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第一話

 細いけもの道を隊は慎重に進んだ。

 あちらこちらの闇から何かの眼が光り、威嚇するような低い唸り声が聞こえてくる。そのたびに怯えてニールはびくびくと辺りを見回した。

「……こ、こいつら、僕たちを狙っているんだ。……この森から生きて帰れるのかなあ」

「しっかりしろよ、ニール」

 傍らでトムが叱咤する。

「弱音を吐くな」

「わ、判っているけど……覚悟はしていたつもりだったんだけど……でも、化け物どもに喰われて死ぬなんてやっぱり、嫌だ……」

「馬鹿! 何言ってやがる」

「だって、生きながら喰われるなんて……せめて殺してからにしてくれないかなあ」

「やめろ。誰が喰われてなんかやるものか。全員、生きてこの森から出て行くんだ。いいな?」

 ニールは返事をしようとしたが、喉が詰まって結局何も言えなかった。今にも泣き出しそうな顔のニールを、いつもなら全員で笑いながらいじるところだが、今日ばかりはさすがに誰も何も言わない。

 怖いのは全員、同じなのだ。

 得体の知れないものどもの視線と牙に晒されて、今にも襲われそうなこの状況に恐怖を感じないわけがない。

 緊張しながら行くけもの道は永遠に続くと思われたが、それは突然、終わりを迎えた。

 不意に一行の目の前が拓けたのだ。

 眩しい光に目を細めながら顔を上げると、空を押し殺すように鬱蒼と茂っていた森の木々は、この場所だけは特別であるかのように、薄く葉を付けた枝を静かに空に伸ばしていた。

 木漏れ日がきらきらと落ちてくるその大地は円形で、中心には澄んだ水をたたえる大きな泉があった。

「……これが、『虹のかかる泉』か」

 セドリックが溜息と共に呟いた。

 馬をゆっくりと泉のほとりまで進め、そっと水面を覗き込む。虹色の輝きを放つ水が、セドリックを誘うようにとろとろと揺れていた。初めて見るその妖艶とも言える美しさに、感嘆するよりも先に恐怖を感じて、思わずセドリックは手綱を引いて馬を下がらせた。

 気持ちを整えるため一呼吸して、改めて周囲を見渡した。そこには何ものの姿も無い。今のところ、差し迫った危険はないようだ。

「水を採取しよう。ニール、水筒を出せ」

「お待ちください」

 馬を降りようとしたセドリックを止めたのはユーリだった。彼は自分が馬を降りるとセドリックに手を伸ばして言った。

「先ほどの木の実の器を私に下さい。ニール、水筒も私に。水の採取は私がします。殿下は馬を降りないでください。……他のみんなも馬を降りるな。すぐに動けるように準備をしておいてくれ。さあ、もう少し、下がって」

「おい、ユーリ」

「殿下、聞いてください。……みんなも聞いてくれ。先ほどから、じわじわと殺意を感じる。みんなも判っているだろうが、あまり余裕はないとみた。私が水を採取し終わったら、全力で馬を走らせて、そのままこの森を抜けてしまおう。化け物どもと戦って命を危険に晒すより、逃げて生き残る方を選んでほしい。……セルコ、帰り道の方角は覚えているな?」

 ユーリの言葉に、セルコがにやりと笑った。

「勿論。お任せあれ」

「先頭はセルコに、しんがりは私が務める。遅れた者は私が剣先で突くからな、死にもの狂いで走れよ」

 軽い笑いが起きた。ユーリも微笑むと、片手に木の実の器、もう片方の手に水筒を持って、ひとり泉のほとりに向かった。

 片膝をついてしゃがむと、水面を覗き込む。濃度の高い水が虹の輝きをもって、ユーリの目の前で揺れていた。じっとみつめていると、その美しさに、泉の中に深く手を差し入れてみたい衝動に駆られたが、彼は寸前で思い留まった。

 神との約束は、この木の実の器に泉の水を一杯分、戴くことだけだ。それ以上も、それ以外のこともこの泉にしてはならない……。

 ユーリは木の実の器でそっと泉の水をすくった。

 器にたっぷり一杯。それをこぼさないように慎重に水筒に移した。大きめの水筒に泉の水はわずかに底を満たすだけの量だったが、無事に採取できたことに、ユーリは満足し、小さく安堵の息をついた。

 木の実の器はそこに置いて、水筒だけを持ってユーリは立ち上がった。セドリックに水筒を掲げてみせると、彼もまた、安堵の表情で頷く。

「ユーリ、馬に戻れ」

 それから笑顔で言った。

「さあ、帰ろう」

「はい!」

 ユーリが馬上の人になると、全員が一斉に自分たちがやって来た、けもの道に戻るべく向きを変えた。

 暗い森の奥へと道は続いている。

 そして、わずかに感じていた殺気は、泉の水を採取し終わった今となってはなだれのように強くセドリックたちに向かってきていた。それもひとつやふたつではない。

「ケイトリン、遅れるなよ」

 彼女の方は見ずに、セドリックが素っ気なく言った。

「言っておくが、あの狼も俺たちの敵だ。襲って来れば容赦はしない。お前もそのつもりでいろ。一瞬の迷いが命取りになる。いいな?」

「あ、はい……!」

 森狼が自分たちを襲ってくるのなら、確かに敵だ。それは判っている。判ってはいるのだけれど。

 もし、あの狼の青年が目の前に現れたら……。

 ケイトリンは迷う心で、そっとベルトに挟んだ銀の剣に触れた。

 誰も、何も、傷つけたくないのに。

「行くぞ!」

 セドリックの号令に、はっとケイトリンは顔を上げた。一斉に馬が駆け出すのを、彼女も急いで追いかける。


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