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第四話

「それじゃあ、行ってくるよ」

 一言、中に声を掛けてユーリが家を出て行くと、ひとりの男が通りの角からゆらりと姿を現した。

 ケントリッジ家を執拗に張っていたこの男は、自宅療養中のユーリ・ケントリッジ少尉の行動パターンをここ数日で心得つつあった。

 今朝の外出は病院か。

 腕時計にちらりと目をやり、小さく頷く。

 いつもの定期検診だろう。

 ユーリが出て行ったとなると、家族はみんな出払って、この時間、家に残っているのは母親だけとなる。

 そろそろ行動を起こしてもいい頃合いだろう。

 男は、辺りを抜け目なく見回すと、何気ない様子を装ってケントリッジ家の敷地内に入った。窓の下でそっと家の中の様子に耳をそばだててみると、微かに水の音が聞こえる。どうやら母親は台所にいるようだ。

 男は家を見上げる。

 二階にあるユーリの自室の位置を念のため確認すると、男は足音を立てずに玄関の扉に近づいた。当然、鍵が掛かっていると思いつつも取っ手を引いてみると、意外にもあっさりとそれは外側に動く。

 なんと、不用心な。

 予想外のことに男は驚いて、しばらく半開きの扉の前で固まってしまった。

 こうも簡単に侵入できるとは……。

 罠の可能性を考えてしばらく躊躇したが、いつまでも玄関先で突っ立っているわけにもいかない。男は扉の中に身体を滑り込ませた。

 しんと冷たい玄関ホールを用心深く抜けて、薄暗い廊下を奥へと進む。水を使う音が次第に大きくなり、台所の開け放たれたガラス戸から、そっと様子を伺った。

 洗い物をしているらしい、ひとりの女性の背中が見えた。

 母親だな。

 あらかじめ用意をしておいたロープを懐から取り出すと、男は静かに彼女に近づいた。

 傷つけるつもりはないが、ユーリの自室だけでなく家の中すべてを物色するつもりだ。そのためには母親に気付かれて騒がれるわけにはいかない。

 か弱い婦人に申し訳ないが……。

 まずは声を出せないように口を塞いで、動けないように身体を縛る……。

 意を決して、彼女の背後に忍び寄ると男は手を伸ばした、その刹那、意外なことが起こった。突然、母親が振り返ったのだ。

「……あら」

 固まっている男に優しく微笑むと、彼女はのんびりと言った。

「お客さまでしたか。気が付かなくてごめんなさい」

「え……」

 男が唖然としたのは、振り返った母親の顔が驚くほど若かったからだ。

「あんた、誰だ?」

「それ、こっちの台詞」

 言うや、女性は男の手首を掴むと、その身体を鮮やかに(くう)に投げ飛ばした。床に仰向けに落ちた男は呆然として声も出ない。自分に何が起きているのか理解できていない様子だった。

「ごきげんよう、侵入者さん。悪いけど、それ以上、痛い思いをしたくなかったら、そこで動かないで寝ていてね」

 倒れた男の顔を覗き込みながら女性は、愛想よく言って微笑みかける。

「そろそろ来る頃だろうとみんなで待っていたのよ」

「……み、みんなで待っていた、だと?」

「そういうことだ」

 若い男の声がした。ぎくりとして声の方に目をやると、そこにいたのは出掛けたはずのユーリだった。彼は女性の方に顔を向けて優しく言った。

「アン、母親役、ご苦労だったな」

「なかなか面白い役どころだったわ。こんなドレスを着たのはいつ振りかしら」

「私の母のドレスはアンには地味だろう」

「あら、そんなことないわ。素敵よ」

 ぶどう色のシンプルなドレスの裾をひらりと躍らせてアンは嬉しそうに笑った。

「たまにはいいわね。女の格好も」

「おい、お前ら! 何の話をしている!」

「おっと、失礼。君を無視するつもりは無いよ」

 ユーリは穏やかな表情で男を見下ろした。

「君が我が家を見張っているのは承知の上だ。本物の母は既に避難済みだよ」

「……どうしてだ。俺が見張っているのが何故、判った? 俺がヘマをしたとでも言うのか?」

「ヘマ、というより」

 少し考えながら、ユーリは答えた。

「君をこの家に誘ったのは私なんだよ」

「はあ?」

「僕のこと、見たことないかな?」

 そう言って、ひょいと顔を覗かせたのはニールだった。

「副長の命令で、わざと僕が目立つようにガーランド家をうろついて、君を副長の家まで連れて来たんだよ。ね、僕の演技力もなかなかだったでしょ?」

 最後の言葉は男にではなく、アンに言っていた。得意そうなニールに、しかしアンはふんと鼻を鳴らす。

「上手くやって当たり前なのよ」

「何だよ、ちっとも認めてくれないんだなあ、アンは」

「そういうわけじゃないけど……」

「え? 本当? それじゃあ……」

「おい! お前ら! 脱線するな! 俺はいつまで床に寝てりゃあいいんだよ!」


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