第二話
絡みついてくるような殺気をはねのけ、隊は薄暗いけもの道を一気に駆けて行った。
木々の間から時折、彼らを狙って粘液をまとわせた触手が伸びてくる。それを剣で斬り伏せながら、昨夜自分たちが野営していた場所をようやく通り過ぎた。
「このまま、真っ直ぐだ!」
先頭のセルコが叫んだ。
「遅れるな。はぐれた者は狙われるぞ!」
「ケイティ、頑張って!」
斜め前を走るアンが、肩越しに振り返る。
「居眠りしてないわね? 落馬しないでよ!」
そして、ウィンク。
ケイトリンは、その茶目っ気たっぷりなアンの様子に思わず唇をほころばせた。ついさっきまでがちがちに緊張して、上手く手綱を捌けなかった彼女の体からいい具合に力が抜けた。
「大丈夫! ありがとう!」
笑顔で返すとアンはひとつ頷いて、また前を向いて走ることに集中をはじめる。セドリックやトムも、ケイトリンを見て、大丈夫だというように頷いてくれる。
……落ち着いて、ケイティ。
ケイトリンは彼らに頷き返しながら、自分自身に言い聞かせた。
誰も欠けることなく、みんなでこの森を抜けるのよ。大丈夫。きっと無事に家に帰ることが出来るわ。家族が待っている家に……!
ふと何かの気配を感じて、ケイトリンは傍らの茂みに目を向けた。
え? 何か、いる?
ぎくりとしたのは、最初は裸の人の子かと思ったからだ。だが、よくよく見るとそれは人ではなく、人の形をした醜い生き物だった。肌の色や質感は人のそれに近かったが、しかし、全体的にたるんでいた。体は子供のように小さいが、顔は老人のように皺だらけでどこか歪んでいる。
そんな奇妙な生き物が全速力で走っているバタカップの速度にしっかりと付いて並走していた。そして時折、ケイトリンとバタカップに物欲しそうな視線を送ってくる。
何なの、あの生き物は……。
恐ろしさで体中に鳥肌が立った。
「セ、セドリックさま、何か、います……!」
「気を付けろ!」
剣で伸びてきた触手に斬りつけながら、セドリックが叫んだ。
「そいつは小鬼だ。人を喰う! 馬の速度を落とすなよ! そいつは集団で襲ってくる。仲間がその辺に隠れているはずだ!」
人を、喰う……。
ケイトリンが恐る恐る目を向けると、小鬼はそれに気が付いて赤い口を開けてにたりと笑った。おぞましい笑顔だった。
こ、怖い!
思わず、手綱を持つ手に力が入り、それがバタカップを抑え、速度が緩くなった。集団から馬体半分、遅れたケイトリンに、それが合図のように並走していた小鬼が飛びかかってきた。それはバタカップの首にしがみつくと、大きく口を開けて喰いつこうとする。
「やめて! バタカップに何するの!」
咄嗟に拳を振り上げて、ケイトリンは素手でその小鬼を地面にたたき落とした。
地面に落ちた小鬼は、甲高い断末魔の声と共に、走る馬の蹄に体を蹴られ、砕かれ、肉片となって散った。それをあちらこちらから這い出てきた小鬼の仲間たちが我先にと共食いを始める。
い、嫌だ……。
ケイトリンは思わず、目を背け、必死に手綱を操り、遅れを取り戻した。
こ、殺してしまった。私が、あの小鬼を殺したんだわ……。
手の震えが止まらない。
動揺するケイトリンに、セドリックの声が飛んだ。
「後悔や反省は後にしろ!」
え? と顔を上げるケイトリンに、セドリックは言葉を続ける。
「国に帰ってから好きなだけ後悔だろうが反省だろうがするがいい。今は生き延びることだけを考えろ!」
ケイトリンは頷いた。
そうだ。生き延びて、この森を抜けなくては。
私の弱さで……迷うことで、みんなの足を引っ張ってしまうかもしれない。
今は、生き延びる、そのことだけを考えよう。
ケイトリンは震える手で、手綱を握り直した。
隊全体がひとつとなって、まっすぐに馬を駆る。
来る時は、安全を確保しながら森を探索して進んでいたため、遅いペースだった。そうして二日ほど掛かった道のりを、彼らは今、数時間で突破しようとしていた。
鞭をくれるたびに、馬が悲鳴を上げるようにいななく。汗が飛び散り、息が上がる。馬も、人も疲労が限界に達しようとした時、ようやく前方に光が見えた。鬱蒼と茂る忌々しい木々の間から、こぼれるようにきらめいているのは間違いなく陽の光。出口だ。
「……見えたぞ! 森を抜けられる! もうひと踏ん張りだ!」
セルコの声に、全員が安堵の息をつき、同時に体から力が抜けた。が、しかし、その一瞬を狙ったように、彼らの行く手に大きな黒い影が現れた。
一見、熊かと思ったそれは、しかし近づくにつれて黒い毛並の巨大な狼だと判る。ぎらぎらと光る金色の目は憎悪に満ち、敵意をあらわにこちらに牙をむいていた。
ケイトリンは恐怖に苛まれながらも、突然現れたその大きな黒い狼をみつめた。
これは……森狼?
だけど、あの灰色の狼の青年とは似ても似つかない……。
「隊長!」
セルコが、肩越しにセドリックを振り返った。
「巨大な狼が……」




