第五話
「あ、あの……ユーリさまが私を庇って黒い狼に襲われて……それから、灰色狼さんがセドリックさまの姿で現れて、黒い狼を追って森の中に……」
「そんなことは聞いていない」
静かに、低く、セドリックは言う。
「従軍看護師であるはずのお前が、怪我をしているユーリを置いて何をしているのかと聞いているのだ……!」
セドリックの静かだが強い怒りがじわじわと彼女の心を締め付ける。ケイトリンは一瞬、息が出来なくなった。
「わ、私は……私は……」
「もういい」
あえぐケイトリンを無視して、セドリックはユーリの元に駈け寄ると膝を折った。
「ユーリ! 生きているだろうな? 俺より先に死ぬことは許さんぞ!」
その言葉に、ユーリは薄っすらと目を開けた。
「……またそのような我儘を」
「ユーリ」
頼りなく微笑む彼に、セドリックは何かに耐えるように唇をかみしめた。
「殿下、行ってください」
「何?」
「お忘れですか? ここはピクニックができるような森ではないのですよ。今、狼は去ったところです。この森を抜けるなら今しかありません。……私はここにいます。行ってください」
「馬鹿な!」
セドリックは激昂して叫んだ。
「ここを抜けるのは全員でと決めている! お前も来るんだ。ニール、ユーリの馬を……いや、ユーリは俺の馬に一緒に乗せて……」
「殿下」
震える手で、ユーリはそっとセドリックの腕を引いた。
「無理です。私は……馬に乗れる体力はもうありません。私の血の匂いに集まってくる化け物どももいるでしょう。みんなを危険に晒します。私は……行けません」
「何を……!」
「殿下、聞いてください。現実を見るのです。私は血を流しすぎました。助かるとは……思えません。従軍看護師が応急処置をしてくれたところで、それは変わらない事実でしょう……」
はっとケイトリンは顔を上げた。
こんな時にまで、ユーリさまは私を庇おうとしてくださる……。
「ユーリさま!」
たまらず、ケイトリンはユーリの元に駈け寄った。
「私、医療品の入った鞄を失くしてしまって……ごめんなさい! 看護師として失格です!」
「君のせいじゃない。泣かないで……」
薄っすらと微笑むと、ユーリは静かに目を閉じた。
「……疲れました。少し、眠らせてください」
「ユーリ……」
「何やってんですか、隊長も副長も、ふざけないでくださいよ!」
項垂れるセドリックの後ろで、声を上げたのはニールだった。いつになくいきり立っている彼に、そこにいた全員が驚いて顔を上げる。
「ニール?」
「勝手に今生の別れみたいにならないでくださいよ!」
不意に身を翻すと、ニールは来た方向に走って行った。
「え? ちょっと、ニール!」
アンが慌てて追いかけたが、ニールはすぐに戻ってきた。
「ニール、あんた、それ……」
唖然としてアンが、ニールの手にあるものをみつめた。そこには水筒がひとつ。勿論、その中にあるのは『虹のかかる泉』の水だ。
「この水は、どんな怪我も病もたちどころに治すんですよね? だったら、今、使わなくていつ使うと言うんです? そうですよね、隊長!」
真剣なニールの顔を、セドリックは唖然としてしばらくみつめていたが、不意に笑い出した。
「よく言った。さすが、俺の部下だ」
「た、隊長……本当に?」
「ああ。ニールは正しい」
最初は呆気に取られていたアンも、見る見る歓喜に満ちた表情になる。
「それじゃあ、副長は助かるんですね!」
「当然だ。誰が死なせるものか」
ニールの手から水筒を取ると、セドリックは改めてユーリに向き直った。水筒の蓋を取り、ユーリの体を起こすと怪我をしている肩と腕に水をかけようとした。が、セドリックの手を掴み、寸前で止めたのはユーリだった。
「……おやめ下さい」
「放せ。怪我人は黙っていろ」
「殿下、何を血迷っておいでです。……その水を私に使ってしまったら、ここに来た意味がなくなります。手ぶらで国に帰るおつもりですか……」
「そうだな」
にっと不敵に笑うとセドリックは言った。
「それも面白い。唖然とするあの男の顔を見るのもいいじゃないか」
「殿下……!」
「お前にはまだ働いて貰わないと困る。いいな」
「……まだ、私をこき使うおつもりですか、困った方だ……」
「そういうことだ。観念しろ」
ユーリが手を解くと、セドリックは水筒を傾け、彼の体に静かに水をかけた。




