第五話
言うや、男は素早く床から飛び起きると、一番弱いと踏んでか、アンに襲いかかった。しかし男の無骨な手がアンの首に掛かるより先に、ドレスの裾を大きくひるがえし、アンの長い足が的確に男の急所を打ち抜いていた。
「ぐおおっ」
獣のような唸り声を上げると、男は後ろに倒れ込み、急所を押えて転がった。
「て、てめえ、何しやがる……!」
「何って、私、言ったよね? それ以上、痛い思いをしたくなかったらそこで動かないで寝ていてって。なのに動いたんだから仕方ないわよね? 自業自得というものよ」
「ち、ちくしょう! 何だって最近の女は、どいつもこいつもこんなに強いんだ……!」
「はあ? 何言ってんの?」
アンは怪訝そうに顔をしかめたが、傍らでユーリは笑いをこらえるのに苦労していた。
「副長?」
「いや、何でもない。ニール、その男を縛ってくれ」
「はい。……だけど、さすがに急所に蹴りはえぐいよね」
ニールが気の毒そうに言いながら、痛みに震える男の身体を押さえつけ、その腕をロープで後ろ手に縛った。
「ねえ、ねえ、あんた。大人しくしておいた方が身のためだよ。あの人、本気で怖いから次はこんなもんじゃ済まないかもよ」
「……ちょっと、ニール」
「あはは。冗談冗談」
ニールを睨みながらも、アンはユーリに言った。
「それで、次はどうします? 尋問ですか? 拷問ですか?」
「落ち着け、アン。この男には聞きたいことがあるんだ」
苦笑いしながらユーリは男に向き直ると言った。
「乱暴するつもりは無い。ただ、こちらの質問に答えて貰いたいんだ。そうすればすぐにでも無傷で解放する」
「は? 何言ってんだ? 聞きたいことだと? 馬鹿らしい」
憤怒の表情で男はユーリを見上げ、吐き捨てた。
「俺は何も話すつもりはねえからな。殺すなら殺せ!」
「まあ、そう言わずに」
アンは男に近づくと乱暴に胸ぐらを掴み上げた。
「ゆっくりお話しましょうよ、ね?」
「だ、誰が……!」
明らかに怯えながらも男がアンに毒づこうとしたその時、突然、台所の窓を叩く音がした。そこにいた全員がぎくりとして顔を上げる。
「……え? セルコ?」
一瞬の後、アンが気が抜けた声を出した。
「何してるのよ。あんた、ガーランド家の見張りはどうしたのよ?」
「そのことで伝えることが……とにかく、ここを開けてくれ」
「何なの? こっちは取り込み中なのよ」
ぶつぶつ言いながら、アンが窓を開けると、普段、落ち着いているセルコが、珍しく焦った様子で身を乗り出した。
「やばいぞ。今、こっちに来る!」
「は? 来るって誰が?」
「だから……」
その時、彼の言葉を遮るように、玄関の呼び鈴の涼やかな音が辺りに響き渡った。ユーリたちは思わず目を合わせる。
「おい、セルコ?」
「ああ、もう遅い」
「遅いって」
「出てください、副長。その方がいいです」
「いや、しかし」
ユーリは床に座り込む男を見る。
「今は無理だ……」
「来訪者はあなたが出てくるまで動きませんよ。放って置く方が厄介です」
「どういうことだ?」
ユーリはセルコに問い返したが、彼は答えない。意味ありげに含み笑いを漏らすと、身軽に窓から家の中に入ってきた。
「仕方ありませんよ、副長。ひとつづつ、片付けていくしかありませんから」
ユーリは困惑顔で少しの間、考えていたが、やがて小さく息をつくと言った。
「判った。アン。その男の口を塞いで、余計なことをしないよう見張っていてくれ。私は来客の対応をしてくる」
「はーい、喜んで」
アンは邪悪な笑みを浮かべると、洗い場の横に掛けられてあるタオルを手に取り、男ににじり寄った。
「さて、そこの彼。これでお口を塞ぐけれど、何か文句はある?」
「あ、ありません……」
「何か、可哀そう」
ニールが小さく呟くのを聞きながら、ユーリは台所を出て玄関に向かった。
一体、誰がこんな時に……。




