第二話
ギュッと強く目を閉じると、一瞬、意識が遠のいた。白い靄に包まれるような不安定な感覚になった時、背後から誰かに名前を呼ばれて、グレイシアはゆっくりと目を開けた。
「……グレイシアさま、どうかされましたか?」
どこかで聞いた声だ。
振り返るとふたりの侍女がいた。
よく知っている顔なのに名前が出てこない。
この子たち、誰だったかしら……?
「グレイシアさま?」
「あなたは……?」
「はい? アンナですが?」
「ああ、そうだったわね」
頷くとグレイシアは首を戻して自分の手元に視線を向けた。そこには新調したドレスがある。今、仕立て屋から届いた衣装箱を開けたところだ。柔らかな絹の感触を試すように手で触れて、そして、あっと小さく声を上げてしまう。
……やられた。
グレイシアは小さく息を呑んだ。
今日はエメリア王妃の誕生日。
派手なことが苦手な王妃のために、お祝いは親しい者たちのみで行う食事会となった。しかし質素などというのは表向き。そこに集う女たちはここぞとばかりに着飾る。それは勿論、誕生日を迎える王妃のためではなく、まだ若い国王の気を引くためだ。
新しく側妃として城で生活を始めたグレイシアも勿論、例外ではない。
この日のためにあつらえた純白のドレスは、グレイシアによく似合っていた。
しかし。
グレイシアがもう一度、肩越しに後ろを伺うと、ふたりの侍女が、笑いをこらえるような顔でグレイシアをみつめているのが見えた。
その様子に舌打ちしたくなるのをこらえて、グレイシアは箱からドレスを取り出すと、改めて全体を眺めてみた。
やはり裾の一部が汚れている。
お茶を引っかけたような茶色の染みがぼんやりと広がっていた。さほど大きな染みではないが、しかし。
「さあ、早くお召し替えを。お時間が迫っております」
立ち尽くすグレイシアに、侍女のひとりが甘ったるく声を掛けてきた。
「王妃さまのお誕生日のお祝いです。遅れるわけには参りませんよ、グレイシアさま」
「……ええ、判っているわ」
なんでもない風を装って、グレイシアはいつものように柔らかく微笑んだ。その実、心の中は黒い感情が渦巻いている。
侍女たちの嫌がらせか、それとも誰かに頼まれたのか……。この日のために新調した純白のドレスを汚すことで、食事会に出ることを阻むつもりなのだろう。
大きなパーティでは人がひしめき合い、側妃といえどなかなか国王の傍に寄ることができない。しかし、今回のような少人数の食事会なら国王に近づき、取り入る機会を得られるだろう。側妃たちは常にそれを狙っているのだ。
過去には側妃が王妃より先に王の子を成し、王妃以上の権力を得たという例はいくらもある。麗しい微笑みの下に野望を隠して、側妃たちは艶やかなドレスに身を包みパーティに臨むのだ。
「グレイシアさま、どうなさいました? 具合が終わるいのでしたら今回の出席は見合わせますか?」
せかされるように言われて、グレイシアは心を決め顔を上げた。
「いいえ。出席します。着替えるから手伝って頂戴」
「あ、はい」
侍女たちはちらりと目を合わせると、手際よくグレイシアの身支度の手伝いを始めた。
グレイシアは鏡台の鏡に映る自分の白い顔をただ眺めていた。
「あら、素敵なドレスですわね、グレイシア」
食事会の席に着くや、早速、側妃のひとりが笑顔で声をかけてきた。乾杯を済ませ、和やかな雰囲気の中、これから食事を始めようというタイミングだった。
「グレイシアはセンスがよろしくて羨ましいですわ。そうお思いになりませんか、王妃さま?」
「ええ、そうね」
おっとりとした微笑みでエメリア王妃は気さくに応じた。
「いつも素敵だけれど、今日のドレスは特に素敵ね」
「……恐れ入ります」
「どうかしら、お立ちになってくださらない?」
ここぞとばかりに側妃のひとりが言った。
「ドレスをよく見てみたいの。いいでしょう?」
「いえ、それは……」
「王妃さまもご覧になりたいと思うわ」
そっと耳元で囁かれて、グレイシアはびくりと身体を震わせた。席から立ちあがり全身をまじまじと眺められたら、裾にある染みに気付かれる。そうなれば声高に騒がれることは目に見えていた。
恥をかかせたいのね……。
すっと心が冷たくなる。
側妃たちの企みに屈するつもりはない。だが抗えないのも事実だ。
グレイシアは平常心を装い、笑顔で椅子から立ち上がった。
「たいしたドレスではありませんけど、ご覧になりたいのでしたら」
「ありがとう。本当、とても素敵よ……あら、でも、裾のところ……色が違うわよ。もしかして、それは染み? 汚れているの?」
「汚れなんてそんな。王妃さまのお祝の席にそんなみっともない格好で出席するわけないでしょう? ねえ、グレイシア?」
「あの、それは……多分、仕立て屋の手違いで」




