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第六話

 水はユーリの深く裂けた傷口にとろりとしみ込んで行く。

 うっと小さく呻いて、ユーリが顔をしかめるのと、傷口にしみ込んだ水が細かく泡立つのとがほぼ同時だった。

「……ユーリさま?」

 心配してケイトリンが声を掛けたが、痛みが激しくユーリは血の気を失った顔で微かに頷くのが精一杯だった。

 全員が不安に苛まれながらユーリを見守る中、泡立っていた傷口が不意におとなしくなった。

「ユーリ? 大丈夫か?」

「お待ちください。私が」

 気を失ったユーリの体を揺すろうとするセドリックを止めると、ケイトリンはユーリの軍服のボタンを外した。血糊で重くなった布を仕方なく短剣で裂くと、肩と腕を確認する。出血が止まっているだけでなく、そこにあるはずの傷口がきれいに無くなっていた。

「……本当に治っています」

「大丈夫なのか?」

「傷は消えています。最初から何もなかったように」

「ああ、良かった!」

 安堵の息をついて、アンとニールがその場に崩れるように座り込んだ。

「助かったのね? 副長はもう大丈夫なのね? そうよね、ケイティ?」

「……それが」

 ケイトリンは眉根を寄せて、辛そうに現実を口にした。

「傷は無くなりました。出血もありません。ですが」

「何だ? 何が言いたい?」

「ユーリさまはご自身でも仰っていたように血を流しすぎました。すぐに病院にお連れして輸血しないと」

「しないと?」

 ケイトリンはまっすぐにセドリックの顔を見て言った。

「このままではユーリさまの命は……ありません」

 全員が息を呑み、重たい沈黙が流れた。

 そして、数秒後、その沈黙を毅然として破ったのはセドリックだった。

「……行くぞ!」

 彼は立ち上がると言った。

「さっさと国に帰って、ユーリを病院に放り込む。今、俺たちがやることはその一点だけだ!」

「はい!」

 アンとニールは立ち上がると、すぐさま動き出した。意識の無いユーリを担ぎ上げると、セドリックの馬に乗せ、その体を落ちないように先に乗っているセドリックの背中に固定する。ユーリの馬はニールの馬に繋いで並走することにした。

「ケイティ、あなたも早くバタカップに!」

「あ、はい」

 アンの言葉に、慌ててケイトリンも駆け出した。少し離れた茂みに鼻面を突っ込んで遊んでいるバタカップをみつけて、ケイトリンはすぐに近寄って手綱を引いた。

「何してるの。さあ、帰るわよ、バタカップ」

 いくら手綱を引いても、バタカップは茂みから顔を離さない。

「何なの?」

 いつも素直に言うことを聞くバタカップの頑なさにケイトリンも茂みの中を覗いてみる。そして、あっと声を上げた。

 そこにはケイトリンの医療品を入れた鞄が、枝に引っかかるようにして落ちていたのだ。

「まあ、こんなところに!」

 ケイトリンは鞄を肩に掛けながら、溜息をついた。

 今更、みつかっても……。

 役に立たない自分を改めて思い知らされたような気がして、がっくりと体から力が落ちた。

「……さ、行きましょう。急いで帰るのよ、バタカップ」

 バタカップに乗ると、ケイトリンは前にいるセドリックたちに合流した。ふと見ると、ニールが空になった水筒をしっかりと馬の鞍に取り付けている。

「ニール? それ、空なんでしょう?」

「そうなのよ。その辺に捨てて行ってもいいのにね」

 呆れたように横からアンが口を挟んだ。

「その水筒、結構、大きいじゃない。荷物になるんだから、持って帰らなくても」

「だめだよ」

 手綱を引きながらニールが冷静に言った。

「この水筒はこの森のものじゃないんだから、持って帰らないとだめだ。こんな恐ろしい森でも、ルールはある。生態系というものがある。それを乱すことはどんな場所でもしてはだめだよ」

 アンとケイトリンは、はっとしてニールの顔をみつめた。

「……そうね、本当にそうだわ」

「さあ、帰ろう。副長も心配だし、トムたちも待ちくたびれているよ」

「判ったわ」

 羞恥か、アンは微かに顔を赤くして、走り出したニールたちの後に続いた。ケイトリンもバタカップを走らせながら、ふと、後ろを振り返る。あの灰色狼の青年のことが気になるのだ。

 ケイトリンは、胸元にしまっていた彼から貰った百合の花を取り出した。慎重に取り出したつもりだったが、しかし、黒い狼に襲われた時の衝撃のせいか、花弁は崩れていて、呆気なくケイトリンの手を離れ、地面に落ちていった。

 ああ、そんな。

 まるでそれはあの灰色狼の青年の末路を表しているようで、ケイトリンは激しく動揺した。

 私のせいで、みんな、傷ついていく……。

 ケイトリンは先を走るセドリックたちの背中をみつめた。

 もう二度と、この人たちを傷つけてはいけない……!

 強く、手綱を握った。


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