第四話
首を傾げるケイトリンに、セドリックは不満げに答えた。
「あれは……ショーンの姿ではない」
「え? ですが……」
ケイトリンはセドリックの顔を見、それから改めて少年の姿をした森の神をみつめた。どう見てもショーンにしか見えない。
ケイトリンは、不機嫌そうなセドリックに控え目に尋ねた。
「あの……ショーンさまでないのでしたら、どなただと仰るのですか?」
小さく息を吐くと、セドリックは言った。
「お前も知っているはずだ。……写真を見ただろう」
「写真?」
少し考えてから、ケイトリンは思い出した。
「あ、あの、洗面室にあったお写真のことですか? 国王さまとエメリアさまのお写真、それからショーンさまのお写真。犬と一緒に写っていました」
「ああ、それだ。そのお前の言うショーンの写真。あれはショーンではない。……俺の、子供の頃の写真だ」
「……え?」
ケイトリンはしばらくぽかんとしていたが、セドリックの言葉の意味がようやく判って、思わず声を上げた。
「あの写真の少年がセドリックさま!? 本当に? 本当なんですか? ショーンさまと瓜二つでしたわ!」
「半分しか血は繋がっていないが兄弟なんだ。似ているのは仕方ない。……あれは俺が十三歳くらいの時に、母の飼っていた犬……バタカップと撮った写真だ」
「あ、バタカップ! あの犬が」
「バタカップの最後の写真だから取っておいたんだ」
溜息をつきつつ、セドリックは言った。
「まさか昔の自分と向き合わなくてはならないとは……これ以上の悪趣味はない」
「そう言うな、王の子よ」
森の神が微笑む。
「過去と向き合うことも時には必要だ」
「……それで呼びつけた理由は何だ。あの狼の無礼を森の神が直々に謝罪というわけでもあるまい」
「狼か」
ふっと軽く息をつくと森の神は続けた。
「あれはここに棲む森狼の長のこせがれだ。七匹兄弟の末弟でな、一番体も小さく力も弱い。兄どもにいつも馬鹿にされ、邪魔者扱いされているせいで、どうにか早く力を手に入れたいと躍起になってのあの暴挙だ。許せよ、娘」
「あ、は、はい」
いきなり話しが自分に向いて、ケイトリンは慌てた。
「もう狼さんからは謝罪は受けておりますので……」
「そうか。死ぬほど叱ってやったから、少しは反省したようだな」
そう言って笑う森の神に、ケイトリンは戸惑う。森の神の姿はどうしてもショーンに見えてしまう。あの無垢な第二王子が豪快に大笑いするという光景に馴染めないのだ。
「あの狼、七番目の末弟は」
と森の神は話しを続けた。
「私の真似をしたのだ」
「……あ、あの、真似と仰るのは、その、私を、人の娘を妻にする、ということですよね……」
「そうだ。私の真似をしたところで、力を得られるわけはないのだがな。何を考え違いしているのやら」
「あの……お伺いしてよろしいでしょうか」
「なんなりと」
「森の神さまはどうして人の娘を妻に選ばれたのでしょうか?」
「惚れたからだ」
一言で返されて、ケイトリンは思わず息を呑む。次の言葉をどう続けていいか判らず、おろおろしていると森の神から話し始めた。
「もう随分と昔のことだ。彼女は家族から疎まれ、娼館に売られそうになり、この森に逃げ込んできた哀れな娘だった。彼女は見目麗しくてな、それが更に彼女を不幸にしていたのだ」
「美しい方だったのですね……」
「ああ。美しく、そして気丈な娘だった。迷いこんだ彼女は、まるで一陣の風のように涼やかでそして鮮烈でもあった。……彼女に魅了された私は言った。妻になってくれと。ずっと、ここにいてくれと。すると彼女は」
「彼女は?」
「嫌だと言った」
「何だ、振られたのか」
ぼそりと呟くセドリックの腕を慌てて引っ張ると、ケイトリンは先を促した。
「それで、どうなったのですか?」
「口説いた」
「く、口説いたのですか……」
「ああ、時間はかかったが、彼女は私の申し出を受け入れてくれたよ」
「求婚されたのは、美しい方だったからでしょうか?」
「それもあるが、何より彼女の内面を私は気に入った。彼女のまっすぐな性格、はっきりとしたものの言い方、そして」
森の神は少し、間を置くと言った。
「彼女は私の真実の姿を見ても驚いたり、恐怖を抱いたりしなかったのだ。私の姿を見た人間たちは、みんな恐怖のあまり叫び声をあげ、逃げ出すものなのだが」
「まあ。それは……その、見た目ではなく、神さまのお心を感じたから、でしょうか」
「と、私も最初はそう思った。この娘は特別とな。しかし、違った。娘は盲目だったのだ」
「……はい?」
「厳密に言うと完全に盲目ではなかった。ぼんやりと物の形は見えていたようだが、私の姿はよく判ってはいなかったろうな」
「あ、あの?」
「彼女は盲目ゆえに家族に疎まれた。容姿端麗だったため、娼館に高値で売られるところだったそうだ。……人間は時に、鬼や妖魔よりも恐ろしいことをする」
ケイトリンはその言葉の重さを感じ、目を伏せた。
時に人間が見せる残酷さ、冷淡さは、落ちぶれた家を支えるケイトリンも身を以て知るところだ。
「彼女は……あの白い手で」
不意に遠い目をして、森の神は言った。
「私の顔をそっと撫でてくれた。
それで私の顔の造作がどのようなものか、彼女にも判ったはずだ。今度こそ、彼女が悲鳴を上げて逃げ出すと思ったよ。その時は、森の外に出られる道を作って、ここから安全に逃がしてやるつもりだった。
しかし、彼女は微笑んだ。『あら、素敵』そう言ったんだ。そう言って笑った彼女がとても愛おしいと思ったよ」
それから真っ直ぐにふたりをみつめると、森の神は優しく言った。
「お前たちはいいな。同じ時間の中を、同じように生き、同じように死ねる。こんな幸福なことはない。羨ましい限りだ」




