第五話
「あ、あの、セドリックさま。スージーに引き合わせるために、ユーリさまに花束を届けさせたのですか?」
「……さあ、どうだったかな」
白々しくとぼけるセドリックに、複雑な気持ちを抱きながら、ケイトリンは廊下の途中でそっと後ろを振り返った。
客間の開いた扉の向こうで、ユーリがためらいながらスージーに花束を差出し、何事か話しかけている様子が見える。
とてもお似合いなふたりだわ。
だけど。
「……セドリックさま、あの、私は申し上げました。子供の頃、ガーデンパーティであなたが見初められたのは私ではなくスージーだと。なのにこれは」
「お前だよ」
不意に立ち止まるとセドリックは、真っ直ぐにケイトリンをみつめた。
「あの時、派手にテーブルの上のものをぶちまけて、泣いていたのはお前に間違いない」
「確かにそれは私ですが、でも、セドリックさまが見初められた女の子はピンクのドレスを着ていたのでしょう? 私のドレスはピンク色では」
「着ていただろう、ガーランド嬢から借りてピンクのドレスを」
「……あ!」
言われて、ケイトリンは思い出した。
そうだ、あの騒動の後、自分の白いドレスが汚れてしまったため、スージーのピンクのドレスを借りたのだった。
「……そうでした。私たち、サイズが同じで……すっかり忘れていました」
「まったく」
セドリックは大きく溜息をついた。
「今日、ガーランド嬢を訪ねたのはあのガーデンパーティのことを詳しく聞くためだ。お前の記憶は曖昧であてにならなかったからな」
「そうでしたか……」
「ああ、邪魔が入らないように夫人たちが留守の時を狙って屋敷を訪問した。おかげでいろいろ聞けたよ」
「いろいろ、ですか」
想像すると恥ずかしくなってケイトリンは思わず身じろぎした。
「あ、あの、他にはどのようなことを?」
「お前の『スザンナ』の名前についてだ」
「名前?」
ひとつ頷くと、セドリックは歩き出した。慌ててケイトリンも後を追う。
彼はそのまま外に出ると、ガーランド家のよく手入れされた美しい庭に足を向けた。
「あの、セドリックさま?」
「お前のミドルネーム『スザンナ』は、亡くなった祖母が付けてくれたそうだな」
「あ、はい。そうです」
祖母のことを思い出すと、懐かしさで心が揺れる。祖母は優しくて懐の深い素晴らしい女性だった。
「スザンナという名前には『白百合』という意味があるのだそうです。純潔と凛々しさが込められているとか。祖母は私にそんな女性になって欲しいと願ってスザンナと名付けてくださいました」
「……白百合か」
ふっと口元に優しい笑みを湛えて、セドリックは改めてケイトリンを見た。
「確かに、お前は白百合のような娘だ」
「そ、そんな……私は全然……。祖母だけは私のことをスザンナと呼んでくれましたが名前負けで恥ずかしいくらいです……」
「そう、そこだ」
「はい? 名前負けですか?」
「そこじゃない。祖母だけは私のことをスザンナと呼んでくれた、というところだ」
「それが何か?」
うーんとセドリックは頭を抱えた。
「いいか、話しを戻すぞ。お前は俺がそのガーデンパーティで見初めたのはお前ではなくスージーだと言ったな。俺が人違いをしていると」
「はい……」
「お前がそう思う理由はふたつ。ひとつはドレスの色。その疑問はさっき解消したな。もうひとつは名前だ。『スザンナ』と呼ばれていたのなら自分ではなくスージーだとお前は言った」
「はい……」
「あの時、スザンナとお前を呼んでいたのは、若草色のドレスを着た白髪の上品な老婦人だった。それでピンクのドレスを着て泣きべそをかいている娘の名がスザンナだと判った。
あの老婦人が着ていたドレス、今思い返せば、初めて会った時にお前が着ていたドレスとよく似ている。……あの老婦人はお前の祖母ではないのか」
「……あ」
ケイトリンは力が抜けてその場に座り込みそうになった。傍にあった木に手を付いてなんとか自分を支える。
「それは……確かに、私の祖母です」
「納得したか? そうだ、お前なんだ。俺のスザンナは」
「ああ、そんな」
嬉しかった。
けれど、その反面、恐ろしくもあった。
この幸せは、この愛は、本当に私のものでいいの……?
「で、ですが……婚約破棄を……」
震える声でケイトリンがそう言うと、セドリックは呆れたように首を横に振った。
「お前はもう少し人の話を聞くようにしてくれ。確かに婚約破棄はした。だが、それはお前やお前の家族の身を守るためだ。そう言っただろう」
「あ、はい。そうですが……で、でも、私なんかがセドリックさまに釣り合うはずは無くて……だから婚約破棄されても当然で」
「お前は俺が、お前やお前の家族の身を案じるふりをして、本当に婚約破棄をしたと思っているのか」
「はい。ああ、いえ。ち、違います。……ああ、私、何を言っているのかしら」
おろおろと彼女は視線をさまよわせる。目の前にある現実をどう受け止めていいのか判らなかったのだ。
「ケイトリン」
混乱している彼女にセドリックは優しく語りかけた。
「いや、ケイティ」
「は、はい!」
ケイティ。
確かに、今、ケイティと呼んでくださった。
ケイトリンの鼓動は更に早くなり、目の前がくらくらした。
「……もう少し、俺のことを信じてくれないか」
セドリックは視線をケイトリンから逸らすと慎重に自分の気持ちを言葉にした。
「お前も知っての通り、俺の周辺は何かと面倒だ。必ずそれを片付けるから、それまで待っていて欲しい。問題が何も無くなって、お前やお前の家族に危害が及ばないことが確認できたら……お前を迎えに行く」
すっと息を吸うと、セドリックは続けた。
「今度こそ、正式に婚約しよう。俺にはお前だけだ。お前は俺のものだ。どうか、俺を信じて待っていて欲しい……」
「あ、あの、殿下」
背後から声を掛けられ、セドリックはぎくりとして振り返った。そこには困惑顔のユーリとスージーが所在なげに立っていた。
「な、な、何だ! お前たち、どうしてここにいる!」
「すみません。お邪魔なのは判っているのですが、その……」
「な、何だ」
顔を赤くしてセドリックは必死になって言った。
「何が言いたい?!」
「その、ケイティが」
「ああ? ケイティが何だ?」
「気絶しています」
「何?」
セドリックが慌てて顔を向けると、ケイトリンは木にぐたりともたれかかって気を失っていた。
「……ユーリ」
「はい」
「いつからだ」
「はい?」
「いつからケイティは気を失っていた?」
「……ええっと、『もう少し、俺のことを信じてくれないか』という辺りからでしょうか」
「つまり、最初からだな」
セドリックは頭を抱えた。




