第四話
「スザンナお嬢さま、どうかされましたか?」
ローサが立ち止まり、後ろを気にする素振りのスージーに声を掛けた。
「何か気になることでもございましたか?」
「ああ、いいえ」
スージーは慌ててローサに顔を向けると、笑顔で言った。
「何でもないわ」
「やはり、馬車をお使いになった方がよろしかったのでは?」
「いいの。ずっとお屋敷に籠りっぱなしだったから、街を歩いてみたかったの。セドリック殿下がお屋敷にお越しになったと聞いて、ようやくお父さまもお母さまも私をお屋敷に閉じ込めるのを止めてくださったのだから、やっと取り戻せたこの自由を味合わない手はないわ」
「まあ、お嬢さまったらはしたない」
「あら、ごめんあそばせ」
悪戯っぽく片目を閉じてみせて、楽しげにスージーは先に立って通りを歩きはじめた。苦笑いしながら後をついてくるローサに気付かれないように、スージーはまたそっと後ろを伺った。
昼下がりの通りはいつもと変わらない。
忙しそうに行き交う人々の姿と、その周りを物売りの少年たち数人が自分の商品を買って貰おうと走り回っている。四辻では新聞売りの青年が新しい記事が載っていると声を張って売り込みを掛けていた。よくある大通りの風景だ。
誰もスージーを気に掛ける者はいない。
気のせい、ね。
スージーは、ほっと息をつく。
屋敷を出た時から誰かに見られているような気配を感じていたのだが、どうやら勘違いだったようだ。色々なことが周囲で起こったせいで神経が過敏になっているのかもしれない。
スージーは、気持ちを切り替えるために、ぷるとひとつ首を振った。
今日は気晴らしのため、ローサを連れて久々にお買いものに出掛けたというのに、これでは気晴らしにならない。
「ねえ、ローサ。新しい髪飾りを買いたいの。あなたが見立ててね」
「あら、私でよろしいのですか」
「ええ。あなたのセンスは素晴らしいもの。頼りにしていてよ」
「ありがとうございます。そうですねえ。今度、奥方さまがお茶に招待したい殿方がいらっしゃると仰せでしたから、その時につけられるとよろしいですわね。でしたら、あまり華美でなくて、ああ、でも地味すぎるのもよろしくありませんわね。殿方の印象に残るように……あら、お嬢さま?」
足を止めてしまったスージーをローサが驚いて振り返った。
「どうなさいました?」
「……お茶に殿方をお呼びになると、お母さまが仰ったの?」
「はい。明日と伺っております」
「明日?……。私は聞いていないわ」
たちまち、スージーの心に暗雲が立ち込める。やや険しい顔になって、彼女はローサに問いかけた。
「殿方ってどこのどちらさま?」
「え。あ、あの……私も詳しいことは」
ローサは、一瞬、しまったという表情になったが、すぐに笑顔に戻ると言った。
「いつものお客さまを呼んでのお茶会ですから、特別な支度は必要ありませんよ。お嬢さまもいつもの通りになさっておられればいいのです」
「そうね。いつもの通りでいいのよね」
視線を下に落とすと、スージーは呟いた。
「私、もうすぐ二十歳になってしまうものね。さすがにお父さまもお母さまも心配なさっているわよね」
「……お嬢さま」
その時、後ろから誰かにスカートを引っ張られ、スージーは小さく悲鳴を上げた。振り返ると、そこには自分を見上げる少年がいて、彼はあどけない笑顔で花束をスージーに掲げて言った。
「お嬢さま、この花束はいかがですか? とてもよくお似合いですよ」
「え?」
呆然としていると、慌ててローサがその少年をスージーから引き離した。
「これ! そんなものはいりません! 下がりなさい!」
「あ、待って」
怯えたように後ずさる少年に、スージーは急いで手をさしのべた。
「お花、見せてくれる?」
「まあ、お嬢さま。いけません!」
「いいの。……さあ、見せてちょうだい」
にこりと微笑むスージーに、少年も笑顔に戻って、抱えていた花束すべてがスージーに見えるように差し出した。色とりどりの花を見て、スージーは歓喜の声を上げる。
「綺麗だわ。色んな種類があるのね」
「うん。でも、お嬢さまにはこれがいいよ」
そう言って少年が改めて差し出したのは、ピンクの薔薇の花束だった。
「こんなのもあるけど」
次に差し出したのはクリーム色の薔薇の花束。
あっと声を上げてしまったのは、一度だけ会ったあの素敵な青年を思い出したからだ。
輝く金の髪をした彼の青い瞳は優しい色で、顔を朱に染めながらそっと花束を差し出してくれた。
「私に?」
と、問い掛けると、彼は慌てたように早口で言ったのだ。
「いいえ。これは殿下のご命令によりお持ちした花束です。私からではありませんのでご心配なく」
あの時、すっと気持ちが暗くなった。
どうしてあの時、あんな気持ちになったのかしら。
たった一度だけお会いした方なのに。
「あの、お嬢さま? 買ってくれるの? だめなの?」
少年の声でスージーは、はっと我に返った。
「あ、ごめんなさい。ええ、勿論、いただくわ。そのピンクとクリーム色の薔薇をくださいな。ローサ、お願い」
「はあ、よろしいのですか?」
ローサはこんな物売りから買うなんて、と眉間に皺を寄せながらも、少年にお金を払うと花束を受け取った。少年がお礼を言って走り去って行くと、スージーはローサに向き直り、元気に言った。
「さあ。帰りましょうか」
「え? お帰りになるのですか? お買いものは? 髪飾りはよろしいのですか」
「ええ、買い物はもう終わったわ。行きましょう」
回れ右してさっさと屋敷へと戻りはじめるスージーにローサは慌ててついて行く。
そして、そんなふたりの様子を通りの外れからそっと窺っている人物がいた。上着の衿を立てているのは顔を隠すためだろう。彼女たちが屋敷に戻るのだと判ると、拍子抜けしたように息をついた。




