第一話
「はい、十五回目」
シンシアが笑いながら、それでもどこか心配そうに言った。
「本日、十五回目の溜息よ、ケイティ」
「……まあ、数えていたの? いじわるね、シンシアったら」
ケイトリンは怒った顔を作ると、すぐに笑った。
「まだ身体が上手く動かないのよ。少し職場から離れていただけなのに、勘って簡単には戻らないものなのね」
「ふうん」
「あら、何。その疑い深い目は」
「ケイティ!」
突然、シンシアはぐいとケイトリンの肩を両手で掴んだ。
「泣いていいのよ! 私の胸を貸してあげるわ!」
「え?」
「もう国中に伝わっているのよ、あなたがセドリック殿下から婚約破棄されたってこと」
「ああ、そのこと……」
ケイトリンは苦笑する。
セドリックがウィルローズ家を訪れてから三日経つ。婚約破棄の件は直ちに文書により国王そして王妃に伝えられ、当然のように受け入れられていた。
「私ったら、しばらくの間、あなたと殿下の婚約のこと知らなかったの。だから、どうしてあなたが従軍看護師として黒の樹海にいくことになったのか、わけが判らなかったけど、今なら判る。危険を冒しても愛する殿下のお傍にいたかったのね、ケイティったら、いじらしい。なのに、黒の樹海から帰ってきた途端、用は済んだとばかりに婚約破棄なんて……ああ、ケイティ、可哀そう!」
「あ、あの、シンシア? 知っているでしょう? 私から従軍看護師に志願したわけではないのよ。……それに、婚約の件は……そうね、殿下の勘違い、というか気まぐれだったの。正式なものじゃなかったわ。だから、婚約破棄といわれても……」
婚約破棄。
自分で言ったその言葉に、自分で傷ついた。
胸にこみ上げてくるものを抑えながら、ケイトリンは何とか笑顔を作る。
「私のように美人でもない落ちぶれた貴族の娘が、殿下の婚約者になれるわけがなかったのよ。短い間だったけど、セドリックさまのお傍にいられた。それだけで私は幸せよ」
「もう、ケイティ!」
ぎゅっと抱きしめられて、ケイトリンは明るい悲鳴を上げる。
「ちょっと、シンシアったら!」
「あなたは本当に可愛くて無垢で素敵な女の子よ。きっと幸せになれるわ」
「そうかしら……?」
「そうよ」
体を離すと、真剣な目でシンシアはケイトリンの目をみつめた。
「いつかきっと、あなたを一途に愛してくれる白馬に乗った王子さまが迎えに来てくれるから」
「まあ、白馬の王子さまだなんて」
「あら、本当よ。あなたなら」
「白馬の王子さまもいいけど」
不意に背後から声がして、ケイトリンとシンシアはぎくりと動きを止めた。そして、恐る恐る後ろを振り返る。
「あ。師長……」
「ご歓談中、申し訳ないけれど、看護師詰所は楽しくお喋りする場所ではないと思いますけど、どうかしら? お嬢さま方?」
「す、すみません!」
ふたりは同時にそう言って慌ててその場を離れた。それぞれ仕事に向かおうとしたが、ケイトリンは師長に呼び止められた。
「ケイティ、あなた、今日はもういいわ。家にお帰りなさい」
「……え? あの……私、邪魔ですか?」
ケイトリンは、師長の顔をおずおずと上目遣いでみつめる。
黒の樹海から戻って、ようやく今日から仕事に復帰した。身体の痛みもほとんど取れて、日常生活は勿論、仕事をするのにも支障はないはずだった。
「ちょっとぼんやりしてしまうことはありますけど……で、でも、大丈夫ですから」
「そうじゃないわよ」
不意に優しく微笑むと、少し声を落として師長は言った。
「殿下との婚約破棄の件は知っているわ。でも、それで心が折れてしまうあなたでないことも私は知っている。だけど、身体も心もまだ本調子ではないでしょう? 少しづつ慣らしていけばいいということよ」
「師長……」
「ここは病院よ。そのちょっとしたぼんやりが命取りになりかねない。いいわね?」
「はい。判りました」
ケイトリンは、師長の厳しくも優しい言葉に感謝して深く頭を下げた。
同僚たちに声を掛け、着替えを済ませるとケイトリンは病院を後にした。
屋敷に帰るべく歩いていたケイトリンだったが、ふと足を止めた。
突然、出来たこの時間。このまま屋敷の戻ってしまっていいの? 思いを巡らし、そして決心した。
……スージーに会いに行こう。
セドリックから婚約破棄を告げられたその翌日に、ケイトリンはスージーからの手紙を受け取っていた。
無事に戻ったと聞いてとてもとても嬉しい、怪我はない? 本当に大丈夫? と何度も問いかけが書かれていた。少し乱れた文字がスージーの歓喜の気持ちを表しているようで、ケイトリンは心から感動した。最後に手紙はこう締めくくられていた。
『すぐにでもあなたの元に飛んでいきたい。だけど、あなたに会うことを、どうしても両親が許してくれないの。ローサの監視も厳しくてこっそり屋敷を抜け出すことも出来ないわ。手紙を送ることが精一杯なの。不甲斐ない私を許して。愛しているわ、ケイティ』
私もよ。愛しているわ、スージー。
それは真実。だけど、あの時は心が乱れて、返事を書くことが出来なかった。
不甲斐ないのは私の方よ、スージー。
あなたに嫉妬してしまいそうになる弱い自分が嫌だわ。こんなの、私じゃない!
振り切るように強く思って、ケイトリンはスージーの住むガーランドの屋敷がある方向に身体を向けた。
会えるかどうか判らない。
だけど、会わなきゃ。いいえ、会いたいのよ、大好きなスージーに!
ケイトリンはひとつ、大きく深呼吸をすると親友の元へ歩き出した。




