第三話
「……ああ。ひどく叱責された。この娘を妻にしようとしたことを」
「まあ! 神さまに怒られたから、私に謝ったの?」
憮然としてケイトリンが聞き返すと、青年は慌てたように首を横に振った。
「それだけじゃない。本当に悪かったと思っている。お前は……俺があんなことをしたのに、命を助けてくれた。だからこの道を進むのは危険だと教えに来たんだ。俺は恩を忘れたりしない」
「恩って……大袈裟よ。それに、あなただから庇ったわけじゃないわ。命はすべて平等に尊いものだからよ。どんな理由があっても、誰の命であっても、奪っていいなんてこと、絶対にないわ」
「……お前の心は無垢だな」
ほうっと感嘆の息をつくと青年は言った。
「どうだろう、本当に俺の妻にならないか。お前を穢れた人の世界に置いておくのは勿体ない。この神聖な森で俺と一緒に……」
「おい」
セドリックが低い声で遮った。
「お前、ついさっき、もうあんなことはしない、と言わなかったか? 反省の言葉の様に聞こえたが、それは俺の気のせいだったか?」
「判った、判った。そう怒るな」
青年は困惑気味に笑った後、ふと真顔になって辺りを見渡す。何かを感じ取ったらしく、彼は改めてふたりに向き直ると言った。
「……話しがしたいそうだ」
「何?」
「今、お呼びが掛かった。我が神がお前たちに会うと仰せだ」
青年の言葉が終わらないうちにぐらりと周囲が傾いた。あっと声を上げて崩れそうになるケイトリンをセドリックが抱きしめる。強い抱擁にケイトリンは一瞬、息が詰まった。
セドリックさま……!
彼女は祈るように固く目を閉じた。
「ケイトリン」
どれほどの時間が経っただろうか、至近距離で名前を呼ばれ、ケイトリンは閉じていた目をそっと開いた。
まず見えたのは、彼女を心配そうに見下ろす緑の瞳だ。
「……セドリックさま?」
「大丈夫か?」
ケイトリンの体をゆっくりと抱き起すと、セドリックは言った。
「俺たちはどこかに飛ばされたようだぞ」
「あの……?」
「何だ、どうした?」
「あなたは……本当にセドリックさま?」
「はあ? 何を言っている?」
「……今、私を名前でお呼びになった……ドジ娘ではなく」
「名前で呼んではいけなかったか?」
「い、いいえ!」
慌てて立ち上がると、彼女は必死になって言った。
「よ、呼んでいただけて、こ、光栄です!」
「判った。ちょっと落ち着け」
目を潤ませてこちらをみつめるケイトリンを、セドリックは苦笑しつつ、その腕を取って自分の方に引き寄せた。
「とにかく俺から離れるな」
「……はい。あ、あの、私たち、森の中にいるんですよね?」
ケイトリンは戸惑ってそろそろと辺りを見回した。
「何だか様子が変わってしまったような気がします」
景色は変わらない。相変わらずの深い森の緑の中にいる。けれど、今までとは何かが決定的に違っていた。……そう、それはこの場所の空気だ。今までとは比べ物にならないくらいに清廉なのだ。
「ここは察するところ、森の神の住処のようだな」
「森の神……ですか」
「あの狼が言っていただろう、森の神がお呼びだと。不穏な気配はない。今のところ、安全ではあるようだが」
セドリックはそう言うと、一本の大きな木に鋭く視線を送った。
「そこに……いるな」
彼の声をかき消すように、一陣の強い風が吹いた。
視界が揺れたかと思ったその瞬間、木の根元にひとりの少年が立っているのが見えた。ずっと昔からそこに佇んでいたように、森の景色の中に少年の姿は溶け込んでいた。
「やあ、来たね」
唖然として口がきけないふたりに、少年は気さくに笑いかけてくる。
「何だ、挨拶もなしか?」
「……ど、どうして」
ケイトリンが喘ぐように言った。
「どうして、あなたがここにいるのです? ……ショーンさま……?」
そこにいるのは、あの人懐っこい笑顔の第二王子ショーンだとケイトリンは思った。その笑顔も輝く緑の瞳も数日前に彼女が会った時とまったく変わっていない。
思わず彼に近づこうとして、寸前で足を止めた。さすがにケイトリンも学習する。目の前にいる少年が本物のショーンではない、ということを。
「あなたは……もしかして……森の神さま、ですか?」
「そうだ、人の娘よ」
少年の姿をした森の神は優しく言った。
「私がこの姿でいるのは、お前たちの精神を守るためだ。真実の私の姿を見れば、お前たちの心は乱れるだろう。私は冷静にお前たちと話しがしたい」
「……でも、何故、そのお姿なのです?」
「これは」
と森の神は自分の体を見下ろして言う。
「お前たちふたりの記憶にある共通した人物の姿をここに映している。話しがしやすいと思ってこの姿を選択したが、不都合か?」
「いえ……」
どう答えて良いものかと、ケイトリンが逡巡していると、隣で呻くようにセドリックが言った。
「何だってその姿なんだ……悪趣味な……」
「え? あの、セドリックさまは、森の神さまがショーンさまのお姿では……不都合なのですか? 確かに話しやすくはないかもしれませんが」
「違う。そういうことじゃない」




