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第四話

 靴先で検分するように狼の体を動かした後、彼は眉間に険悪なしわを寄せた。

「……だが、掠めただけのようだ」

 そう言って、ユーリがケイトリンを突き飛ばすのと、狼が敏捷に起き上がり、ユーリに飛びかかったのが同時だった。

 地面に倒れ込んだケイトリンが顔を上げた時、恐ろしい光景がそこにあった。

 大きな狼に組み敷かれたユーリが、牙に裂かれた肩や腕から大量に血を流しながらも斧を手に、必死に応戦していたのだ。

「ユーリさま!」

「……逃げるんだ、ケイティ! バタカップは近くにいる。君が呼べばすぐに来る! 殿下の元に戻れ!」

「い、嫌です! あなたを置いては行けません!」

「行け! 君まで死ぬことはない!」

「嫌です!」

 ケイトリンは立ち上がると、ベルトに挟んでいた短剣を引き抜いた。震える手で狼に向けてそれを構える。

「……だめだ! ケイティ! 君に敵うわけがない!」

 ユーリの叫び声が耳に痛い。

 勿論、それはケイトリンにも判っている。けれど、彼女はひるまない。真っ直ぐに狼に目を向け、震えながらも歩き出した。その気配に狼も気づき、ケイトリンを見ると牙を剥く。

『小娘が! 我に刃を向けるとは!』

「ユ、ユーリさまから離れなさい! あなたの目的は私でしょう!」

『その望みを叶えてやろう!』

 狼はユーリの体から飛び退くと、ケイトリンに向かって走った。

「……やめろ!」

 ユーリが阻止しようと斧を投げたが、不安定な体勢でのそれは、狼からわずかに逸れて、茂みの向こうに落ちて消えた。

「ケイティ! 逃げろ、逃げてくれ……!」

 懇願するようにユーリが叫んだが、その言葉にケイトリンは首を横に振った。

 覚悟を決めて短剣を構え直したケイトリンだったが、迫ってくる狼の恐ろしさに、思わずきつく目を閉じた。

 セドリックさま……!

 その名を心の奥で祈るように呼んだ時、ぐっと力強く誰かに引き寄せられた。

 え……?

 はっと目を開くと、そこにはケイトリンが今、一番会いたい人がいた。

「セドリックさま……!?」

「後は任せろ」

 静かにそう言うと、セドリックはしっかりと抱いていたケイトリンの体を離した。何が起こったのか訳が判らないまま、ケイトリンはぼんやりとセドリックを見返す。

「どうしてここに」

「後始末だよ」

 そう言って、にっと笑うセドリックは、気が付くと先ほどユーリが投げた斧を持っていた。そして、離れたところからこちらを睨んで対峙している狼は頭から血を流している。どうやら、ケイトリンが目を閉じている間に現れたセドリックは、彼女を庇い、襲いかかってきた狼に一撃を喰らわせたものらしい。

「あ、あの……あなたは」

「狼は俺が引き受ける。じき仲間がここに来るだろう。お前はここで仲間を待て」

「何を……する気?」

「俺のことはいい。見たところ、あの男は死にかけているぞ」

 はっと、ユーリを振り返ると彼は失血のため意識が朦朧としているようだ。

「ユーリさま!」

「また、花を捧げにいく」

 そっと囁くように言うと、セドリックは身を翻し、狼に向かって行った。セドリックの振るう斧の一撃を狼は軽く交わすと、誘導するように森の奥へと駆けて行く。それを追うセドリックの後ろ姿に、ケイトリンは思わず叫んでいた。

「どうかご無事で!」

 肩越しに振り返ったセドリックの瞳は琥珀色をしていた。ふっと微笑むと、すぐに森の木々の中にその姿を消した。

 ケイトリンは不安と安堵の(はざま)で、その場に崩れそうになる。

 ああ、どうしよう。

 自分のせいでみんなが傷ついて行く、そう思うといたたまれなかった。

「ユーリさま……、どうかどうか……」

 這うようにして、今や全身が朱に染まって倒れているユーリに近づいた。脈をみようとその手を取って、ぞくりとする。氷のように冷たかったのだ。

「脈は……ある。弱々しいけど、まだ、大丈夫。そう、大丈夫よ」

 ケイトリンはまだ片手に短剣を握っていることに気が付いて、それを注意深く鞘に戻すと、医療品が詰まっている鞄を探した。

 肩に斜め掛けにしていたのだが、落馬した時にどこかに落としたようだ。

 どこに落としたの?

 こんな時に手元にないなんて!

 鞄を求めて、必死に辺りを探し始めた時、

「……ケイティ? そこにいるの?」

 と、すぐ近くの茂みの向こう側から、アンの声が聞こえた。ケイトリンは、思わず声を張り上げる。

「こ、ここよ! ここにいるわ! ユーリさまが……早く来て!」

「ケイティ!」

 茂みを押し倒す勢いでアンとニール、そして、セドリックがこちら側に駆け込んできた。

「ああ、無事ね」

 アンがケイティの肩を抱くと言った。

「遅れたあなたたちを少し先で待っていたら、バタカップと副長の馬だけが走ってきたの。それで私たち三人であなたたちを捜し戻ったのよ。さあ、馬はすぐそこに繋いであるから、急いで……え。副長?」

 倒れているユーリに気が付いて、アンは言葉を失った。ニールもセドリックも、はっと息を呑んで立ち尽くす。

「……そ、そんな、副長!」

 我に返ったニールがユーリに駆け寄っていった。それに一瞥を投げると、セドリックは血の気の引いた顔でケイトリンに言った。

「お前は何をしている?」


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