第一話
「何かさ、空気重たくない?」
ニールはアンに近寄るとその耳元で囁いた。
「どっちもどんより暗くて、さ」
「……まあ、そうね」
アンは台所の隅で椅子に縛り付けられ何も喋るものかと仏頂面で座る男と、陰鬱な表情で壁にもたれて立つユーリの横顔を交互に見た。
「あの男がむっつりしてるのは仕方ないこととしても、副長の様子はどうもね」
「さっきの訪問者、セルコによるとガーランドのお譲さんだったんだよね? 彼女が帰ってから副長が暗くなったと思わない?」
「そうだけど……副長は……」
うむと考え込んでしまったアンの顔をニールは不思議そうに覗き込む。
「あ、副長に何かあるの? それってガーランドのお譲さんと関係が」
「声が大きい」
アンはニールの耳を引っ張ると、顔をしかめてたしなめた。
「あの男に聞こえるでしょ」
「もう、痛いなあ。聞こえちゃまずいことなわけ?」
ニールが耳を擦りながら文句を言うのを、アンはひと睨みで黙らせると声を潜めて言った。
「こちらの情報はどんなことでも敵に伝わらないようにするのが鉄則よ。私たちは今、戦いの真っ最中だってこと、忘れちゃ駄目よ」
「え? 戦いって……大袈裟だなあ」
「大袈裟じゃないわ。いい? 事は慎重を要するのよ。それも副長の情報となれば尚更」
「だからさ、副長の情報って何だよ」
「判らないの? あんた、さっき、彼女が帰ってから副長が暗くなったって言ってたけど、そもそも副長は黒の樹海から戻って来てから様子がおかしいのよ。暗い、なんてものじゃないわ。……何だか、胸騒ぎがするのよ。すごく悪いことが身近で起きているような……これは外部に漏らしてはいけないことなんじゃないかって……」
「そんな怖いこと言わないでよ。……まあ、確かに最近の副長には陰りがあると思うけど……でも、それは黒の樹海で死にかけるほどの大怪我をしたからだよ。そのうち、何もかも元に戻るよ」
「うん。そうよね。私もそうだと思う。だけど、もっと奥の深い何かを感じるのよ」
「だから何かって、何だよ?」
「……例えば副長の右手。手袋なんて前はしていなかったわよね」
「それは怪我をした後遺症で体温が戻らないとか違和感があるとかで……」
「本当にそれだけなのかしら。何か隠し事が……」
「ふたりでこそこそと何の話だ?」
突然、真後ろから声がして、慌ててふたりは振り返った。
「あ、副長」
「何でもありません」
はははとわざとらしく笑うニールに、ユーリは溜息をつきつつ言った。
「隠し事がどうのと聞こえたが?」
「ああ、ええっと……さっき、ガーランドのお譲さんが来てましたよね? それって副長の秘密の恋人かなあなんて」
「恋人?」
言った途端、かっとユーリの顔に朱が走った。
「な、何を言っているんだ、お、お前たち」
「え。図星」
ユーリの様子に、適当に言った言葉が核をついてしまったと知って、ニールは驚いてアンと顔を見合わせた。
「ガーランドのお譲さんと本当に付き合っているんですか?」
「いつの間に……」
「違う違う。そうじゃない」
慌ててユーリは大袈裟に手を振って否定した。
「お前たち、そうゆう勘違いはガーランド嬢に失礼だぞ」
「へえ、驚いたな」
不意に横合いから男の声がした。椅子に縛られて身動きできない身体を、それでも乗り出すようにして、男はあざ笑うと言葉を続けた。
「一介の軍人のあんたが貴族のお譲さんをモノにできるとは、こいつはすげえな」
「おい!」
珍しくユーリが声を荒げる。
「違うと言っているだろう! 下らないことを言うな!」
「ああ、そうかよ」
「ちょっと。あんたには関係のない話よ。何、盗み聞きしてんのよ」
怖い顔でアンが一歩、踏み出すと、男はたちまち怯えて身を縮ませた。
「ぬ、盗み聞きって……そんな大きな声で話してりゃ聞こえるだろ」
「だとしても、あんたが口出すことじゃないわよ。あんたはもっと別のことを話しなさいよ。副長が何を聞いてもだんまりを押し通していたくせに!」
「ふん。話すことなんか何もねえからだよ。それより、こっちの身分違いの恋の方が面白いじゃねえか」
「ああ?」
腕まくりをする勢いで、アンが男に詰め寄ろうとしたのを、そっと止めたのはユーリだった。
「そうか、面白いか」
ユーリは男の前に椅子を持ってくるとそこに座り、男と同じ目線になって言葉を続けた。
「それじゃあ、君が面白いという話をしようじゃないか」




