第六話
目覚めてもどこかぼんやりしているケイトリンをウィルローズ家に無事に届けると、ユーリはセドリックの待つ王家の馬車に戻った。
「夫人は何か言っていたか?」
ユーリがシートに座り馬車が動き出すと、不機嫌そうにセドリックは切り出した。
「やはり俺が直接、夫人に話した方が良かったのではないか」
「いいえ」
穏やかにユーリは言う。
「殿下が行かれるとまとまる話もまとまりませんので」
「……おい」
「冗談です」
くすりと笑ってからユーリは続けた。
「ウィルローズ夫人は、初めはふらふらになったケイティを見て驚いておられましたが、私の話を聞くと笑われて……」
「お前、どう話したんだ? まさか、俺がケイティに言ったことをそのまま伝えたんじゃないだろうな?」
「『もう少し、俺のことを信じてくれないか』でしたか?」
「……おい」
「冗談です」
軽く睨まれて、ユーリは小さく頭を下げた。
「ご家族には、ガーランド家で偶然、殿下にお会いになったケイティが喜びのあまり貧血を起こした、ということにしておきました」
「そうか」
ほうと息をついて、セドリックは深くシートに身体を沈めた。
「しかし、話の途中で気を失うとは。想定外すぎる」
「可愛らしいではありませんか。彼女はずっと、殿下に恋をしているのですよ、初恋に揺れる少女のようです」
「いつまでも恋する少女では困るが」
そう言ながらもセドリックの顔は穏やかだ。
「ケイティがあれほど純真なのは、育った環境がいいからだろうな。家族を見ていれば判る。家を崩壊寸前に導いた父親はひどいものだが、しかし母親も弟も心からケイティを愛している。だから彼女も愛情深く、心優しい娘に育ったのだろう」
「同感です。いいご家族だと思いました」
「そうだろう。俺の家族とはまるで違う」
「……そんなことは」
言いよどむユーリにセドリックは軽く笑ってみせた。
「気を遣わなくていいぞ。俺はいつか自分の家族によって寝首をかかれるかもしれないのだからな」
「おやめください。悪い冗談です」
そう言った後でユーリは真剣な顔になり、探るようにセドリックをみつめた。
「……殿下はどうなさるおつもりですか」
「何のことだ?」
「ケイティに仰っておいででした。周辺の面倒なことを片付ける、と。その面倒なこととはご自身のご家族のことですね?」
「……案ずるな。斧を携えてあの女の寝室に忍び込むつもりはない」
「それはご賢明な判断ですが、しかし」
「いずれ片付けなくてはならない問題だ。このままでは俺だけでなく、俺の周囲にいる者たちも常に危険に晒されることになる。……これ以上、誰も傷ついて欲しくない」
「抜け駆けは無しですよ、殿下」
「何だと?」
「殿下が何をなさるにしても、その隣には必ず私が立ちます。どうかそのことだけはお忘れになりませんよう」
「……馬鹿なことを」
「私はあなたの副官ですから」
にこりと微笑むユーリに仕方なさそうにセドリックは言った。
「好きにふるまえ」
「はい、そのように」
「……ところで」
満足そうに笑うユーリに、セドリックはそっと身を乗り出す。
「お前の方はどうなった?」
「と、仰いますと?」
「とぼけるな。ガーランド嬢のことだ」
「ああ、殿下」
ユーリは、思い出したというように渋い顔を作る。
「私を騙しましたね? わざわざ従者を使って花束まで持ってこさせて」
「いい演出だったろう」
「だめですよ。彼女と私とでは」
「身分違い、と言いたいのか」
「それもあります。ですが、今となってはもっと深刻な問題があります」
そう言うと、ユーリは革の手袋をつけた自分の右手を見た。
「私は不用意に人にも物にも触れられない身です。我が右手ながら、この力のことがよく判らない。何が起こるか予測できないのです」
「……いい娘だったぞ」
セドリックはあえてユーリから視線を逸らすと言った。
「さすがにケイティの親友だけのことはある。真っ直ぐな気性の優しい娘だった。彼女ならその右手のことも含めてお前のすべてを受け入れてくれるだろう」
「……だめです」
頼りなく首を横にふると、ユーリは呟くように言った。
「スージーには花束は殿下からの贈り物だと言って渡しました。私はただ届けに来ただけだと。彼女は笑って受け取ってくれました。それに……そもそも一番大切なのはスージーの気持ちです。彼女が私を選ぶとは思えません」
「勿論、彼女の気持ちも大切だ。だがしかしユーリ、お前はそれでいいのか? まるで右手の力に屈するようだぞ」
「いいえ、そういうことではありません。ただ」
「ただ、なんだ?」
「大切だからこそ、触れられない。……それだけのことです」
右手を拳にしてぎゅっと強く握りしめるユーリの様子に、それ以上は何も言えず、セドリックは黙り込んでしまった。




