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第五話

 店を出ると人けのない路地を歩く。

 そもそも店の立地が裏通りなのだから、暗く細い路地を歩くことになるのは当たり前のことだが。

 彼女は角を曲がったところで、一旦、足を止め、ストッキングをなおすふりで屈みこむと、背後の様子に耳を澄ませた。

 二人……いや、三人ってところか。

 すっと、立ち上がると彼女は思った。

 許容範囲。

 懐から扇子を取り出すと、暑くもないのに仰ぎながら歩き出す。後ろの連中がぴったりついてくるのを確認すると、彼女はいきなり駆けだした。当然、後ろの連中も追いかけてくる。

「……おい、いないぞ」

 迷路のような路地の角をいくつか曲がったところで、派手なドレスの背中が見えなくなった。男たちは荒い息を吐きながら、慌てて周囲に目を配るが彼女の姿はみつからない。

「くそ! あの女!」

「高利貸しって言ってたが、あんな女、この界隈で見たことねえぞ」

「御者のことを探ってやがった。まずいんじゃねえか」

「あーら。どうまずいのかしら?」

 上空から声がした。

 ぎくりとして顔を上げた男たちの目に、建物の非常階段に優雅に座り、こちらを余裕で見下ろしている彼女の姿があった。

「て、てめえ! 何者だ!」

「降りてきやがれ!」

「はーい。ただいま」

 にこりと微笑んで素直に返事をすると、彼女はドレスの裾を気にすることもなく、軽い身のこなしでひらりとそこから飛び降りた。男の上に。

「げえええ!」

「うるさいわね」

 高いヒールにしっかりと身体を踏みつけられた男は、彼女の足の下で痛みにじたばた暴れる。

「早くどけ! このあばずれ!」

「あら、あばずれとはご挨拶っと」

 軽快に男から飛び降りた彼女は、ついでとばかりに腹の辺りに蹴りを入れる。ぐうと不思議な声を上げて男は動かなくなった。

「こいつ、よくも!」

 怒声を上げて脇から掴みかかってきた別の男の顔を、今度は扇で素早く張り倒した。目にヒットしたらしく、その男は悲鳴をあげてうずくまる。

「あら、失礼」

 しおらしく言いながら、うずくまった男の後頭部に鮮やかな踵落としをお見舞いすると、その男もあっさり意識を失った。

「て、てめえ……!」

 怒りに顔を赤くして、最後の男は懐からナイフを取り出した。

「切り刻んでやる」

「まあ、怖い」

 しなを作ってわざとらしく怖がる彼女に、ますますいきり立ち、男はナイフをかざして彼女に突っ込んでいった。

 ぎりぎりまで男を引きつけた後、彼女はナイフを持っていない左手側にするりと身体を移動させ、紙一重でその切っ先を躱した。止まることが出来ず突進を続ける男の背中に肘鉄を打ち込んで身体を地面に落とすと、そのまま右手を捻り上げ、ナイフを取り上げる。

「はい、そこまで」

 暴れる男の首に腕を回して締め上げながら、彼女は優しく問いかけた。

「あなたたちが、御者を買収したのね?」

「……し、知るか」

「命じたのはどなた?」

 男はふんと鼻を鳴らすと口をへの字に曲げる。誰が言うものか、そんな顔だ。

「あらあら、素直じゃない男は嫌いよ」

 そして、遠慮なく男の首を絞めた。ぐうぐうと男の喉から奇妙な音が聞こえ、身体が震えはじめる。

「あ、まだ、死なないでね」

 そう言って、仕方なさそうに彼女は少し腕を緩める。すると、男はひいひいと息をつきながらも、彼女に対して聞くに堪えない悪態を吐いた。

「え? 何か言った?」

「……う、うるせえ!」

 明らかに怯えながら男は喚いた。

「なんて女だ。くそっ! 身体が動かねえ」

「動かないようにしているからね。ほら、言いなさい。誰の差し金?」

「何だってそんなことを聞きたがる? 言っておくがあの御者の行方は知らねえぞ。金をくれてやったら、さっさとどこかに逃げやがった」

「そんなことは聞いてない」

 不意に平坦な声になって、彼女は男の身体を乱暴に揺すった。

「あんたたちに御者を買収して情報を取れと命じたのは誰かって聞いているのよ」

 男からの返事はない。

 舌打ちしたい気持ちになったが、そこは切り替えて、彼女は懐から白いハンカチーフを取り出すとそれを広げて、中のものが見えるように男の目の前に差し出した。

「それじゃあ、これに見覚えは?」

 男はそろそろとそのハンカチーフに目を落とし、そして、目を剥いた。

「そ、それは……」

「ふうん。知っているって顔ね」

「し、知るか」

 また、ぷいと顔を背ける。

「なんだ、何も教えてくれないの? いいの? 殺すよ?」

 男の顔が強張った。だが、口はへの字に曲げたまま、頑として動かない。

 これは雇い主に対する恩義というよりは、この男の元々の性質だろう。ある意味、あっぱれだ。

 仕方ないなあ。

 好意的に笑うと、彼女は男から腕を外し、十分な間合いを取って離れた。

「行けよ」

 男はせき込みながら、驚いて彼女を見た。

「……殺さない、のか?」

「殺して欲しいの?」

 慌てて男は首を横に振ると、気を失っている仲間たちを乱暴に起こし、痛みに呻く彼らを引きずるようにして必死に逃げて行った。

 男たちの姿が見えなくなると、彼女はゆっくりと振り返り、背後の闇をみつめる。

「そんなところで高みの見物? 趣味が悪いわね」

 数秒後に、闇が動いた。

 長身の姿が現れ、彼女の前で止まる。

「見物するつもりはなかったが、結果的にそうなってしまったよ。乙女の危機に駆けつけたつもりだったんだが、出る幕が無かった」

「……え」

 彼女は呆然とその人を見た。

 切れかけの頼りない街灯の光に照らされたその顔は。

「ユーリさま……」

「私を知ってるんだね?」

「あ、あの、私は……」

「では、敵意はお互い無いわけだ」

「あ、勿論です」

「だったら」

 にこりとしてユーリは言った。

「君が後ろ手に隠しているナイフを捨ててはくれないだろうか」

 言われて彼女は、慌ててナイフを地面に捨てた。


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