第一話
ひらりと軽やかにセドリックに抱きかかえられて、ケイトリンは、はっと我に返った。
「な、何をなさいます!」
逞しいセドリックの腕の中で、彼女は必死に身を捩って抗った。
「下ろしてください!」
「だめだ。お前は俺の花嫁なのだからな」
「は、花嫁って……か、からかわないでください!」
「お前はついさっき、何でもすると言わなかったか?」
「い、言いましたけれど、でも花嫁なんて」
「行くぞ」
「え? どちらへ?」
「俺の寝室に決まっている」
「し、寝室って……いやああ!」
「騒ぐな、ドジ娘」
「殿下! お待ちを!」
ケイトリンを連れ去ろうとするセドリックを呼び止めたのは、傍らにいた金髪の青年だった。同じ軍服を着ているところを見るとセドリックの副官なのだろう。彼は足を止めたセドリックの前に回ると、静かだが強い口調で言った。
「お戯れもそのくらいに。このことがお父上の耳に入ることをお考えください。またご不興をかうことになります」
「父上だと」
たちまちセドリックの眉が不機嫌な角度にはね上がった。
「俺が何をしようがあの人には関係ない」
「またそのようなことを」
溜息をつくと、金髪の青年は続ける。
「パーティを台無しになさるおつもりですか」
「台無しも何も、これは父上が開いてくれた俺の花嫁選びのパーティなのだろう? だから、こうして愛しい花嫁をみつけて、俺の寝室にエスコートしようというのだ。何の問題があるというのだ?」
「殿下、そんな詭弁を……」
「もういい。それ以上、言うな。下がれ、ユーリ」
きっと睨まれて、ユーリと呼ばれた青年は仕方なく口をつぐんだ。悲壮な表情をしたケイトリンを申し訳なさそうに一瞥した後、脇に退いてセドリックに進路を譲った。
「そんな……」
唯一の味方を失って、ケイトリンは失神しそうになる。
「助けて……」
「では行こうか、我が花嫁」
彼女の弱々しい声をわざと無視して、セドリックは軽快に言う。そして呆然と立ち尽くしている人々を見渡すと不意に大声で叫んだ。
「お前たち、どうした? そんな面白くもない顔をして。音楽を奏でろ、歌え、踊れ、酒を飲め! 今宵は祝いの席だぞ。夜が明けるまで楽しむがいい!」
そして、豪快に笑った。
それが合図に止まっていた演奏が始まり、人々が慌てて踊りを再開し始める。
「ケイティ!」
人の群れの中から、親友の声が聞こえた。ケイトリンは、はっとしてそちらに顔を向けようとしたがそれはセドリックの厚い胸に阻まれた。せめてと、必死に声を上げる。
「スージー! 来てはだめ! 私は大丈夫だから!」
ちっとも大丈夫じゃない。本当は助けてほしい。
そう思いながらも、それでも大事な親友をこんなことに巻き込みたくはなかった。もし、セドリックを止めようとすればスージーもただでは済まなくなるだろう。
……この恐ろしい王子から私は逃れることは出来ない。
そう悟ったケイトリンはせめて泣くまいと唇を噛んだ。
部屋に入るや、ケイトリンは乱暴にベッドの上に落とされた。
慌ててドレスの裾を直すとベッドの端に移動する。怯えて身構えるケイトリンをちらりと見ただけで、セドリックは何も言わず汚れた軍服を脱ぎ始めた。
「な、な、何をしているんですか!」
「見ての通りだ。服を脱いでいるんだよ」
「ど、ど、どうして脱ぐんですか!」
「お前が汚したからだろうが」
うんざりとした顔でそう言うと、彼は軍服を脱ぎ捨て、すぐにラフな平服に着替えた。
「え。着るのですか?」
「何か期待していたのなら申し訳なかったな」
「き、期待? だ、誰がですか!」
顔を真っ赤にしてケイトリンは言った。
「ここに無理やり連れ込んだのはあなたさまではありませんか、それなのにそんな仰りようはあんまりです……」
「まあ、いいじゃないか。お互いにあんなクソみたいなパーティを抜け出せたんだ」
「え?」
「お前、あのパーティを楽しんでいたか?」
「いえ……」
「なら、いいだろう」
どうでもよさそうに言って、セドリックは窓のカーテンを少しめくって外の様子を眺めた。
「あ、あの、もしかして、私に妻になれと仰ってここに連れてきたのは、パーティから抜け出す口実、ですか。本気ではない、ということですね?」
「いいや」
にやりと意地悪く笑って、セドリックはケイトリンを見た。
「お前は俺の妻になる。皆の前で公言したことだ。今更、取り消すつもりはない」