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第五話

 ケイトリンが目を覚ましたのは階下から聞こえる笑い声のせいだった。

 あの声は……アレン?

 アレンが、あんな風に楽しげに声を立てて笑うなんて、初めて聞いたわ。

 寝起きのぼんやりとした目で、ふと窓を見たケイトリンは、レースのカーテン越しに日が中天にあるのに気付くと思わず声を上げた。

「大変。寝過ごしてしまったわ!」

 慌てて起きようとした途端、体中の関節が悲鳴を上げる。ううっとうめき声をもらすとケイトリンはまたベッドに沈み込んだ。

 き、昨日よりはましになってはいるけれど……馬に乗り続けたことがこんなに体にこたえるなんて。

 任務に出発する前に、乗馬は得意と豪語していた自分が恥ずかしくなるくらい、ケイトリンの体は筋肉痛でがたがたになっていた。

 自分と同じ女性のアンも、そして一番弱いと思っていたニールでさえ、病院での検査と治療が終わると、疲れも見せず当然のように馬に乗って軍の宿舎へと戻って行った。

 しかしケイトリンは、コリックス男爵との一件もあり、立ち上がることさえままならず、もう一度、バタカップに乗ることなど到底、無理だった。結局セドリックに抱きかかえられて国境壁を降り、その後は、アンが手配してくれた馬車に乗って病院に向かった。他の隊員と同様に検査と治療を終えると、また馬車に乗せられウィルローズの屋敷に戻ってきたのだった。

 それが二日前のこと。今日もまだ、ケイトリンの体は思うままに動いてくれない。

「仕方ないわよ、あなたは訓練された軍人さんではないのだから、しばらくはゆっくりしていなさい」

 母親はそう言ってケイトリンを慰めてくれたが、帰還して二日目ともなると、ケイトリンは、じっと寝ていることが苦痛だった。屋敷のことも勤め先の病院のことも気になって仕方がない。

 しっかりして、ケイトリン!

 自分を励ましながら、彼女は気合でベッドから起き上がるとなんとか服を着替え、よろよろしながら階段を降りて行った。

 するとまたアレンの明るい笑い声が聞こえてきて、ケイトリンは思わず足を止めた。少年の笑い声がもうひとつあることに気が付いたのだ。

 この声はアレンと、それから……え? まさか!

 慌てて階段を降り切ると、声のする客間に入って唖然とする。

「……ショーンさま。どうして」

「あ、お姉さま!」

「もう起きて大丈夫なの?」

 絨毯の上に座り込んで仲良く本を見ていたふたりの少年は同時に顔を上げると、よく似た声で口々にそう言ってケイトリンに駈け寄ってきた。

「あ。あの……ショーンさま、どうしてここに」

「申し訳ありません。ご迷惑になると何度も申し上げたのですが、お見舞いについて行くと言ってきかず」

 背後から静かな声が聞こえた。振り返ると相変わらず凛とした佇まいのジェイドがいて、丁寧に頭を下げる。

「お久しぶりです、お嬢さま」

「まあ、ジェイドさん」

「お加減はいかがですか」

「ええ、何とか」

 曖昧に微笑むと、自分を縋るようにみつめている二人の少年に目を戻した。

「ショーンさま、弟と遊んでくださっているのですか」

「はい、お姉さま。お見舞いに来たのですが、休んでおられるとのことでしたので、アレンと本を見てお勉強しておりました」

「あら、お勉強でしたか。それは失礼いたしました」

 軽く頭を下げて、それからソファーに座る母親を見た。彼女は深刻そうな顔でケイトリンをみつめ返してくる。

「ケイトリン、あなた……」

「お母さま、私はもう大丈夫ですから心配なさらないで」

「こちらにいらっしゃい。あなた、どうして何も言ってくれなかったの?」

「はい? 何のことでしょう?」

「勿論、セドリック殿下との婚約のことです」

「あ……」

 ケイトリンは両手で口を覆った。すっかりそのことを失念していた。

「ご、ごめんなさい。私……言いそびれてしまって」

「こんな大事なことを言いそびれていたなんて……信じられないわ」

 深く溜息をつくと、ウィルローズ夫人は言った。

「母親としては、あなたの口から聞きたかったわね」

「あ、あの」

 恐る恐るケイトリンは尋ねた。

「お母さまはどなたからそのことを? ショーンさまですか?」

「いいえ」

 そう言うと、夫人は自分の向かい側のソファーに目をやった。そこで初めてケイトリンは、そこにもう一人座っていることに気が付いた。

 どなたさま?

 きょとんとしているケイトリンに、その人物はすっと立ち上がり、顔を向けた。そして少し困ったように言う。

「……突然、押しかけて申し訳ない。ケイトリン」

「え……、そんな……セドリックさま!」

 突然のことに、ケイトリンはそれ以上の言葉が出てこなかった。呆然と自分を見返すだけの彼女に、セドリックは続けて言った。

「今後のことを話しておこうと思ったんだ。ご家族にも話しを聞いて貰うつもりで、見舞いを兼ねて伺った」

 不意に力が抜けて、ケイトリンはへたへたとその場に座り込んでしまった。

「お嬢さま」

 ジェイドが音もなく彼女の傍に来ると、そっと体を支えた。

「こちらへ」

 そして、夫人の隣のソファーにエスコートすると優しく座らせる。ショーンとアレンのふたりも心配そうにケイトリンに寄り添った。

「お姉さま、大丈夫ですか」

「セドリックお兄さまのせいですよ。お姉さまを驚かせて!」

「ショーンさま」

 小さいが強い声でジェイドが言った。

「そのように仰るのでしたら、無理矢理お見舞いについてきたあなたさまも同罪ですよ」

 ぐっと言葉に詰まって、ショーンは助けを請うように兄と未来の姉の顔を順番にみつめた。


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