第四話
ケイトリンは朝食を作る手を止めると、ふと顔を上げ、台所の窓から差し込む日の光を眩しそうにみつめた。
今頃、セドリックさまはどうなさっているかしら。
そして、甘い溜息をつく。
昨日、ガーランド家から帰って以来、彼女はセドリックのことを想っては溜息をつくという繰り返しだった。
ガーランド家で偶然に会ったセドリックは、ケイトリンの勘違いを正し、その上、「ケイティ」と呼んでくれた。その声を思い出すだけで、彼女はとても幸せな気持ちになれるのだった。
だけど、私、あれからどうやって家に帰ってきたのかしら……。
ケイトリンは首を傾げる。セドリックから「ケイティ」と呼ばれた辺りからきれいに記憶が消えているのだ。
セドリックさまが何か大切なことを仰っていたような気がするのだけど……。
思い出そうとしても思い出せず、ケイトリンは難しい顔をしたまま、朝食の用意を続けた。
彼女が鮮やかな真紅のドレスの裾をなびかせながら薄暗い酒場に現れると、そこにいた男たちは低く賞賛の声を上げ、ねっとりとした視線を彼女の全身に送った。 そんな視線をものともせず、彼女は平然とカウンターの席につくや、意外と低い声で店主に尋ねた。
「ねえ、ちょっといいかしら。男を捜しているんだけど?」
「ああ? 男だって? それならこの店にはうんざりするほどいるぜ。ここにもな」
と、自分を指さす。
「一夜の火遊びをご所望なら、あんたみたいな美女、お相手はよりどりみどりだ」
「あら、そうなの? だけど、私が捜しているのは一夜の相手じゃないのよ」
「というと?」
「ギルっていう男を知らない? お城で馬車の御者をしている男よ。ここの常連って聞いたんだけど」
「……客のことは言えねえな。守秘義務ってもんはこんな店にもあるんだよ」
「あら、固いのね。そんなこと言っている男はモテなくてよ。ね? 特別に教えてよ」
そして、とろけるような笑顔を向ける。と、店主はたちまち難しい顔をほどいた。
「……参ったなあ。そんな笑顔を向けられりゃ男はたちまち降参だよ。……だけど何だって、あんな男のことを捜しているんだ?」
「あいつに私、お金を貸しているのよね。なのに最近、姿を見なくなって」
「は? あんたがあいつに金を?」
「そういうお仕事なのよ」
「ああ、なるほど」
にっと笑うと、男は言葉を続けた。
「高利貸しのお嬢さんか。だったら、諦めるしかないな」
「どういうこと?」
「あいつはこの国を出て行ったよ」
「はあ? 何ですって?!」
激昂する女に、店主は気の毒そうに言った。
「まあ、落ち着きな。あいつは最近、大金が入ったとかで他の連中の借金も踏み倒して姿消したんだよ。だから、あんたも諦めた方がいい」
「大金? 何のこと? あいつ、酒好き賭け事好きで借金まみれなんでしょ? 大金が入るあてなんてあるわけないわ」
「それはな」
店主は警戒するように店を見回してから、少し声を落として言った。
「ギルは御者とはいえ、城勤めが出来るくらいだから、本来、身元のしっかりした真面目な男だったんだ。だが、残念なことに酒癖が悪くてなあ。人が好いことも災いして、あっという間に借金まみれ」
「そんなことはどうでもいいのよ。大金ってのはどこからきたのかって聞いてんの」
「まあ、待てよ。だからな、そんな奴が大金を得ようと思ったら、売れるものはひとつだと思わねえか」
「それって……つまり、お城の内部情報ってこと?」
店主はにやりと笑って頷いた。
「ギルの奴、情報と引き換えに金を貰ったのはいいが、怖くなったんだろうな、誰にも何も言わず、いつの間にやら大金を持って姿を消した。あんたみたいにあいつの行方を追っている借金取りは何人もここに来たが、どこに行ったのか誰も判んねえんだ。諦めた方がいい」
「冗談じゃないわよ。大金入ったなら、借金返すのが筋じゃない。それを持ち逃げなんてさ!」
「お嬢さん、深追いは命取りだぜ」
「は? 何よ、それ?」
「ギルが情報を売ったのは、どうも胡散臭い連中だ。関わらない方が身のためだぜ」
「へえ、胡散臭い、ねえ」
頬杖をついて、彼女は不敵に笑った。
「どんな奴だったか覚えてる?」
「おいおい、あんた」
「私だって、お遊びで金を貸しているんじゃないわ。こっちにだって、矜持ってものがあるのよ。……教えてよ」
彼女は金貨数枚をカウンターの上に置くと、店主に向けて滑らせた。そして、トドメとばかりに極上の笑みを投げかける。
「……参ったなあ」
店主は、溜息交じりにそう言ったが、まんざらでもない顔でカウンターの上の金貨を手の平で覆った。




