛いんだよ。ギャップに戸惑うよな」