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第三話

 仕方なく言い訳を口にするグレイシアに、側妃たちは追い打ちをかけてくる。

「まあ、ドレスが汚れているの承知でお祝いの席においでになったというの?」

「それは……礼儀としてどうなのかしら」

「これだから、身分の低い者は……」

 側妃たちの間で、グレイシアは言葉なく立ち尽くしていた。恐る恐る顔を上げると国王の渋い顔が目に入る。グレイシアは唇を噛んだ。

 こうなることは想像の範囲内だった。しかし、企みによってドレスを汚され、食事会を欠席することは絶対にしたくなかった。負けたくなかった。

 ……何か言わなければ。

 必死で頭を巡らし言葉を探していると、突然、ガチャンと食器が割れるような音が辺りに響いた。突然のことに、グレイシアを糾弾する言葉はぴたりと止まり、場が静まり返る。

「あら、ごめんなさい」

 その静寂をのんびりと破ったのは、王妃の柔らかな声だった。彼女はゆっくりと席から立つと、テーブルの上を眺めながら、いたずらっ子のように笑って言った。

「私ったらそそっかしくて、グラスを落としてしまったわ」

 確かにテーブルの上には横倒しの割れたグラスがあり、こぼれた酒がテーブルクロスに大きな赤い染みを作っていた。

「まあ、あの、大丈夫ですか? お怪我は?」

「平気よ。だけど」

 側妃たちが唖然とする中、王妃はそっと自分のドレスの裾を持ち上げてみせた。それは赤い酒の色に鮮やかに染まっていた。

「ドレスが汚れてしまったわ。だけど、これって面白いわよね。だって、偶然にこぼしてしまったお酒でこんなにドレスが染まってしまうなんて。ねえ? そう思わなくて?」

「……あ、はい。そうですわね」

「綺麗なお色に染まっておられますね……」

 慌てて側妃たちは白々しく同意の言葉を並び立てる。それにますます国王は渋い顔になるが、王妃がなだめるように彼に微笑みかけると仕方なさそうに微笑み返した。

 その時、グレイシアがあっと小さく声を上げてしまったのは、ふたりの様子に作り物めいたものが無かったからだ。何者も入り込む隙間などない本当の愛情がそこにはあった。

 やがて事態に気が付いた侍女たちが慌ててやってくると、割れたグラスを手際よく片付け、王妃にお召し替えを促した。侍女たちに誘われ、その場を離れようとした王妃は、立ち去る寸前、グレイシアにそっとウィンクを投げてよこした。

 王妃さまに助けられたのだわ……。

 力が抜けたように椅子に座り込むと、グレイシアは複雑な思いに苛まれていた。

 王妃さまはいつもお優しい。

 それは今に始まったことではない。

 貴族の家柄でもない自分の存在を、貴族の令嬢である他の側妃たちが認めるわけはなく、何かと中傷され嫌がらせを受けていた。それは身の回りの世話をする侍女たちにしても同じだった。王族でも貴族でもない身分の娘に仕えるなんて不愉快だったのだろう、いつも素っ気ない態度を取られていた。

 そんな中、唯一違ったのはエメリアだった。

『あなたは私の妹のような存在』

 エメリアはことあるごとにそう言って、グレイシアを可愛がってくれた。今回のように助けられたことも一度や二度ではない。

 育ちが良く、優しいエメリアは、どろどろとした悪口や陰湿ないじめなどというものから無縁の存在。だからこそ、王に気に入られ、王妃にも選ばれたのだ。

 無垢で繊細なエメリア王妃。

 汚いものなどに触れたことなどないだろうあの白く細い手。そしてあの穢れのない澄んだ瞳。

 それらは亡くなる直前の母を思い起こさせ、グレイシアの心を苛んだ。

 たまらなくなってグレイシアが強く目を閉じた時、自分の背中に優しく誰かの手が置かれた。驚いて目を開けて振り返ると、そこには心配そうな表情の若い侍女が立っていた。

「王妃さま、どうなさいましたか?」

「……あ、どうして?」

「申し訳ございません。何度もお声をお掛けしたのですが、反応がございませんでしたので心配になりまして」

「え? そう、なの? あなたは……アンナだったかしら?」

 ぼんやりした頭で、グレイシアが言うと、侍女は小さく頭を振った。

「いえ、ミレイと申します。執務室の清掃を……あの、本当に大丈夫ですか? 何かお飲み物でもをお持ちしましょうか?」

「ああ、そうね。……私、夢を見ていたんだわ」

「夢、ですか?」

 ミレイは、思わず窓を見た。外からは明るい日の光が差し込んでいる。

 夜でもなく、眠ってもいないのに、夢を見る?

 唖然としていると、グレイシアが不意に笑い出した。

「そうね、おかしいわね」

「あ、いえ。そんなことは」

「いいのよ。時々ね、白昼夢を見るのよ」

「白昼夢、ですか?」

「ええ。何かしらね、昔のことを夢に見るの。エメリアさまの……」

「エメリアさま?」

「……もういいわ」

 グレイシアは胸の前で手を振ると言った。

「何か飲み物を持ってきてくれるかしら、ミレイ」

「あ、はい。かしこまりました」

 丁寧にお辞儀をしてその場を離れると、ミレイは速やかに執務室を出た。

 白昼夢ですって? どういうこと?

 ミレイは廊下を急ぎながら深呼吸して自分を落ち着かせる。やがて長い廊下の一番奥に、壁にもたれて立っている男が見えてきた。何気ないふりでその前を通り過ぎながらミレイは低い声で言う。

「王妃は確かにおかしいわよ」

「どうおかしいって?」

 ふとミレイは足を止め、辺りを見回して人がいないのを確認すると男に向き直って答えた。

「夢を見るんですって」

「夢? 眠っていたのかい?」

「いいえ。起きて見る夢。白昼夢だそうよ」

「白昼夢ねえ」

 男は少し考えた後、憂鬱そうに言った。

「夢の内容は判る?」

「昔のこと、だそうよ。エメリアさまがどうとか。その位しか判らなかったわ」

「そうか。ありがとう」

 にこりと笑う男を、ミレイは少し睨むようにして見ると言った。

「ねえ、テリュース。あなた、面倒なことに首を突っ込んでいるんじゃないでしょうね?」

「おや。心配してくれるのかい?」

「何言ってるのよ」

 ぷいと顔を背けると、ミレイはさっさと通り過ぎて行った。その背中を見送ってから、テリュースはのろりと壁から背中を離す。

「白昼夢とは、興味深いところだ」

 髪をさらりとかきあげながら彼は呟いた。

「この国はどこへ向かおうとしているのやら。恐ろしいねえ」

 そして、不敵に笑った。


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