第一話
エルベレスト王国の高い国境壁が遠くに見えてきたのは、空が白み始めた頃だった。
「隊長、俺たちがひと足先に行って、門番を叩き起こしてきますよ。どうせ、平和ボケした連中のこと、寝込んでいるでしょうから」
「スムーズに国に入れるよう、跳ね橋を降ろさせて待っていますよ」
フランとクリスはそう言うと、国境に向かって颯爽と馬を走らせて行った。
「ああ、やっと帰りついたわ。これで副長も助かる……。ケイティもよく頑張ったわね」
アンは笑顔でそう言ったが、その顔は疲労の色が濃い。ケイトリンは国境を前にした今でさえ、ほっとした気持ちには到底なれなかったが、アンに気を遣って笑って頷いた。
「そうね。後少しで帰りつけるわ」
「早くベッドにもぐりこみたい。寝袋はもうたくさんよ」
「本当だね。僕もそう思う。わずか数日の任務だったけど、永い間、あの森の中にいたような気分だ」
ニールとアンは目を合わせて微笑み合う。
無事に国に帰れたという安堵の気持ちが、彼らを取り巻く空気を柔らかくしていた。いつもならそんな隊の様子をたるんでいると叱責するセドリックだったが、今は何も言わず、まっすぐに国境へと馬を進めていた。
そしてそんな時だった、セドリックの背中で意識を失っていたユーリがわずかに身じろぎをしたのは。
「……ユーリ、気が付いたか?」
「殿下……?」
ユーリがのろのろと顔を上げると、全員が歓声を上げた。
「ああ、良かった!」
「副長、具合はどうです? どこか、痛いところは?」
「いや、どこも。ただ、体に力が入らない。少しだるいが、まあ、たいしたことはないだろう。……それより、殿下」
ユーリは目を眇めて、白々と明け始めた空にそびえ立つ国境壁を睨むようにみつめた。
「国に帰れたのですね……」
「ああ、何とかな」
「殿下、私はあなたの馬に乗せられ、あなたの背中にもたれ掛ってここまで来たのですか?」
「そういうことだが、遠慮はいらん。気にするな」
「というか……なかなか鬱陶しいです」
「……ユーリ。元気になったらお前を一発殴らせろ」
くっとユーリが笑ったのが、背中の振動で判った。つられてセドリックも笑ってしまう。
「もう少しだ、ユーリ。みんなも。頑張れ」
「はい!」
それぞれが笑顔で応えた時だった。前方から先に行ったはずのクリスの声が聞こえて来た。セドリックが驚いて顔を上げると、クリスが血相変えてこちらに馬を走らせて来るのが見えた。
「どうした?」
「隊長! どうもおかしいんです!」
セドリックの前で馬を止めると、荒い息の中、クリスはまくし立てた。
「門番に我々の帰還を告げました。その時は、すぐに門が開き、跳ね橋も下ろされたのですが……」
「門が開いて、跳ね橋が降ろされたのなら何の問題もないじゃない」
アンが憮然として言うと、クリスは猛然と頭を横に振った。
「それが、途中までなんだ!」
「はあ?」
「どういうことだ、クリス」
「何故か連中は跳ね橋を下の地面まで下ろさず、途中で止めてしまったのです! 下からどうしたのかと問いかけると、跳ね橋を降ろしている途中で、第一部隊を国に入れてはならんと城からお達しがあったと言うのですよ……!」
「何だと!」
「……た、隊長、一体、これは」
「決まっている、あの女の仕業だ」
苦々しく呟くセドリックに、クリスは重ねて言った。
「今、フランが門番と話しをしていますが、埒が明きません。どうか、隊長が直々に命令を……!」
「判った。ユーリ、しっかり掴まっていろ!」
言うや、セドリックは国境壁に向かって、全力で馬を走らせた。
何ということだ!
意識が戻ったとはいえ、ユーリの状態が深刻なのは変わらない。ぐずぐずしてはいられないというのに……!
国境壁に近づくにつれ、フランの怒鳴り声がはっきりと聞こえてきた。彼は門番を見上げ、声を張り上げて抗議していた。
「セドリック殿下率いる第一部隊が帰還したのだ! とっとと門を開けろ! 貴様、殿下に逆らうか……!」
「フラン!」
彼の横に馬を付けると、セドリックも同様に高い国境壁を見上げた。気が付くとすっかり夜は明けて、国境壁も、そこに立つ門番の姿もはっきりと見て取れた。門番はふたりいた。ひとりは背の低い初老の男と、もうひとりまだ子供のような顔をした若い男だ。彼らは困惑顔でこちらを見下ろしていた。
「どうなっている?」
「ああ、もう、わけが判りませんよ。隊長から命令してください」
「判った……」
セドリックは顔を上げると苛立ちを何とか抑えて、門番に向かってなるべく穏やかに言葉を放つ。
「おい、門番。何故、橋を下ろさないんだ?」
「あ。セドリック殿下」
ぼそりと初老の門番が呟くと、若い門番が慌てて姿勢を正した。
「た、高いところから失礼いたします!」
「そんなことはどうでもいい。早く橋を下ろせ」
「いえ、その、それが」
「何だ?」
「命令で、橋を下ろすことは出来ません……」
「誰の命令だ」
「それが……国王さまにございます」
「父上、だと」
勝ち誇った顔のグレイシアが、セドリックの脳裏に浮かんだ。
あの女、こんな強引なやり方で、俺たちを国から締め出すつもりか。




