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第六話

 周囲の空気が変わった。

 気が付くと、セドリックとケイトリンのふたりは元の森の中に戻っていた。目の前には灰色の髪の森狼の青年がいて、彼らを興味深そうに眺めていた。

「戻ったか」

「……そのようだな」

 一呼吸ついて、セドリックはやっと言葉を発した。傍らに立つケイトリンは、状況が把握できないらしく呆然と辺りを見回している。

「森の神と約束をした」

 セドリックは、自分の手にある木の実の器をみつめながら言った。

「泉の水をこの器一杯分、汲んで持ち帰ることを許された」

「ああ、知っている。この森に棲んでいるものたち、すべてがそれを承知している。だが」

「俺たちが泉の水を汲んだ後、無事にこの森を抜けられるかはどうかは保障されていない、というわけだな」

「そういうことだ。森の神はそこまで人間に親切ではない。気を付けることだな」

 そして、彼はケイトリンをみつめる。

「王の子よ。お前が死んだら、彼女は俺が貰うぞ」

「……その前に、俺がお前を殺して、その毛皮でケイトリンのショールを作ってやる」

 ふんと狼の青年は笑った。

「やれるものならやってみるがいい」

「あ、あの……」

 火花を散らすように睨み合っているふたりに、ケイトリンは恐る恐る声を掛けた。

「『虹のかかる泉』はこの道の先にあるんですよね? 急いだ方がいいのではありませんか? 隊のみなさんもお待ちですし……」

 振り向くと、隊の全員が不安げにこちらを見ている。今にも駈け寄ってきそうな彼らの様子にセドリックも頷いて言った。

「ああ、そうだな。事情を説明しておこう。ケイトリン、来い」

「はい」

 歩き出したセドリックの後に、ケイトリンも続こうと足を踏み出したが、その前を狼の青年が体を入れて阻んだ。

「……え? どうしたの?」

 驚くケイトリンに、彼は突然、花を一輪、差し出した。それは優雅な姿の白百合だった。少し青みを帯びた白が神秘的な美しさを醸し出している。

「お詫びだ」

「お詫びって……」

「受け取って欲しい」

 青年は懇願するように頭を下げた。その誠実な様子に抗えなくて、ケイトリンがそっとその花を受け取ると、狼の青年は素早く身を翻し、茂みの中に消えて行った。それは一瞬のことで、ケイトリンはお礼も言えず、ただ呆然と彼の消えた茂みをみつめるしかなかった。



 セドリックからこれまでの説明を一通り受けると、隊の全員が顔を見合わせて微妙な表情をした。

「森の主……いや、神に会ったのですか?」

「でも、隊長もケイティも、ずっとそこにいましたよ?」

「うーん、もしかするとそれは、魂レベルの会合だったのかもしれないな」

「魂レベルってなんだよ?」

「だから、それは……」

「ともかく」

 ユーリが興味本位の会話を遮るように声を上げた。

「ここで重要なのは、森の神が我々に泉の水を汲んで持ち帰ってもいいと許可を下さったことだ。例え、木の実の器一杯分としても、これで任務を果たせる。こんな恐ろしい森にいつまでもいる必要はない。急いで泉に向かおう。……それでいいですよね、殿下」

「勿論だ」

 セドリックは黒馬の上から全員を見渡した。

「許可を得たと言っても、それは泉の水を汲んで持ち帰ることだけだ。帰り道の保障はされていない。誰ひとり欠けることなくこの森を出るために、決して油断はするな。いつでも剣を抜けるよう心構えはしておけ」

 全員が背筋を正すと、力強く返事をした。

 ケイトリンもバタカップに乗りながら慌てて、判りましたと言葉を返す。

 それからこっそりセドリックを見ると、もう彼はこれから進む道の彼方に視線を向けてこちらを見ていなかった。それを確認してからケイトリンは狼の青年から貰った百合の花を、胸元のボタンをひとつ開け、その中にそっと差し入れた。ここなら少々、激しく動いても落としたりしないだろう。

 相手が恐ろしい狼でも、彼の誠実な心の表れである白百合を、ケイトリンは大切に扱いたかったのだ。

 ほんの少しだけ、セドリックに後ろめたさを感じながらも、ケイトリンは服の上から優しく白百合の花弁を撫でていた。


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