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第一話

 夜が明け、辺りが明るくなると、セルコとフランのふたりが一行に先んじて例の灰色の狼が逃げた方向に偵察に向かった。そして、やがて戻ってきたふたりによると、やはり地面や木の葉に負傷した狼の血痕が点々と残っていたという。

「血痕を追いかけていくと小道に出ました。いわゆるけもの道ですね。その辺りで血痕は消えてしまったのですが、その道を辿って行けば、泉に行きつけるかもしれません。方角も北ですしね」

「ただ、その小道」

 セルコの言葉に重ねるようにフランが言った。

「行きつく先は泉ではなく、森狼たちの巣かもしれませんよ。俺たちは危険に自ら近づいているのかも」

「別にいいんじゃないか」

 陽気な口調で言ったのはクリスだ。彼は天気の話しでもするような軽さで言葉を続けた。

「この森の中は、どうせどこに向かっても危険なんだ。だったら泉にたどり着ける可能性がある方を選ぶべきじゃないかな」

「……隊長、どうしますか」

「そうだな」

 セドリックはひとつ頷くと言った。

「クリスの言う通りだ。そのけもの道を行こう」

 こうして進む方向が決まった。

 狼を追うように、彼らは森の奥へと馬を進めた。道案内として先頭はセルコが務め、しんがりはユーリだ。二番手を行くセドリックの隣にケイトリンがついた。

「ねえ、ケイティ」

 セドリックの隣で緊張しているケイティに、後ろからアンがからかうように言う。

「隊長の隣だと、もう居眠りできないわね?」

「ちょっと、アン!」

「居眠りだと?」

 聞きとがめてセドリックがアンを肩越しに振り返った。

「馬に乗りながら居眠りをしていたのか?」

「ええ、そうですよ。ケイティったら、単調な馬の歩みについウトウトして。目の前を大きな羽虫が飛び交っているのにも気が付かないで平気で寝ているんだから笑っちゃった」

「……寝ていて虫に気が付かなかっただけだったのか」

 セドリックはやれやれと溜息をつく。

 若い娘なら怖がって騒ぎそうな大きな羽虫が、うるさく目の前を飛んでいても平然としていたケイトリンのその様子に、意外に度胸があると見直していたのだが。

 胸の内で彼女の評価を訂正しようとして、すぐにセドリックは思い直した。この恐ろしい森の中で馬に乗りながら居眠りが出来るというのもなかなかの度胸だ、と。

「居眠りはいいが、落馬しないようにしてくれ」

「は、はい。あ、いえ、もう寝ませんから!」

 頬を赤くしてケイトリンが必死に言った、丁度その時、不意に目の前に細い道が現れた。森に棲む獣たちがいつもここを行き交っているのだろう、踏み固められたそれは深い森の中を一本の道となり、ずっと奥へと続いていた。

「この道です」

 セルコが一旦、馬を止めると、セドリックを振り返る。

「さて、この先に何があるのやら。獣たちが頻繁に行き交った結果、この道はできているわけですから、この先に彼らの生活に重要なものがあるのは確かです。……行きますか?」

「……ちょっと待て」

 セドリックは、目を眇めてその細い道の彼方に目をやった。何かが動いたような気がしたのだ。

「隊長?」

「何かいる。こちらに来るぞ」

 セドリックの言葉が終わらないうちに、黒馬が怯えたように首を捩っていななく。この先に進みたくないと訴えているようだ。その怯えは他の馬たちにも瞬く間に伝染した。

「おいおい、落ち着け」

 パニック状態に陥った馬たちを必死でなだめながら、全員が注意深く道の奥に目をやった。緊張が走る中、先頭のセルコが腰の剣を素早く抜き、吠えるように叫んだ。

「そこにいる者! 出てこい!」

 少しの間の後、木々のざわめきと共にそれは姿を現した。

「何?……人間、だと?」

 現れたのはひとりの青年だった。

 彼は長い灰色の髪を無造作に肩先にたらし、その印象的な琥珀色の瞳で部隊の全員を静かに見渡した。落ち着いた様子ではあるが、その瞳の奥には微かに怯えの色が滲んでいた。

「何者だ?」

 彼が丸腰だと判ると、セルコは構えていた剣をそっと下ろして言った。

「どうしてここにいる?」

「……戻れ」

 低いがはっきりとした声で青年は言った。

「こちらに来てはいけない」

「何だと? どういうことだ?」

 その質問に青年は答える気はないようだ。黙ったまま、ただこちらをみつめている。

 セルコは困惑して、助けを求めるようにセドリックを振り返った。

「隊長、どうしますか? こいつ、なんだか変ですよ」

「灰色の髪に琥珀の瞳、か」

 ふっと口元だけで笑うと、セドリックはひらりと馬を降り、青年の方へと歩み寄って行った。慌てたのはセルコたちだ。口々に制止を呼びかける。

「隊長、何しているんですか? 馬に戻ってください!」

「そいつ、何者か判らないんですよ! 近づいては駄目です!」

 セドリックはそれらの言葉に応えず、平然と歩いて行く。

 その背中をただ見送っていたケイトリンは、不意に胸騒ぎを覚えた。彼をひとりで行かせてはいけない、そんな気がして深く考えることもなく、気が付くと自分も馬から飛び降りていた。

「セドリックさま! お待ちください!」

 そう叫んで駆け寄ったケイトリンは、思わずその腕に縋っていた。

「だ、駄目です!」

「……何が駄目なんだ?」

 しかしセドリックに冷たく聞き返されて、ケイトリンはたちまち口ごもってしまう。

「え? ええっと……何が駄目でしたっけ?」

「……まったく。何も考えずに馬を降りたのか? 相変わらずのドジだな」

「す、すみません」

「まあ、いい。俺の後ろにいろ」

 そしてざわついている部隊を振り返ると片手を上げて、お前たちはそこにいろと合図を送った。


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