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第六話

 セルコの奴、何故、誰が来たか言わないんだ。

 扉に近づき、用心深く小さなのぞき窓から来訪者を伺ってみると、そこには目深にフードを被った一人の女性が立っていた。花が入った籠を腕に下げているところを見ると物売りのようだ。

 何だ? どうして物売りが……。

 確かに大通りに面したこの家の周辺には、彼女のような年若い物売りの姿は珍しくはない。が、しかし家を直接、尋ねてくることは今までに一度も無かった。

 本当に物売りか怪しいものだな。

「何のご用かな? お嬢さん」

 扉は開けずにユーリは問うた。

「我が家に花は間に合っているよ」

「……そうですか」

 細いがはっきりとした声で物売りは言った。

「お花はご入り用ではありませんか」

 ……え?

 ユーリは息を呑んだ。

 その声に聞き覚えがあったのだ。次の瞬間、考えるより先に手が動き、扉を大きく開けていた。

「スージー……あ、いや、ガーランド嬢……」

「お花は……」

 そっと顔を上げた彼女の瞳が、フードの作る翳の中で、微かな光と共にゆっくりと揺らめいた。

「ご入り用では……ありませんか」

「どうしてここに……。しかも一人きりで出歩くとは無謀な……」

「ユーリさま」

 ユーリの言葉を遮ると、スージーは静かに言った。

「あなたさまにお会いしたかったのです」

「……私に?」

「ご迷惑、でしたか?」

 あまりのことにユーリに言葉は無い。ただ茫然とその場に佇んでいると、不意にスージーが微笑んだ。

「私、ずっといい子でしたのよ」

「……ええっと……はい」

「伯爵家の令嬢として慎み深く、淑やかに今まで過ごして参りました」

「は、はい」

 気が付くとユーリは直立不動の姿勢で彼女に対峙していた。スージーは笑っているが、しかしその表情からは強い意思が垣間見える。

 まずい。

 ユーリは、思わず半歩下がった。さきほどのアンの微笑みを思い出したのだ。

 女性がこんな笑顔を見せる時ほど、危険なものはない……。

「常に言いつけを守り、両親に逆らったことなどありません」

 ぐっとスージーが前に出ると、更にユーリは後ろに下がった。気が付くと二人とも玄関の中に入っている。ユーリは慌てて開け放っていた扉を閉め、スージーの腕を優しく引いて奥へと誘った。

「ガーランド嬢。申し訳ないが、今は取り込んでおります。何かご用でしたら後日、お伺いしましょう。部下にお屋敷まで送らせますので……」

「ユーリさま、私の話を聞いてください」

「……ですから、今は」

「私、ずっといい子だったのです。そんなつまらない人生でした」

「いや、待ってください。あなたが何を仰りたいのか、私には判らない……」

「そうですね」

 すっと目を逸らすと、彼女は言った。

「突然、押しかけてきておかしなことを言う女だとお思いでしょう。だけど私、ずっとそんなつまらない自分が嫌でしたの。だから、自分を変えたいのです。親友のケイティのように、勇気のある女性になりたいの」

「ケイティのように?」

「はい。自分のことは自分で決める。そんな当たり前のことが、私たちの生きている世界ではとても難しい。自分の生き方も、将来、夫となる方すら自分の意思では決められません。それを疑問に思うこと自体、禁じられているのです。

 周りの大人たちは言います。お前の気持ちは二の次だと。相手から愛されて守って貰えばいい。それで女は幸せなのだと。

 私は嫌なのです。守られるだけの存在なんて。私も守って差し上げたい。それから」

 スージーは顔を朱に染めながら、まっすぐにユーリをみつめた。

「愛したいのです」

 どくんと胸が鳴った。熱いものが込み上げてきて、今すぐにでもこの目の前にいる健気な女性を抱きしめたい衝動に駆られたが、しかしユーリはぐっと自分を抑えた。

「ガーランド嬢、お帰りなさい。ここはあなたのような貴族の令嬢が来るところではありません」

「……ユーリさま。私がここに参りましたのは、自分を変える第一歩なのです。自分で自分の未来を選ぶために」

 そっとスージーが縋るようにユーリの右手に触れた途端、ユーリは思わずその手を振り払ってしまった。予想していなかったユーリの態度にスージーは身を固くし、その場に立ち竦んでしまう。

「あ。失礼」

 スージーの傷ついた表情を見たユーリは、咄嗟のこととはいえ、自分の行為をたちまち後悔した。

「……その、これは……」

「いえ。こちらこそ失礼いたしました」

 スージーは顔を伏せると、そのまま踵を返して家を飛び出して行った。慌てて後を追ったユーリだったが、後からやって来たセルコに肩を叩かれ、足を止めた。

「副長、お嬢さんのことは任せてください」

「判った……」

 通りを足早に去って行くスージーと、その後を追うセルコをしばらく見送った後、ユーリは溜息をつきつつ家に戻った。そして、玄関の床に置かれた花の籠に気が付いた。

 ピンクとクリーム色の薔薇が詰まったそれを、ユーリは悲しげにみつめ、それから手袋をした自分の呪わしい右手を見た。

 駄目だ。

 どんなに愛しくても、この右手で彼女に触れることは出来ない。想いだけではどうにもならないこともあるのだ。

 ユーリは右手の手袋を外すと陰鬱な気持ちのままで籠の中の一本の薔薇に触れてみた。するとそれはたちまち色を失い、朽ちていく。

「……不幸になるのは私ひとりで充分だ」

 ユーリは真っ直ぐに顔を上げて、薄暗い廊下を歩いて行った。


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