第五話
セドリックとケイトリンは、お互いの顔を見合わせた。
同じ時間の中を生きている。
そんなことは、当たり前すぎて気にしたこともなかった。
「あの……今、その娘さんは?」
「死んだよ。とうの昔にな」
そう言って微笑んだ森の神は、今の姿の通り、か弱い子供に見えた。道に迷って泣きそうな、けれど、意地を張って必死に泣くのをこらえているような、そんな幼い子供に見えた。
「彼女はただの人間であることを選んだ。特別な力などいらない、不老不死など自分には似合わないと言った。咲いた花がいつか散り、朽ちて土に帰るように、私もそのように命を終わらせたいと、そう言ったんだ。……私はその気持ちを尊重した。
彼女は死ぬまで私の傍にいてくれた。彼女は歳を重ねて老いていったが、ずっと私の美しい妻だった」
一瞬、言葉を詰まらせたが、すぐに顔を上げると森の神は言った。
「さて、楽しい雑談はここまでだ。本題に入ろう」
神は傍らの木の、鬱蒼と葉が茂った枝の間に手を入れた。そこから子供の頭ほどの大きさの木の実をひとつ取り出すと、ことも無げに半分に割り、片側をセドリックに投げてよこした。
慌ててセドリックが胸の前で受け取ると、ケイトリンも横から興味津々でそれを覗き込む。
「これは……木の実ですよね? 中身が無いわ。器みたい……」
「そうだ。器だよ」
ニコニコ笑って森の神は頷く。
「お前たちがこの森に来た理由は『虹のかかる泉』の水だな。本来なら、この森のものを外に持ち出すことはどのような理由があっても許さないのだが、七番目の森狼の失態とそして、娘。ケイトリン、といったな、君の美しさに免じて、今回に限って許すことにする」
「え。美しいなんてそんな」
「いや、君は美しい。本当の美しさは体の奥から、それこそ泉のように湧き出してくるものだ。なあ、王の子。お前も同感だろ」
「……そ、そんなことより」
やや頬を上気させて、セドリックは言った。
「この木の実の器は何だ?」
「それ一杯分だけ、ということだ」
「……何?」
「きっと泉の水をたっぷり持ち出そうと、お前たちは張り切って大きな水筒でも持ってきていることだろうが、お前たちが持ち出せる泉の水はその木の実の器に一杯分だけだ。それ以上は許さない」
「一杯分だけ……」
呆然とセドリックは呟いた。
「しかし……それだけでは」
「足りないか?」
森の神は諭すように優しく言った。
「人をひとり癒すためならその量で充分だ。たちどころに病も怪我も治るだろう。それ以上を持ち出すことは危険だ。……いいか、王の子よ。どんなものにも場所にも、乱してはならない秩序や約束ごとがある。『虹のかかる泉』の水は使いようによっては不老不死をも叶える水だ。その水を手に入れたものは、私利私欲に走り、周囲の人間を苦しめるだろう。場合によっては世界そのものを壊しかねない。……危険なんだ。判るな、王の子よ」
しばらくの後、セドリックは頷いた。
「承知した、森の神。この木の実の器一杯分だけ、泉の水を頂くことにしよう」
「約束したぞ、王の子よ」
そう言った直後、森の神は大きなあくびをした。うんと両手を上げて伸びをしつつ、セドリックとケイトリンに言う。
「では話しはこれで終わりだ。お前たちが泉の水を汲むことを邪魔するものはいない。だが、この森から出る時は気を付けろ。お前の仲間の誰かが喰われても、その娘が攫われても、私の知るところではない。なにせ私はこれからまた深い眠りにつく。その間に何が起ころうが私の知ったことではないからな。
夢の中では妻と一緒にいられるんだ。もう起こしてくれるなよ。……それでは失礼する」
「待ってくれ」
森の神が背を向けて歩き出そうとした時、慌ててセドリックが声を掛けた。
「森の神は知らないことがなにもないと聞く。ひとつ、教えてもらいたいことがあるのだ……」
「教えてもらいたいこと、か」
肩越しに振り返ると、森の神は値踏みするように目を細めてセドリックを見た。
「夢のことか」
「……何故、それを」
「私はこれでも神だからな」
ふんと鼻で笑うと、森の神は続けた。
「言ってみろ。お前は何が知りたい?」
「……俺が見るあの夢。あれは、真実なのか」
「真実であって欲しくはないか?」
「判らない。判らないんだ……」
ケイトリンは驚いてセドリックをみつめた。こんなに弱々しく、怯えた彼を見るのは初めてだった。
夢って……何のこと?
ケイトリンは今朝、アンから聞いた悪夢の話しを思い出していた。セドリックの怯えようを見ると、彼もまた悪夢に悩まされているのだろうか。
すっと、背筋に冷たいものが走った。
「目に見えるものだけが真実とは限らない」
感情のない冷ややかな声で、森の神は言った。
「だが、観察することは大事だ。よく見るのだ、王の子よ。先入観を捨てて、丁寧にそして、慎重に、な」
ふっと口元だけで笑うと、森の神は木々の陰の中に静かに姿を消した。




