第四話
今すぐにでも彼女の元に駆けつけたかった。しかし、自分の体重、そして乗っている馬の重さを考えると、ケイトリンのように身軽にあの不安定な跳ね橋を渡りきる自信はない。下手をすれば、乗っている馬ごと落下して地面に叩き付けられてそれで終わりだ。背中のユーリを下ろして他の者にゆだねたとしても、結果は変わらないだろう。
血がにじむほどに唇を噛んだ時、コリックス男爵の苛立った声が上から降ってきた。
「……何だと! 無礼な!」
「無礼なのはあなたの方です」
毅然とした態度を崩さず、ケイトリンは言葉を返していた。
「さきほど名乗りましたので、あなたもお判りのこととは思いますが、私はウィルローズ侯爵家の者です。あなたの爵位は男爵。上位の爵位を持つ家柄の私に下位の爵位であるあなたのその態度は、無礼以外の何ものでもありません。身の程を知りなさい」
「な、何を……」
「もう一度言います。跳ね橋を降ろしなさい。今すぐに!」
「こ、この落ちぶれた貴族の小娘が……生意気な」
「これが最後通告です。跳ね橋を降ろしなさい、男爵。ウィルローズ侯爵家の名の元に、そして」
一瞬、ぐっと息を詰めてから、ケイトリンは言った。
「セドリック殿下の婚約者として、あなたに命令します。今すぐ、跳ね橋を降ろして、私の大切な人たちを助けなさい!」
ぎりと歯軋りの音が聞こえそうなくらい、口を真一文字に結び、顔を真っ赤にして男爵はケイトリンを睨みつけた。
「……よ、よくもそんなことを……! こちらは国王陛下の命令で……!」
ケイトリンは不意にバタカップから下りた。そして腰のベルトから短剣を引き抜くと、まっすぐに男爵へと歩み寄って行く。
鬼気迫る表情のケイトリンに恐れをなした男爵は、じりじりと後ろに下がった。
「な、何をする! 私に刃を向ける気か!」
「最後通告と申しました。跳ね橋をどうしても降ろさないと言うのなら私にも考えがあります」
「こ、こんなことをしてタダで済むと思うなよ。私の姉上が黙っていないぞ!」
男爵は足をもつれさせ、尻餅をついて後ろに倒れ込んでしまった。それでも威厳を保とうと必死で喚き続ける。
「わ、私に刃を向けるということは、王妃である姉上と国王にも刃を向けるということだ! 判っているのか、小娘! 反逆罪で死罪になるぞ!」
「大切な人たちを守るためなら、この命、あなたに差し上げましょう。ですが」
ケイトリンは尻餅をついた男爵の傍らに膝を折ると、短剣を彼の顔の前に付きつけた。
「あなたは少しおしゃべりが過ぎます。これ以上、何か仰るというのなら、あなたのその目をこの短剣で突きましてよ、男爵」
ひっと息を呑んで、とうとう男爵はその口を閉じた。大人しくなった彼を見て、ケイトリンは後ろで震えあがっている門番二人に命じた。
「跳ね橋を降ろしてください。今すぐに!」
「しょ、承知いたしました、お、お嬢さま!」
弾かれるようにふたりの門番は、橋を降ろすハンドルに我先にと飛びついた。
ごごごと音を立てて、ゆっくりと、しかし確実に跳ね橋は地面に向かって降りていく。最後まで降り切ったことを確認するとケイトリンは男爵から離れ、短剣を放った。
「こ、この小娘!」
危険が去ったと知るや否や、ぐたりと座り込んでいるケイトリンに男爵は掴みかかって行った。
「よくもこんなことを! 覚悟していると言ったな? いいだろう、お前のことを滅茶苦茶してやる! ウィルローズ家は終わりだ、家族もろとも罪人として牢にぶち込んでやる!」
そう言うと男爵は容赦なく、拳を大きく振りかぶり彼女の顔に叩きつけようとした。が、その刹那、彼の腕を捉えた者がいた。
「何の真似だ、コリックス男爵……!」
ぎくりとして男爵が振り向くと、怒り心頭のセドリックの姿がそこにあった。
セドリックは荒い息の中、強い眼差しで男爵を睨みつけた。
「我が婚約者に無礼を働く気か!」
「セ、セドリック殿下……! こ、これは国王陛下の」
最後まで言えなかった。
セドリックが男爵の腕をひねり上げると、彼の体を力任せに背後の壁に叩きつけたからだ。痛みで息ができないらしい男爵はひいひい喘いだ挙句、その場に崩れ落ちた。
「ざまあないね」
ふんと鼻で笑ったのはアンだ。彼女はセドリックの代わりにユーリを自分の馬の後ろに乗せていた。ケイトリンを心配そうに見たが、すぐに階下に降りるスロープへと向う。
「隊長、私は副長を病院へ連れて行きます」
「頼む」
セドリックは背中を向けたまま言った。彼はただ、目の前に座り込み、俯いているケイトリンをみつめていた。
第一部隊の面々が続々と跳ね橋を渡ってきたが、みんな黙ってスロープへと馬を進める。
「おい、お前たちも来い。お邪魔だよ」
トムに促され、門番たちも訳が判らないまま、第一部隊について国境壁を降りて行った。
後に残ったのは気絶しているコリックス男爵と、セドリック、そしてケイトリンだけとなった。
「ケイトリン……顔を上げてくれないか」
懇願するようにセドリックは言ったが、ケイトリンは動かない。ただ、じっと顔を伏せて下を向いている。
「ケイトリン……すまない。俺はいつもお前を傷つけてしまう。守ってやれない。俺は……最低だ」
「違います……」
小さな声は震えていた。
ケイトリンはゆっくりと顔を上げて、やっとというようにセドリックの顔を見た。
「守っていただいています。だから、私もあなたたちを、あなたを、守りたいのです」
そして、弱々しく微笑んだ。
「ごめんなさい。私……まだ怖くて、震えが止まらなくて……立てないんです。どうぞ、先に行ってください。隊長のあなたは、これからすべきことがたくさんあるでしょうから……」
「俺が今、しなくてはならない最優先事項はこれだ」
セドリックはそう言うと、ケイトリンの体を優しく抱きしめた。彼の胸の中でケイトリンは、はっと短く息をついた。一瞬、身を固くしたが、すぐに蜜のように溶けて彼の体に自分をゆだねた。
「……撤回する」
「え?」
「初めて会った時、お前を最低最悪の女と言った。あれは大間違いだ。お前は最高の女だ。誰が何と言おうと、お前以上のいい女はいない」
「セドリックさま」
少し笑って、ケイトリンは言った。
「それは言い過ぎです」




